本日は私、清水易の1人語りどす。
よろしくお願いします。
てなわけで、彼↓、やってしまったの、、、
思えば去年、彼は異性関連のトラブルを起こしていたことが発覚したわけだ。
彼だけではなく、他の球団にも女性絡みの「犯罪」、パワハラやいじめと称した「犯罪」によりそれ相応の処分を受けた選手がおったな。
ただ彼の場合、ほぼお咎めなしのような状態だったね。
これにはろんほんも首をかしげとった。
で、今回この問題が出てきた。
ろんほんはこのことに対し私に尋ねてきたよ。
「やはり去年のことで適切な処罰がなされなかったため、巡り巡って今回の問題がその報いとして出てきたんですか?」
私は易経を使ってこう説明した。
「この一件に関してはそうだと言えるね。山水蒙の上爻が出たで。この期に及んでやって良いこと悪いこと、言って良いこと悪いことが本当に分かっていないし、結果成果を出せば自分は何をやってもいいんだ、何を言ってもいいんだと本気で思い込んでいる。厳し過ぎず、かといって緩いものではない、適切な処罰がどうしても必要だ。なぜ厳し過ぎずとしたのか。もしそれを実行すれば逆ギレを起こしかねないからだ。語弊になるかもしれんが、それだけ彼がどう対処していいか分からん厄介な人物だということだ」
この説明で、ろんほんは納得したような表情をしていたよ。
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先ほども出したが、結果成果を出せば何をやっても許される、そう考えてる人は多いんだろうな。
殊、スポーツ分野であれば結果主義、成果主義、実力主義、まだまだ他にも言い方があるかもしらんが、とにかく結果成果で良い悪いが判断される。まぁ、当然ではあるが。
一方で、日本の成果主義、結果主義なるものは、本流である欧米のそれを上っ面だけ汲み取ったものでもあるんだ。
違いは何か。それは結果、成果を出せなかった人に対する捉え方にある。
欧米の場合→「あの人はこの場所、この分野では成果を出せなかった。一方他の場所、他の分野では出せるかも」
日本の場合→「あいつはダメな奴だ」
前者はあくまで「ここでは」ダメだっただけ、後者は「どこでも」ダメな奴、そういう捉え方になるんだ。
今回取り上げた彼や、犯罪、あるいは犯罪とまでは言わないが不祥事を起こしてしまう輩がワサワサ出てくる原因の一つは、この違いにあるんじゃないかな。
今回は以上どす。
清水易がお送りしましたぞ。
(このような話をすると一部「出羽守」「なら、日本から出て行け」とのたまう者が現れるかもしれん。たださ、良いもの、良い考えは取り入れてもいいんじゃないかな。事実今回紹介した欧米側の「捉え方」は、極めて健康的だと思うが。
何でもかんでも「出羽守」だ何だ言っていたら、一個人も世の中もおかしくなっちゃうぞ。)
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いつもありがとうございます。