日光からこんにちわ。
広島に原爆が投下されて70年。先日原爆についてのドキュメンタリー番組を見ました。
広島原爆では、息子と同い年くらいの12-13歳の子供が一番多く死んだとのことで
とても驚きました。

勤労学徒で、働きに来ていた子供たち。
青年、成人男性は戦争や、軍事工場などにでているため
広島市内の学校の子供たちが、勤労学徒で広島市内で働いていたためというような話でした。
けが人は、働けそうな男の人や、青年を優先して助け、
助けを乞う子供は助けてもらえず、火のある方へと母を探しに逃げて行ったとか。
沖縄でも、日本兵が「お国のために戦っているのだから、自分たちが優先だ」とばかりに
住民をガマ(壕)から追い出し、子供から食べ物を奪っていったとか。
今の政権に、同じような不安を感じます。
よくわかっていない国民は黙っていろ、文句を言うな。
国を守るのは私たちだ、私たちのほうがよくわかっている。
と言われている気がします。
戦争は嫌だという高校生に、
政治家が「自分勝手」という政権は怖い。
日本軍が、戦果を正しく伝えず、日本軍のやった国民を守るのではなく、
国民を犠牲にした記録を、都合よく書き換えていた記録も出てきた。
そんな日本軍のやっていたことと、今の政権が向っているところが同じようにみえる。
安保法制が、いい、悪いということではなく、
ことの進め方に、非常に心がざわざわします。
自由に話すこと、本当のことを知ることができない時代になるのは
怖いことです。
千羽鶴と広島の原爆の関係、
原爆の子の像のモデルとなった方がいます。
広島市のHP→ここをクリック
に、原爆・平和の項目があり、
原爆被害の内容、核兵器廃絶、平和についてなど
たくさんのことが出ていました。
原爆記念館にも行ったことあるし、原爆や広島のことなど、知っているつもりでいましたが、
実はあまりにも知らなかいこともありました。
今年は戦後70年ということもあってか、戦争や、原爆などについての
TV番組が多い気がします。安保法案のこともあり、余計に目につきます。
先日見たNHKの番組で、戦後ドイツがどのように、子供たちに
戦争について、どのように継承していっているかという内容でしたが、
身近に戦争を感じ、あったことを忘れないような教育や、
ユダヤ人との関係など、過去のことだけど、忘れ去られるものではなく
忘れてはいけないこと、繰り返してはいけないものとして
国民に残っていっていました。
松嶋菜々子が主演だったドラマ 従軍看護婦の話「レッドクロス」で
女性にも赤紙が来て、戦争に行った従軍看護婦さんがいたこと、
その人たちの、戦後や、その後の人生を知りました。
今日はNHKの番組で、シベリア抑留されていた女性たちがいたことを知りました。
アメリカや、ソ連が戦争末期何をしようとしたか。
東京裁判とは何だったのか、
その後の世界とのかかわり、国連での日本の位置など、戦争のもたらしたものは何だったのか。
私も学んで、
次世代につなぎ、戦争のない、世界でも類のない平和で安心した日本が続くことを
願っていきたいと思います。
以下 広島市HPより
平和記念公園内ではいたる所で、色鮮やかな折り鶴が見受けられます。折り鶴は日本の伝統的な文化である折り紙の一つですが、今日では平和のシンボルと考えられ、多くの国々で平和を願って折られています。このように折り鶴が平和と結びつけて考えられるようになったのは、被爆から10年後に白血病で亡くなった少女、佐々木禎子さんが大きくかかわっています。

佐々木禎子さん(当時12歳)は、2歳のときに被爆しましたが外傷もなく、その後元気に成長しました。しかし、9年後の小学校6年生の秋(昭和29年・1954年)に突然、病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院しました。回復を願って包み紙などで鶴を折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、昭和30年(1955年)10月25日に亡くなりました。
禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成しました。その後この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼります。
■ 「原爆の子の像」の概要
○建立者 広島平和をきずく児童・生徒の会
○制作者 東京芸術大学教授 菊池一雄氏
「原爆の子の像」は、年間を通じて、たくさんの千羽鶴が捧げられていることから、別称「千羽鶴の塔」とも呼ばれています。
像の高さは9メートルで、その頂上には折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託しています。側面左右の二体は少年と少女と明るい希望を象徴しています。像の下に置かれた石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています。塔の内部には、少年少女たちの気持に感動したノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹博士の筆による「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られた銅鐸を模した鐘がつられ、その下に金色の鶴がつるされ、風鈴式に音がでるようになっています。(この鐘と金色の鶴は、平成15年(2003年)に複製されたもので、オリジナルは広島平和記念資料館東館1階ロビーに展示されています。)
この「原爆の子の像」の周辺には、折り鶴を捧げていただけるよう折り鶴ブースが設置されています。
広島に原爆が投下されて70年。先日原爆についてのドキュメンタリー番組を見ました。
広島原爆では、息子と同い年くらいの12-13歳の子供が一番多く死んだとのことで
とても驚きました。

勤労学徒で、働きに来ていた子供たち。
青年、成人男性は戦争や、軍事工場などにでているため
広島市内の学校の子供たちが、勤労学徒で広島市内で働いていたためというような話でした。
けが人は、働けそうな男の人や、青年を優先して助け、
助けを乞う子供は助けてもらえず、火のある方へと母を探しに逃げて行ったとか。
沖縄でも、日本兵が「お国のために戦っているのだから、自分たちが優先だ」とばかりに
住民をガマ(壕)から追い出し、子供から食べ物を奪っていったとか。
今の政権に、同じような不安を感じます。
よくわかっていない国民は黙っていろ、文句を言うな。
国を守るのは私たちだ、私たちのほうがよくわかっている。
と言われている気がします。
戦争は嫌だという高校生に、
政治家が「自分勝手」という政権は怖い。
日本軍が、戦果を正しく伝えず、日本軍のやった国民を守るのではなく、
国民を犠牲にした記録を、都合よく書き換えていた記録も出てきた。
そんな日本軍のやっていたことと、今の政権が向っているところが同じようにみえる。
安保法制が、いい、悪いということではなく、
ことの進め方に、非常に心がざわざわします。
自由に話すこと、本当のことを知ることができない時代になるのは
怖いことです。
千羽鶴と広島の原爆の関係、
原爆の子の像のモデルとなった方がいます。
広島市のHP→ここをクリック
に、原爆・平和の項目があり、
原爆被害の内容、核兵器廃絶、平和についてなど
たくさんのことが出ていました。
原爆記念館にも行ったことあるし、原爆や広島のことなど、知っているつもりでいましたが、
実はあまりにも知らなかいこともありました。
今年は戦後70年ということもあってか、戦争や、原爆などについての
TV番組が多い気がします。安保法案のこともあり、余計に目につきます。
先日見たNHKの番組で、戦後ドイツがどのように、子供たちに
戦争について、どのように継承していっているかという内容でしたが、
身近に戦争を感じ、あったことを忘れないような教育や、
ユダヤ人との関係など、過去のことだけど、忘れ去られるものではなく
忘れてはいけないこと、繰り返してはいけないものとして
国民に残っていっていました。
松嶋菜々子が主演だったドラマ 従軍看護婦の話「レッドクロス」で
女性にも赤紙が来て、戦争に行った従軍看護婦さんがいたこと、
その人たちの、戦後や、その後の人生を知りました。
今日はNHKの番組で、シベリア抑留されていた女性たちがいたことを知りました。
アメリカや、ソ連が戦争末期何をしようとしたか。
東京裁判とは何だったのか、
その後の世界とのかかわり、国連での日本の位置など、戦争のもたらしたものは何だったのか。
私も学んで、
次世代につなぎ、戦争のない、世界でも類のない平和で安心した日本が続くことを
願っていきたいと思います。
以下 広島市HPより
平和記念公園内ではいたる所で、色鮮やかな折り鶴が見受けられます。折り鶴は日本の伝統的な文化である折り紙の一つですが、今日では平和のシンボルと考えられ、多くの国々で平和を願って折られています。このように折り鶴が平和と結びつけて考えられるようになったのは、被爆から10年後に白血病で亡くなった少女、佐々木禎子さんが大きくかかわっています。

佐々木禎子さん(当時12歳)は、2歳のときに被爆しましたが外傷もなく、その後元気に成長しました。しかし、9年後の小学校6年生の秋(昭和29年・1954年)に突然、病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院しました。回復を願って包み紙などで鶴を折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、昭和30年(1955年)10月25日に亡くなりました。
禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成しました。その後この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼります。
■ 「原爆の子の像」の概要
○建立者 広島平和をきずく児童・生徒の会
○制作者 東京芸術大学教授 菊池一雄氏
「原爆の子の像」は、年間を通じて、たくさんの千羽鶴が捧げられていることから、別称「千羽鶴の塔」とも呼ばれています。
像の高さは9メートルで、その頂上には折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託しています。側面左右の二体は少年と少女と明るい希望を象徴しています。像の下に置かれた石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています。塔の内部には、少年少女たちの気持に感動したノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹博士の筆による「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られた銅鐸を模した鐘がつられ、その下に金色の鶴がつるされ、風鈴式に音がでるようになっています。(この鐘と金色の鶴は、平成15年(2003年)に複製されたもので、オリジナルは広島平和記念資料館東館1階ロビーに展示されています。)
この「原爆の子の像」の周辺には、折り鶴を捧げていただけるよう折り鶴ブースが設置されています。