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にのりんぐ

ninoとみんなでつくる輪(りんぐ)

皆さんは、

「在宅患者なのに、なんで救急に来るの?」

「なんでさいごまで家で診ないの?」

という思いを持ったことはありませんか?

恥ずかしながら、僕もかつてありました。

ですが、在宅患者でも、適切に判断されれば、救急搬送然るべき、ということを、

在宅医療の立場から経験していますので、報告します。

~~~~~

 

 

去る10月26日、救急医学会でポスター発表をしてきました。

救急病院の勤務医から、現在在宅医療に従事している僕の立場から、

救急医療に関わるスタッフのメッセージです。

 

『在宅からの救急搬送例に学ぶ在宅医療の意義』

 

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冒頭及び以下は、実際のプレゼンと同じような内容です。

 

~~~~~

当院は、外来から、看取りを含めた在宅医療を行う無床診療所です。

2016年の1年間で診療した在宅患者297名のうち、救急搬送した74例について分析しました。

 

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年齢層は、やはり高齢者が多いですが、

重度心身障がい児を含め、文字通り0歳から100歳まで。

背景疾患は、慢性疾患がほとんどです。

一般に在宅でイメージされやすい癌終末期は、4例のみでした。これについては後述します。

 

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搬送理由は、発熱+α(呼吸状態不良、意識レベル低下、痙攣)、呼吸状態不良、

転倒による骨折疑いが多く、以下、ご覧の通り様々です。

いずれも、在宅医が一度診療し、改善の可能性が見込めると判断したものです。

一方、心肺停止での搬送が3例ありましたが、これも後述します。

 

搬送先での診断はこのようになりました。

結果的にも、搬送の判断が妥当だったと言えるものがほとんどでした。

 

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搬送後の転帰は、実に2/3近くの例で在宅または元の施設に戻っています。

しかも、その多くは20日未満と、比較的短い入院期間となっています。

これは、いわゆる“出口問題”に悩む急性期病院にとっても、

患者さん・その家族にとっても、大きなメリットと言えると思います。

 

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癌終末期の方の搬送例の検証です。

・膵癌の方の発熱、疼痛、ショック。診断の結果は腫瘍熱疑いで、入院せずに帰宅し、

 約2か月後、在宅で看取りました。

・腹膜癌の方の腸閉塞疑いで搬送した例は、搬送先で1ヵ月後に亡くなりました。

・肺癌の脊椎転移による対麻痺が急速に進行した方は、搬送先からホスピス病院に

 転院しました。

・食道癌の方の鼻出血での搬送は、止血処置をして帰宅しました。その後間もなく、

 在宅で亡くなりました。

このように、癌終末期とはいえ、いわゆる“最期を丸投げ”というような搬送ではなく、

概ね妥当な判断での搬送と言えると思います。

 

続いて、心肺停止での搬送例の検証です。

これは3例全て同一施設で、①食事中の誤嚥による窒息、

②心不全のある方の急性心疾患疑い、③元々かなり状態の悪い方のnear CPAでした。

いわゆる急変に近いものでもありますが、当院と施設スタッフ及び家族との話し合いが

不十分で、当院に連絡する前に救急車を呼んでしまった、という状況でした。

そのあたりが改善されれば、穏やかな看取りを含め、より良いマネジメントが

できるのではないかと思います。

今後、スタッフへの教育を含め、我々の課題でもあると思います。

 

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結語です!

「在宅患者=救急医療の適応外」では決してありません!

在宅患者の場合、急性期病院からの退院もスムースであり、在宅医療が救急医療の適正利用に寄与していると言えます。

在宅医療は、“看取るため”の医療ではなく、“さいごまで生きることを支える”医療です!

その目的のために、救急病院の先生方の協力は不可欠です。

私たち在宅医療も、救急医療を支えていきます。

どうぞお互いに、よろしくお願い致します。

~~~~~

 

 

いかがだったでしょうか。

僕自身、これまでの学会発表の中では一番自身のある内容で、

一番伝えたいメッセージでした。

聴いてくれた人からのリアクションはとても良かったです。

 

「こんなに意識高くやっているクリニックが、各地域にもっと増えたらいいですね」

とも言われました。やった!!

 

在宅医療の実際を、救急医学会で発表したことに、大きな意味があると思っています。

これからも、現場での仕事はもちろん、色々な形で発信していきます!

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実家にあった古い電子キーボードを、子たち用に自宅にもらって来ていたのですが、
ここはいっちょパパもきばってみようと思い、楽譜購入してみました。
 
目標(だけ)はでっかく、弾き語り!(笑)
 
 
最初に浮かんだのは、X JAPANだったのですが、
仮にピアノができたとしても(それだけでもハードル高い)、
TOSHIの声は凡人が踏み込むことのできない領域だと思っているので、
カラオケでも比較的歌いやすい尾崎豊にしてみました。
 
あいら〜びゅ〜♫
 
 
一応、4歳から10歳までは細々とピアノやってたんです。
姉と兄がやってたからなんとなく僕もやってたけど、あんまり好きではなく、
しかも10歳から野球に目覚めて、その年頃の男集団にありがちな、
男がピアノなんて〜みたいな感じが嫌で、やめちゃったんですよね。
 
大人になった今振り返ると、もったいなかったな。
続けていれば、今頃はYOSHIKIのように…(違
 
 
ともあれ、ゆ〜っくりと、頑張ってみます!
いつか、いつか、いつの日か、ここでお披露目できれば、します(笑)
 
福岡市内8校OB野球に行ってきタ!
昨年に続き2回目の参加。

1年ぶりの、母校のユニフォーム!
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個人的にはなかなか良いピッチングができたと思うけど、
いや、こう言ったらアレだけど、、、
守備の乱れでけっこう点取られた(笑)

ま、60歳超の大先輩も参加する“オトナ野球”だから、
こういうのは折り込み済みってコトにしとかないとね。


これで、今シーズンの野球の機会は終了。
でも、これからもできるだけパフォーマンス落とさないよう、
日々のトレーニングを続けていきます!

息子たちが野球に興味持ってくれた時に、パパのカッコいい姿を見せたいもんね!
一応、ブロガー歴長いんですが、
ブランクが長かったので、もとい、“活動休止”状態が長かったので、
改めて、僕のプロフィールっていうか、やってる仕事とか、
今居る立ち位置とか、書いておこうと思います。

ここ数年で変化もあったし、バックグラウンドを書いておかないと、これからここでする話も、内容がうまく伝わらないこともあるかもしれないので。


ということで…
nino、35歳。
えー、医者です(笑)
10年目の医師。
初期研修2年を終えて、大学病院救命センターで2年、市中病院救命センターで1年、
それから初期研修の病院に戻り、消化器内視鏡を2年半くらい、
その後集中治療センターに移り1年半くらい、
そこで病院を退職し、今は、外来・在宅医療をやっているクリニックに勤めています。
内視鏡始めた頃から、週1回外勤で行っていたクリニックです。

また、この4年くらいは、南の島の離島医療にも縁があり、今も月1回程度、だいたい4〜5日の応援勤務に行っています。


学生時代は野球部。ピッチャー。
現在の趣味は、ランニング。
野球は、年に数回、試合のチャンスがあります。

家族は、妻、長男、次男。
娘が欲しいです(笑)


こんな感じかな。ざっくりと。
あとは、また、追い追い。

在宅医療のこと、離島のこと、離島医療のこと、家族のこと、趣味のこと、などなど、色々と、気の向くままに書いていきたいと思います。

夜露死苦。
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モニラン!4.5km!
大好物のモニラン、まだまだ続けてます。
ってか、生活の一部です(笑)

最近、これまでの
【水+スポーツドリンクの粉+かぼす果汁】
から、水を減らしてその分トマトジュースを加えるようにしてみました。
イケる!!

お久しぶりです・・・

 

えー、、、10ヶ月ぶりw

そんで2017年初w

というか2016年は、わずか2回の投稿w

 

久しぶりに管理ページ開いたら、記事の書き方も変わってましたw

 

いやはや。

まぁ途中経過は省きますが、思うところあって、このブログを、『にのりんぐ』を!

やっぱりちゃんと書き記していこうと、やんわりと決意した次第です。

 

 

学生時代になんとなく始めた、旧ブログ『にのろぐ』。

結婚を機に現ブログ『にのりんぐ』に移りました。

参照記事

 

自分の言いたいことを形にして、

暇つぶしに読んでもらったり、くすっと笑ってもらったり、惚れられたリ、

うんうんと頷いてもらったり、たまには異論・反論もあったり、

“読者の方々がちょろっと寄り道して、時々僕とちょろっと交流する場所”

みたいな位置づけになっていた、と言えばいいのかな。

あるいは、自分が書いたことを自分が見返して、こんなことあったな、こんなこと言ってたな、

という、いわゆる普通の日記的な意味もありました。

 

SNSが発達し、僕の場合は特にFacebookを活用するようになり、

ブログよりも敷居が低く、簡単に投稿できて、しかも見てる人が多く居て、

いいね!やコメント等のリアクションが簡単に得られる、などなど、

“発信したい欲求”みたいなものは、ほとんどそっちで満たされていました(笑)

 

ただ・・・何かもうひとつ、やっぱりブログはブログで、違うんですよね。

“自分の場所”として、ちゃんとした形として、創造していきたい。残しておきたい。

 

 

というわけで、『にのりんぐ』の nino として、“活動再開”します。

 

ちなみに、芸能人とかバンドマンとかみたいに、“活動再開”という言葉を選びました。

僕、ネットアイドルなので!(´∀`)

 

ではまた、近いうちにここでお会いしましょう!

 

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この写真。

 

僕が小学2年生の時だ。

姉、兄、弟、4人兄弟全員が並ぶ。

その後ろのテレビ画面に映っているのは、西武ライオンズ時代の清原。

優勝が決まり、歓喜の輪に走るまさにその瞬間である。

その時を狙って、父がシャッターを押したものだ。

構図といい、タイミングといい、今振り返っても、ナイスショットだと思う。

 

 

僕が野球に目覚めたこの年。

その前から清原ファンだった母の影響で、僕の野球人生は、清原ファン、そしてライオンズファンからのスタートだった。

 

僕自身がその後ホークスファンに変わっていっても、清原がジャイアンツ、バファローズに移っても、そして引退しても、時にはその行き過ぎた言動に嫌悪感を抱くこともあったが、何をやるにしてもその圧倒的な存在感で、豪快な打撃で、僕の心を魅了し続けた。

 

引退後、自叙伝も読んだし、525本全ホームラン映像を収めたDVDも買った。

 

 

薬物をはじめ、よからぬ報道があった時には、どうせ週刊誌の書くことだろう、みたいに、どこか現実でないもののように感じていたように思う。

 

 

 

 

今年2月、逮捕を知った時には、ただただ驚き、事実を受け入れるのに時間がかかった。

その後しばらくの間にネット上に出てきた清原にまつわるニュースは、全て読み尽くしたんじゃないかっていうくらい読んだ。

(そのひとつひとつが事実かどうかは別として)

そして、色々な事を知るにつれ、悲しさが増した。

母も、同様に悲しんでいた。

 

 

久しぶりに、ホームラン映像のDVDを見た。

映像で見る清原は、当たり前だが、かつて僕を魅了した姿そのままだった。

 

 

 

 

2016年12月29日

今夜のテレビで、清原のロングインタビューを見た。

 

 

逮捕より数年前にあった薬物関連の報道も事実であったこと。

両親や当時の妻も、その事実を知っていたこと。

その時の母親の言葉「あんたを私のお腹の中に戻したい」

人生で初めて父親に殴られたこと。

 

 

逮捕後初めて、自分の言葉で語る清原の姿に、嘘はないと信じたい。

 

 

清原自身の思い、そして清原に対する家族や周りの人の思いなどを、テレビで発した言葉から想像すると、辛く、悲しかった。

 

 

 

清原自身の甘さ、罪の重さは大前提であるし、反省や後悔、強い意志といったものだけで克服できるものではないし、これからも想像を絶する苦しみがずっと続くものだと思うけど、絶対的スーパースターに夢を見た一野球人として、厚生を、復活を祈っています。

2016年11月17〜18日
救急医学会の総会に行ってきました。
自分のポスター発表(一例報告)もあったのですが、それはまぁいいとして。
ある発表について書きます。


学会に先んじて、抄録集(目次+発表の内容まとめみたいなやつです)に目を通していたら、僕の友人である後輩医師が出している口演を見つけました。


ただ、この友人が今学会で発表することはありませんでした。

学会でこの発表をするために、半年ほど前に演題を登録し、受理されたけど、その学会の約ひと月前に亡くなったのです。


学生時代に病気を患い、医師になってからも何度か再発し、その度に病と闘ってきました。
僕は、彼が研修医時代に知り合い、以降病気のことも含めたまに近況を聞きながら、彼の仕事への情熱に感心しつつ、病気の心配をしていました。

どうしてるかな、でもあんまり病気のことを聞くのは憚られるかな…と思っていたところでした。
先月、訃報を受けました。



彼は救急医を志していました。
治療を受けながらも初期研修を修了し、その後も病と闘いながら、一定期間治療に専念したり、治療と並行して仕事に邁進したりしていました。
自身の仕事のみでなく、院内の他スタッフへの教育や、市民への普及活動などにも、かなりの力を注いでいたそうです。



そんな彼の人生を、同じ病院の医師が代わって学会で発表してくれました。

実は、発表してくれた先生も他の関係者も、今学会に演題を出していたことを知らなかったそうです。
口頭で引継ぎのようなものがあったわけでもなく、スライドが残されていたわけでもなかったそうです。

「彼の気持ちを汲めたかどうか分かりませんが…」と言いながらも、志半ばで人生を諦めざるをえなかった彼の希望を、共に働き近くで見ていた人の立場から、こういう形で果たしてくれました。


「このような発表は学術集会の発表として相応しくないかもしれませんが…  許可してくれた当学会に感謝します」
といったことを、発表した先生は仰っていました。
それもひとつですが、僕は、演題を取り下げることなく、彼が伝えたかったであろうことをこのような形で発表し、救急医学会において確かな形として残してくれたことに感謝したいと思います。


『いま、私にできることはなにかー癌治療と救急医の両立ー』
というタイトルでした。


僕たちにできること。
僕にできること。


彼の思いを忘れることなく、精進しなければと思います。


※ 彼の思いを継ぐために、よろしければ、リブログや、Twitter、Facebookなどでのシェアをして頂けると幸いです。
モニラン!4.6km!

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さぁ今日から夏休み~13日

本日8日
新幹線で大阪へ。
親戚宅でお食事、子たち初披露。ホテル泊。

9日 家族+親戚の20代美女2人と一緒にUSJへ。ホテル泊。

10日 大阪で何かして(多分海遊館?)帰福。

11~12日 長男と2人で壱岐へ、男旅。
海近くの民宿泊。

14~29日
夏休み明けは、いつもの南の島応援勤務。
最初の3泊4日は、初の家族同伴!
この期間は当直外してもらうようお願いしました(笑)
代わりにそれ以外の期間バンバン当直します!( ´ ▽ ` )


写真は、最近のパパ子の日課。
朝に濃密なアイスコーヒーを飲むために、夜コーヒーを淹れて一晩冷やしておきます。

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本日の朝ご飯は、パンとコーヒーと牛乳でした。

We are X.