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今日は真面目な日。
近日中に、訪問・視察について講話する機会があるので、メモを兼ねて記録する。
テキトーに読み流してください。
これから車で宜蘭県まで移動する。
台北より車で1時間余り。宜蘭県蘭陽博物館。
宜蘭県の蘭陽博物館は、「海・平原・山」という宜蘭の自然と人々の暮らしを総合的に紹介する博物館である。建物は北関海岸に見られる「単面山」をモチーフにした独特の斜め構造が特徴で、周囲の景観に溶け込むデザインとなっている。
我々のような訪問者に、この地域の概要を伝えるためにちょうど良い場所。
宇和島エリアには、歴史を伝える場所、交流の拠点となる場所はあるが、産業や環境、近代史を記録する場所が無いと感じた。
館長直々に展示を解説していただく。
宜蘭県は、西表島・与那国島の並びで沖縄列島の最西端の島「亀山島」が沖合にあり、漁業農業林業で栄えたエリア。
台湾は山がちな地形で、富士山よりも高い山を擁する。特に東側は平地が少なく、台風、洪水、地震の影響をもっとも受ける地域である。
館内では、黒潮とともに歩んだ漁業の歴史、平原の農耕文化、山地の先住民族の生活などを立体的な展示や映像でわかりやすく紹介しされている。。地域の自然環境と文化が一体となった、宜蘭を象徴する文化拠点である。
通訳をしてくれたジェイソンは、不動産等の投資顧問を仕事とする人で、本日の視察をコーディネートしてくれた溝淵剛さんの相棒的存在である。
蘭陽博物館の一次産業展示は、宜蘭の「海・平野・山」が育んだ産業文化を立体的に紹介している。海のエリアでは、黒潮がもたらす豊かな漁場、南方澳漁港の発展、カツオ・マグロ・カジキ漁、そして日本統治時代に四国の漁民が伝えた突きん棒漁法など、漁業の歴史と技術を詳しく解説。平野では稲作、サトウキビ、茶などの農業と生活道具を展示し、山地では先住民族の狩猟や森林資源利用を紹介している。自然環境と一次産業が地域文化を形づくってきたことを総合的に理解できる内容となっている。
続いて、蘇澳鎮公所(蘇澳市役所)を訪問。
鎮は台湾の行政単位で、市と町の間ぐらい。蘇澳鎮は、人口5万人ぐらいの地方の町。宇和島と似たような雰囲気がある。
慣れた足取りで鎮長室(市長室)に入っていく剛さん。
宇和島出身の溝淵剛さんは、日本と台湾を繋ぐ交流大使をされており、今は特に、宇和島を含む四国西南地域と台湾の相互訪問、文化交流に力を入れられている。蘇澳鎮長とも、その件で頻繁にやりとりする仲のようだ。
蘇澳鎮エリアは、先日の台風による洪水で、甚大な被害を受けたばかり。市役所には災害給付金の手続きや復旧相談の市民が多く訪れる。そんな多忙の中、鎮長に会談の時間をとっていただいた。
蘇澳漁港。
蘇澳漁港(南方澳)は、台湾東部で最も発展した漁港の一つだが、その礎を築いたのは日本統治時代の大正末期〜昭和初期に移住した四国の漁業者である。
愛媛県三瓶町の漁師らは、カジキを狙う突きん棒漁(ハイオ漁)を台湾へ伝え、漁法・船の操船・漁具の扱いを現地の漁民に指導した。黒潮が流れる好漁場で大漁が続き、移民と台湾漁民は協力して漁業を発展させた。
戦後、日本人は引き揚げたが、技術と船は台湾に残され、蘇澳は台湾第二の漁港へと成長した。四国移民の技術継承が蘇澳漁業の基盤となっている。
それから100年。この交流の事実が、日本で広く知られていないのは残念である。
晩は懇親会。
港のすぐ横で、新鮮な海鮮料理をいただく。
お土産をいただいたり、
参加者で集めた災害義援金を贈呈。
漁業文化教育協会の理事長からは、ずっしりした書籍を贈呈していただいた。
あーあ。いつもの祭りが始まった。
こうやって、仲良くなっていくんだよな。
市長をはじめ、各界のみなさま、本当にありがとうございました。
蘇澳市長の李さん。
ご本人はアメリカ留学され、娘さんは日本のことを学んでいるらしい。若くて強いリーダーシップを持っている方だ。
今度は日本で会いましょう。謝謝!
旅の安否報告と自分の日記を兼ねてかいてます。
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