近所から聞こえる木遣りが聞こえてきて、うるせぇなと思いつつ嫌々やらされてる子は可哀想だなと思いました。

そういう風に思えるようになったのはいつからだと記憶を遡ると子どもの頃から太鼓とか長持ちとか「何でやりたくないことを強制的にやらされなきゃいけないんだろう?」って疑問を感じていました。

 

 

 

長持ちなんて普段働いてる人たち肩痛めそうじゃん・・・って子どもの頃から思ってたし、実際アレ痛いんですよ!💢

 

 

あとは修学旅行ですね。長くなるのである程度省くんですけど「団体行動なんだから◯◯しなきゃダメ」って言われたことがあったんですよね。

 

そもそも学校って義務教育という名の強制で子どもたちを縛る場所だから、同じことをしない人は排除していいって考えになる人が増えてもおかしくないんです。

学ぶのは権利であって、押し付けるものであってはいけない。

よく昔の人は勉強する機会もなかったって言って、今の人たちは恵まれてるって言うけど、そうやって嫌なことを嫌って言わせない空気を作ってるんだよ。勉強はしたくてするものなんだから。

 

 

 

修学旅行って今、参加・不参加選べるのかな?

 

 

 

桑島法子さんがゲストヒロインやったコナン映画(2008年のやつ)放送見たかったです。

あの頃の金曜日ロードショーってまだエンディングが最後まで流れた気がする。ハウルの動く城、地上波初放送のときはエンディングまで流れたの覚えてます。

 

 

 

 

 

 

何で嫌なことを嫌って言っちゃいけないの・・・?

 

 

 

嫌なことを嫌って言ったら我が儘扱いになるのはおかしい。諏訪湖サービスエリア上りのバイト採用担当のおじさんも「(車の税金払うのは)みんながやってるから」って言ってたの嫌悪感しかなかった。

なんか世の中の違和感はずっと感じていたんです。集団行動苦手かつ人間嫌いな人は世の中で上手く渡るのは難しいかも。

子どもの頃に自分の中で“みんながやってるから”に疑問を持てて良かった。

 

 

ただ、日本人の強みは集団になると強いところなんですよ。それを政治家や上級国民も分かってるからこそ国民がパンとサーカス状態で転がされたままなんだよ・・・

 

国民の1人が声上げようものなら、他の国民たちから叩かれる。国民同士で足引っ張り合ってるなら団結なんて無理。1人の力なんてたかが知れてる。

 

 

 

 

 

 

そしてセブンのサマセット刑事の考え持ってる人たちのツイッター見て、初めて自分だけじゃなかったって思えました。よく“理解ある彼くん”って言葉が出てくるけど、私は昔から人に馬鹿にされて生きて来て人と話すの大嫌いだから彼氏で満たされるわけないです。

それを言うなら“理解ある安楽死さん”ですね。

 

 

中学生の頃に眼鏡かけて大人しそうで声も柔らかめなのに結構毒舌な同級生(女子)を知ってるのであまり見た目のイメージで判断しないように心掛けています。アニメイト本店で話しかけてきた男性もそうでした。大人しそうな人だったのに、まさか胸触られるとは思わなかったガーン

店内で触ってくる男がいるんだから異性と二人きりに絶対になっちゃダメ!!!

私が無事だったのが冷静に考えると奇跡。

 

 

 

 

 

自死否定派は「人生を楽しめばいいし、迷惑かけてもいいよ!でも犯罪しない範囲で」ってちゃんと言いなよ。

他人事だから“迷惑かけてもいい”なんて適当なこと言えるんだよ。

 

 

 

自殺否定派「迷惑かけてもいいから人生を楽しめ」

私「誰に?誰に迷惑かけていいんですか?その誰かに確認取りましたか?」

 

 

 

 

極端な話、その自死しようと思ってた人が生きてみようとしたけど、その迷惑かけた相手が逆に病んじゃって追い詰められることもあるじゃん。

誰かが楽しい思いしてるとき他の誰かが苦しい思いしてるんだよ。自死否定者はそこまで分かって言ってる?

人生の苦しみってスパイス程度のものじゃないんだよ。人によってはマグマの中に入れられてくらい苦しいものもある。

何で誰かが我慢しなきゃいけないことを強いるの?

 

そりゃあ完全には無理だけど、変えていくことはできるんじゃない?

誰かが苦しいって言ったときに自死否定することだけが、その人の苦しみを解決する手段ではない。

私は私たちは国を回すための奴隷ではない。

人の役に立ちたいなんて理由で自分の体を労らない奴隷精神の人が多すぎるよ。

 

 

 

犯罪者の自殺否定は分かるけど、それ以外の人への自死否定は本当に本人のため?

 

 

 

 

 

アニメーターの給料問題だって今後も解決しないままならアニメ業界の衰退だって仕方ないと考えています。