つらつらと、自分の情報整理として書きました。なんとなく、書きたいから書きました。


どんな事も、基本的にそうなのですが、興味のある方が面白がってくれたらいいなと思っています。無理して読まなくていいですからね😊🩷フォローだって、投稿を見るのだって、どうぞいつも自由にしてくださいね。

🌼nioキリストの墓へ行くの巻〜🌼

東京出展の後、仲間や百貨店スタッフの皆さまのご協力もいただき、nio活動で最短の片付け時間にて愛しき日本橋三越さまを出ました。
台風ですか?という暴風雨過ぎて笑ってしまう状況の中、用をなさない傘を早々に閉じて東京駅まで移動し、青森行きの最終新幹線はやてに乗車。故郷青森への旅へ出ました。
帰るのはなんと12年ぶり。
とりあえず、五戸町に暮らす母も兄も元気で一安心でした。


今回の旅は、自分の中で、自分のルーツを知りたいという思いがありました。
昨年から仕事で使うプロフィールに出身地の「五戸町」を入れたのですが、その3文字によって、そこに突っ込んでくださるお客様方と何度も遭遇することになりました。
皆さんが共通しておっしゃるのが、私の出身地五戸町、、、ではなく、お隣りの「新郷村」のミステリースポット「キリストの墓」。
行ったことないけど、存在は知っていた場所。
声をかけてもらう度に、あんな怪しい場所をみんな知ってるんだ〜、へ〜、くらいに思っていました笑。

そしてこの新しい3文字を足したプロフィールをかかげて一年、今までの中で一番多く全国各地へ行きまくった昨年となり、その年末12月、岡山出展後に仲間たちと訪れたのが岡山のサムハラ神社でした。



サムハラ神社参拝後に、仲間たちと小高い場所にある御神木や展望台で良い風を感じまくった後に、たまたま出会ったサムハラ神社の案内人の方とお話をする機会を得たのでありました。

そこでまた出て来たワードが「キリストの墓」です。
また来たな!と思いつつ帰宅し、3日後の私の誕生日に、
娘から「母ちゃんの誕生日やからな、好きな所どこでも連れて行ってあげるで!」のハッピープレゼントをもらい、旦那ヒロシにレンタカーを調達してもらい向かったのが奈良の「天川弁財天」。



「私の名前は「奈央」なのですが、なんで奈央(奈良の奈に中央の央)なんだ?からの強い衝動から、かなり前から行きたかった「奈良の真ん中らへん」なわけです。

そういえば一昨年2022年12月の岡山出展でご一緒したタウの木ヨウイチさんとbottegaruanルアン君がまた奈良県在住で、ヨウイチさんのアトリエたかばたけサロンを訪れて感動し奈良熱が加速した2023年でもありました。
その天川弁財天への道中です。運転してくれていたヒロシが道を間違えてバイパスからおりてしまいました。たまたま出て来た案内板、そこに書かれていたのがサムハラ神社でお会いした案内人の方が「行くといいですよ」と教えてくれていた「石上(いそのかみ)神宮」!



で、わ!あった!帰りに寄ろうよ!と車中で歓喜していたその時です。
雷に打たれたように私の頭の中にやって来たのが「おじいちゃんの故郷は戸来村だよ」というワードでした。
慌てて地図アプリで検索すると、戸来(へらい)とはドンピシャでキリストの墓のある地区なのです。
うわー、あちこちで色んな人が伝えてくれていた場所はおじいちゃんの故郷じゃん、行ったほうがいいやつじゃん。
というわけで行きました、キリストの墓。



だから何?だと思います笑。
でも私はこの場所に行ってみてとても気がすみました。

「衝動」と「気がすむ」このことがとても自分の人生を豊かにしてくれている気がしています。


そしてこの旅に出たことで、だいぶ前に亡くなっている父方のおじいちゃんとおばあちゃんの人生の情報が更新出来ました。
おじいちゃんは青森から志願して、関東の兵隊の訓練所に。そこに千人針を持って慰問に来た当時女学生だったおばあちゃんと出会った。

出兵し満州にて、明日には片道の燃料しか無い零戦に乗ると決まっていた日に終戦になった。
おばあちゃんは東京大空襲で妹をおんぶして走って逃げ、分かれ道を曲がって命が守られた。分かれ道を反対に向かった人たちはみんな空襲で亡くなってしまった。

終戦後もしばらく帰って来ないおじいちゃんを、もう亡くなってしまったんだろうなと諦めて東京で働いていたそう。


おばあちゃんが生まれたのは東京江東区深川。

私がお仕事で行く日本橋三越さんはおばあちゃんがよく行っていた場所。
その後亀戸に移って、満州から引き上げて来たおじいちゃんと一時住んでいたのは茨城県の龍ヶ崎。
なんとなくご縁があるなと感じていた地全てが、おばあちゃんが居た場所とドンピシャでした。
相当なお洒落さんだったおばあちゃんは、戦後に五戸町へ降りたった時には、当時は珍しいヒールの靴で田舎の人たちに驚かれたそうです。

おばあちゃん可愛かっただろうな。


今回の出展で目にしたのが、創業350年を迎えられた三越さんの新館入り口の大正14年のポスターです。

もしかしたら、いや、確実におばあちゃんも現役で見たポスターだなと感慨深いです。

空襲でも残った本館で、今時々仕事が出来ているというのもまたなんとも感慨深い。


勝手に自分のルーツを紐解いていってわかったのは、自分の命は奇跡だということ。
私一人の命が奇跡だということは、今生きている人たちみんなもそれぞれの命は奇跡の集合体。
繋いで受け取って来た命、無駄にしてはいけない。
たいそうなことが出来るわけではありませんが、この命を大切に生きたい。
どんな人にもルーツがある。
みんなの命も大切にしたい。
戦いの無い、平和な世界を守りたい。
だからと言って極端に振れすぎず、じんわりと、自分の中にある温かいものを広げていきたい。
そんなことを強く思う2024年春です。



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