住宅総合展示場妻の希望で、住宅総合展示場というのに初めてに行ってみた。なかなかに楽しいw入って見せてもらったうちのひとつのモデルハウスのスタッフがランニング好きなおじさんで、ランニング・マラソン関係の話から、それにまつわる家庭での話でかなり盛り上がってしまったww今度、同じ海の中道のマラソン大会の10km部門に、娘さんと一緒に出るらしい。我が家と同じく、洗濯物が多くなると妻からは不満を言われているらしいwちなみに、家を建てる予定は今のところないw
今夜の妻ご飯2015/02/05インフルエンザ病み上がりでなかなか体力が…そんな時も妻ご飯。Facebookによく上げている「今夜の妻ご飯」シリーズ。けっこう好評(笑)ブログにもこうやって記録していこうかな。
A年が明けて一発目の記事がもはや1月末。放置しすぎ・・・ってブログ書く度に言ってる気がしますね。ちょっと1週間ほど振り返ってみます。1月25日(日)モニラン 6.4km~休日当番の午前外来終えて家族と公園へ。オンコールで夜中呼び出し。1月26日(月)午前中、内視鏡室の片隅でこっそり束の間仮眠取るw午後はなかなか充実した仕事。17~21時まで当番の外来。まずまず順調に終わる。1月27日(火)上記の流れでけっこう疲れてたけど、睡眠欲より走欲が勝りモニラン。軽めの3.7km。日中普通に仕事。なんか鼻水出る。眠気が襲う。やっぱ疲れてる時はモニラン休んで寝るべきだったなーなどと思う。長崎の関連病院での当直~翌日午前胃カメラ勤務のため移動。体が“なんかおかしい”。嫌な予感。電車に乗る頃には寒気。全身の筋肉痛。予感が強まっていく。長崎の病院に到着。夜間外来患者診た合間に自分の熱測る。38度超。予感が確信に変わる。とにかく寝たいが、こんな時に限ってしょーもない外来がちょこちょこ来る。カロナール飲んで一晩乗りきる。1月28日(水)当直をふらふらで乗り切った朝、鼻に綿棒みたいなの突っ込んでもらい、検査。インフルエンザA型確診。僕より少し先んじて熱発していた息子二人ともインフルだったと妻よりメール。やっぱりね。。。午前の胃カメラは代わりを立ててもらうようお願いし、ひとまず長崎の当直室でそのまま寝る。っていうか寝込む。そこの病院の事務の人たちがアクエリアスのペットボトルを持ってきてくれたり、昼にお粥を持ってきてくれたり、挙句には今日電車で帰るのは大変でしょうからこちらにホテル取りますので、とまで言ってくれて恐縮する。さすがにホテルまで甘えるわけにはいかないので、昼過ぎどうにか体を起こし、カロナールを飲み、駅まで車で送って頂き、電車で帰福。(インフル罹患者が電車に乗ってました。同乗者の方々すみません)(もちろんマスクはしていました)帰宅後、寝る。ちょっと食べて、寝る。尿に行く回数が少なく、出る尿は明らかに濃いw水分摂らなww1月29日(木)相変わらず高熱。きつい。寝る。ちょっと食べる。寝る。夜には下火・・・の予感。1月30日(金)朝からだいぶすっきり。ぼちぼち普通の生活動作ができる。食欲も少し出てきた。頭がかゆくなる。4日ぶりに風呂に入る。くっそ気持ちいいwwwww1月31日(土) 引き続き改善傾向。もはや普通の人。 ←今ここ。ということで普通の人です、こんにちは。明日の日曜からオンコール、夕夜診を遂行する予定です。しんどかった~。。。振り返ると、疲れてる時にしっかり体を休めることが大事だな、と反省。発症の日にモニランせずに寝ておけば、もしかしたら、かからなかった、なんてことは、ないかな・・・σ(^_^;)
今年の漢字2014今年の漢字!!去年もやったから、今年は何にしようかな~と最近考えてたら・・・浮かんだ! 救救急科専門医取得!内視鏡の鍛練で、危ない人を救う術が少し増えた!内視鏡だけでなく、色々な人を救うための仕事を頑張った!家族に、周りの人に救われた!医局対抗野球では惜しくも負けた! ←キュウ違い次男が生まれた! ←「救」じゃないけど言いたかったwということで、2015年も多くの人を救えるように、僕を救ってくれる人に感謝しながら頑張ります!facebookにアホなこと書いてばかりでブログ放置もいいとこですが、今年一年のご愛顧ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。2014年12月30日 nino
南の島再び去年10月から12月までの3か月間、離島研修で働いた “南の島” に、今回再び働きに来ていいます。今度は、“応援勤務” として、11月7日から21日までの2週間。僻地や離島では、なかなか医者が少なくて、初期・後期研修医の「研修」として、また今回の僕みたいに「応援」として、週単位~月単位で人を集めて回していなかいと大変なんですね。去年ここにいた3ヶ月。9月30日に初めて上陸し、こちらの仕事や人に慣れていきつつも、数週間でホームシックになり・・・(笑)(いや、当時はホントに笑えなかったんだけど)周りの先生が見かねて帰省許可をくださり、11月初めの連休に2泊3日で福岡の家族に会いに帰りました。そこでエネルギーを補給し、年末までの残り2ヶ月、仕事にも、こちらの人にも、生活にも慣れ、寂しさはランニングとたくさんの楽しい飲み会で紛らわし、年末までの2ヶ月を乗り切りました。おかげで、島から帰った後は、その前よりも家族に優しくなったような気がします(笑)仕事の面でも、色々な状態の患者さん――重症の救急疾患や、軽症~中等症の色々な疾患、終末期から看取った人―を看護師さんやリハビリスタッフさん達に知恵を借りながら対応したり、看護師さん向けの勉強会を企画したり、地域での健康講座(福岡でもやっている終末期についての話)を仰せつかったり、なかなか充実していたし、とても良い経験になりました。自分で言うのはアレなんですが、周りの職員の方からも、それなりに信頼して頂いていたとも思います。12月30日、僕が島を離れる時の病院玄関での見送りには、院内各部署のたくさんの人が集まってくれました。後ろ髪引かれる思いと言いたいところでしたが、僕にはその後ろ髪がありませんでした。そして今回、短期ですがこちらに来たことを、色んな部署の方から喜んで頂きました。「先生、おかえりなさい」 と言われ、「ただいま!」 と返す時の嬉しさ。ありがたいですね。今回の2週間のうち、もうあっという間に半分が過ぎました。珍しい疾患を拾い上げてほぼ診断をつけて治療したり、内視鏡の経験を活かせたり、明日にはまた健康講座での講演を仰せつかったり、今のところ、良い仕事ができています。そして、飲み会もぼちぼち楽しんでいます(笑)残りの仕事も、飲み会も、ランニングも、自分の身の丈の限り、頑張ります。
救急科専門医救急専門医試験に合格しました。今年初めに勤務期間・施設などの申請 (一次審査)、5~6月頃に経験が必要な症例や手技の記録 (二次審査)、そして9月に筆記試験 (三次審査)・・・これが最難関。8月頃から、大好きなモニランをうんと減らして、その分の朝の時間を勉強に充てて、仕事しながらどうにか時間を確保しようと努めました。8月終わりからは、時間確保と願掛けみたいな意味も込めて酒を断つぞ!と意気込みましたが、逆にストレスで頭痛とか眼痛とか出るようになったので、逆に健康のために2週間ほどで酒解禁しました(笑)久し振りに飲んだビールは、くっそ旨かったです(笑)9月に東京で受けた試験は、なかなかに難しかったです。けっこうシビアな試験だとは聞いていましたし、実際にこれまで不合格になったという人も複数知っているので、それなりには勉強したつもりだったのですが、それでも手応えは微妙でした・・・その結果が先日届き、無事に合格していました。ちなみに、学会からの通知は、「救急科専門医として認定するから新規認定料●●円払いなさい」といった文面の紙切れ一枚でした(笑)せめて合格通知と認定料の請求は別の用紙にしてくれ(笑)ともあれ、ほーんとにほっとしました。初期研修2年間の後、救急専従を3年間。今は、がっつり救急からは少し離れて内視鏡をやっていますが、救急をやっていてよかったと思っていますし、“救急医でありたい” という思いはずっと持っています。やってきたことの“証”みたいなものを、初めて形として持つことができて、本当に嬉しいです。休日に前勤めていた大学病院に行って過去の症例を集めながら、こんな患者さんいたな~、と回顧したり、こんなに勉強するチャンスたくさんあったのに逃してたな~、と反省したり、試験勉強しながら、俺こんなことも知らない・・・と愕然としたりして、当たり前だけど、まだまだ勉強せないかんなーと思いました。救急の仕事において、指導して頂いた先生方。看護師さんやコメディカルスタッフさん。一緒に楽しく働いた後輩たち。地域の救急隊の方々。特に大学で働いてた時にはよく飲みに付き合ってくれた学生さんたち(笑)(今や皆立派なお医者さんですが)そして何より、僕が関わってきた多くの患者さん。試験に向けて勉強している時間でもそうでしたが、合格の報せを受けてからさらに、色々な記憶と共に、感謝の思いがこみ上げました。どうもありがとうございました。これからも精進します。
医療のベクトル縁ある先輩のお父さんが亡くなったので、先日、通夜に参列してきた。同年代の人の親御さんが亡くなることが、少しずつ現実的になってくる。必然的なことなのだけど。残念だ。実は、(結果的に)亡くなる数日前に僕に連絡があり、父がやっている(僕も週一回勤めに行っている)診療所に、在宅診療をできないかと相談を受けていた。(この時に初めて、1年少し前から闘病していることを知った)話を聞いてからすぐに動いて、その体制を整え始めてはいたのだけれど、悪くなるスピードが思いのほか早く、結局、病院でバタバタと息を引き取ったそうだ。治療する側の医療者が、もう少し早く、最期を意識した方向性を説明し、動き始めていれば・・・(必ずしも在宅という形が絶対というわけではなくて)そういった意味で、医療者としても実に残念だった。治すために積極的な治療をするベクトルと、“軟着陸”を目指すという緩和的なベクトルと、それらの向く先はもちろん違うけど、ここまでがこれ、そこからがそれ、ってきっちり分けるべきものではなくて、それらが共存しちゃいけないなんてことはなくて、両者が並行して動く時期があってもいいと思う。積極的治療をする医療者は、治療困難な場合を想定して、できるだけ早くから現実的な段取りをしてあげる必要があり、それを受ける側の、最期を支えるケアを提供する医療者も、それに応じて早く動いてあげることが大切なんだと感じた。医療者としてそのどちらに関わることもある僕にとって、色々な思いが巡った。
最愛長男の幼稚園が夏休みに入ったので、妻子たちが帰省しており、僕が週末だけ妻の実家に出向くという “週末婚” 状態の我が家族(笑)今日は、昼前の炎天下の中、次男が寝ている間に僕と妻と長男と三人で散歩へ。虫取り網を持ちながら虫取りをしつつ、長男はセミにビビりつつ(笑)、図書館で本を借りて、次男がいるので妻はここで一足先に帰り、僕と長男は二人で蕎麦屋に行き、また散歩しながら帰り、家(妻の実家)で遊びつつ昼寝。。。そして、夕ご飯を食べて、自転車の練習をしながら近くの公園に散歩・・・という日曜日を過ごした。「よし、パパそろそろ帰るね」…「だめ!」帰り際、長男とのこんなやり取りを何度繰り返しただろう。さ、また明日からの1週間も頑張ろう。