歩くのは四つ足で室内のみ


立とうとすれば足が痛く

バランスが取れない

悔しい気持ちと、不安

毎日、密かに死ぬ事を意識した。



今日、10日ぶりに風呂

入浴した体勢ではバスタブから立ち上がれないから慎重にバスタブの縁に腰をかけ身体中を洗いまくった。


久しぶりのお湯に感動し

泣きながら一生懸命洗った。



こんな事も以前は絶対出来ない事だったし、

2足歩行もつかまり立ちならなんとか出来るくらいに回復


心配してくれる人はいるけど、

もしも、これから障害を持ち生きるのであれば自分は1人で構わない!

大切な人や仲間に負担になって

助けてもらってたら絶対に笑えない

だって、誰かが自分の貴重な時間をさいて介護や面倒をみるって考えたら、

それは、親や子供

近しい身内に対して尽くすのはわかる

自分は意識も言葉もはっきりしていて、誰かが疲れるのは辛い

行政に相談したり、その辺の事はできる

だから、今絶対に諦めたりしない

自分で立って歩いて病院に行くし、自分で自分を守る事や方法を自分なりに模索して

優先順位を決めて書き残してリストにして

少し良くなったら立つ、歩くのリハビリを開始して今の状況から離脱して

誰にも迷惑かけずに

ちからいっぱい生きる。

そう誓った。


今の彼女の事も、大切に思う人々を

見ていたいし関わりたいから




寝たきり状態で色々考え悩み絶望しても

希望を見つけ小さな可能性に賭けた結果

やっと今日に至る


つかまり立ちからリハビリし

何とか自分の車まで行き、必要な買い物に行き、今コンビニでコーヒー飲んで休憩

ここまで出来れば

絶対回復出来る、回復する。



久しぶりに

濃い10日間だった

過去に閉じ込められ

小さな倉庫で、10日間過ごした事があった

窓もなく、小さな穴から木の棒を外に出して伝わり流れてくる雨水を一生懸命すすって過ごした。

7日くらいに立てなくなって、楽な体勢を作って寝たきりになった時も

どれだけ死を意識したことか

隙間から入る灯は

図書館で借りていた小説を読むのに適していため寝たきりのまま何度も読み返して、心配や不安を意識しないようにした。

何もなかったら不安で泣いていただろうと思う

あの時の10日は今より辛かった

食事もなく飲み物もなく

あったのは二回降った雨

雨水が細い棒に当る量なんて

ほとんど無い



何でだろう

生きれちゃう

生き残れちゃう

何度も諦めても



って事は

死ぬなって事だと思う


不思議なもんで

正しく惜しまれる人ほど死に

憎まれ恨まれる人ほど生きる

そんなイメージがある。




きっと、自分は生きて償う事や

そういった、責任が人生についているのだろうと

生きていると感じる度に思う。