3月27日(水)  7~15℃  ☀

 

首を長くして待ってました笑 快晴☀の日が来るのをルンルン音符

久しぶりの快晴合格合格合格合格合格合格

 

ローソンで当選  未交換。

    ファミマで当選 未交換あせる

 

4:30に自宅を出発~。

 快晴の下、日帰り旅行へ・・・出発進行~ルンルン

 

5:00発の西明石行き。

 

大阪発の始発列車~ ルンルン乗った時から~音符(by津軽海峡冬景色のメロディで)

      ワクワクルンルン  ルンルン音符

大阪⇒塚本⇒尼崎⇒立花⇒甲子園口⇒西宮⇒さくら夙川⇒芦屋⇒甲南山手⇒摂津本山⇒住吉⇒六甲道⇒摩耶⇒灘⇒三ノ宮⇒元町⇒神戸→兵庫⇒新長田⇒鷹取⇒須磨海浜公園⇒須磨

 

大阪の日の出は5:51なので、丁度 須磨駅の時間ね~ラブラブ

垂水⇒舞子⇒朝霧⇒明石⇒西明石

 

途中の須磨界隈から海キラキラが近くてラブラブ ワクワクルンルン

6:09 西明石着。

  6:18発の姫路行きに乗り替えて⇒ 6:54姫路着

姫路には何回も来てるけど、新快速か? 新幹線で通過か? の二択。

各停で着たのは とっても新鮮でしたウインク

 

でも 駅前に無粋なビルが建っていてムキー白過ぎ城 白鷺城の写真が撮れなくて残念泣

 

7:05発三原行き↓ 阪神間では見かけない?黄色の可愛いボディでした合格

それが・・・とっても古い車両だったらしくてあせる

リクライニングなしあせる、背中も座面も固めの 直角椅子ゲッソリゲッソリゲッソリ

パパがネットで調べたところ、1975年製? 西日本で最も古参車両の1つだとか?

    詳細は知らんけど・・・あせる。とにかく、古い~てへぺろ

レトロ感満載キラキラで、いい味出してるじゃんルンルン旅情をかき立てられるわ~合格

窓を開けて、駅弁も買えそう~笑

 

でも・・・数駅先で、向かい側に客が座って以降あせる

   お互いの脚がぶつかりそうで 狭さを痛感チーン

電車の振動音も大きいしあせる、暖房もイマイチ効いてない?あせる

  昔の旅は過酷だったのねぇ・・・あせる

 

兵庫県民なので、県内の駅名は何とな~く聞きかじったことがあるので

ほぼほぼ読めます笑

御着(ごちゃく)、英賀保(あがほ)、網干(あぼし)、相生(あいおい)

 

でも この駅名は読めなかったあせる 7:32

次の駅↓ 上郡(かみごおり)は兵庫県の西端の駅。7:38

大久保⇒魚住⇒土山⇒東加古川⇒加古川⇒宝殿⇒曽根⇒ひめじ別所⇒御着⇒東姫路⇒姫路

英賀保⇒はりま勝原⇒網干⇒竜野⇒相生⇒有上⇒上郡

ここを過ぎると、次の駅は いよいよ岡山県。

 

船坂峠を越えると岡山県ルンルン

最初の駅。 7:49

かつて耐火レンガで栄えた町だそうで、煙突↓は町のシンボルだとか耳

 

3/16北陸新幹線の延伸に伴い、

上郡~三石間12.8㎞が JR西日本管轄内で在来線最長駅間距離になったそうな耳

 

少し西に走ると、 車窓に、田倉牛神社の文字を発見目 7:50頃

 タイミングが遅くてあせる写真撮れずチーン

後からネットで調べたら・・・・ユニークな場所でした笑

 

かつては飼い牛の病気平癒祈願だったが今では家内安全、五穀豊穣など。

備前焼の子牛像をお供えして⇒備えられた備前焼の子牛像一体を持ち帰り⇒

成就後には持ち帰った子牛像と、さらに一体お供えするとか? 境内には30万の子牛像。

 

7:56 吉永駅に停車。少し走ると、巨大な銅像を発見目

 一瞬のことで、やっぱり写真は撮れずゲロー

次の駅はこちら↓  8:01

 奈良時代、道鏡の事件で、

宇佐八幡宮へご神託を聴きに行った和気清麻呂の出身地

後で調べたら・・・さっきの銅像は、清麻呂でした。やっぱりなぁ笑

岡山駅も通って⇒ 8:57 倉敷駅。

倉敷には6年前に来たけど、岡山まで新幹線でその後はバスだったから、ここには降りてないあせる

9:11 こちらの駅↓。ここに宗教団体の本部があるそうな耳

三石⇒吉永⇒和気⇒熊山⇒万富⇒瀬戸⇒上道⇒東岡山⇒高島⇒西川原⇒岡山⇒北長瀬⇒庭瀬⇒中庄⇒倉敷⇒西阿知⇒新倉敷⇒金光⇒鴨方⇒里庄⇒笠岡

9:23 岡山県の西の端の駅↓

県境を通過して、広島県に入りました合格 9:29

大門⇒東福山⇒福山

9:37 やっと到着~合格 電車を降りますルンルン ここまで大阪から70駅てへぺろ

 

十数年前、津和野~萩~下関~門司レトロ~

   岩国・錦帯橋~宮島を巡った、1泊2日の欲張りツアーで、

帰りの新幹線はココ、福山から乗りました。

一瞬だけ見えた福山城を間近で見たかった笑

築城402年。1619年、家康の従弟・水野勝成が初代藩主。

5層6階の天守と京都伏見城から移築した櫓や御殿などが立ち並ぶ。1945年空襲で焼失、

1966年市民の寄付で復元。

城中を見学する時間はありませんあせる間近で写真を撮れて満足合格

 

続きます。