数年前の8月のとある日。父の生前にメールが届きました。オバマ元アメリカ大統領の広島表敬に私が感動したとSNSに投稿したことに対する返信でした。

そこには「お前の身内にも間接原爆症に悩み、生涯苦しみ続けて白血病から会社からは怠け者とされ実父の死に目にも会えず、その後70歳で生涯を終えた者がいる」と書かれていました。

その身内とは伯父のことです。父の複雑な家庭事情から私と伯父には戸籍上の繋がりはありませんが父の実兄です。私は会ったこともありませんし名前も顔すら知りません。詳しいことは書かれていませんでしたが地理的におそらく広島で被曝したのでしょう。

父は十代で徴兵され軍に入りましたが戦地に送られる前に戦争は終わりました。父と同年代の人たちが戦地に送られ非業の最期を遂げたり生涯消えない傷を負ったことに比べて何と幸運だったことでしょう。それでも父は決して戦争の話をしたがりませんでした。よほど辛い目にあったのでしょうか。我が家で太平洋戦争の話をするのは何となくタブーでした。それだけに父のメールは衝撃的でしたが私はそれ以上の話を父から聞こうとしませんでした。今思えば、もっと聞いておけばよかった… …

父が亡くなってから、お墓参りのあとに一人暮らしの母に、この話をしました。母と伯父は面識はありましたが父が戦争の話をしたことはなかったそうで、とても驚いていました。

戦後76年。若い人たちは、この国で戦争があったことすら知らないそうです。語り部も年々少なくなっていきます。父も、もうこの世にはいません。

二度と戦争を起こしてはならない。この平和が長く続きますように願ってやみません。

  

2021815 記す

 

土曜日の午後、若くて才能ある若者の訃報を目にした。一瞬、同じ人と思えなくて思わず検索した。
特別にファンだった訳ではないが出演作を幾つか見ていたし、好感の持てる若者だと思っていた。
それが一体どうして…
明けない梅雨とコロナ禍で日々鬱々としていた心に追い討ちをかけられて、さらに心が沈んでいった。
SNSの心ない投稿も引き金になり、涙が止まらなくなってネットを閉じた。

日曜日、起きる気分にもなれずに昼過ぎまで布団を被っていたが実家の母からの電話で目を覚ますと窓の外は青空だった。
何故昨夜、これ程までに動揺したのか?
その答えは友人が投稿していたブログにあった。
訃報は自分がこれまでに体験してきた近しい人たちの死を思い出させるからなのだと。それによって心が勝手に傷つくのだと…
 
自分もかつて自死を選ぼうとしたことがあるから気持ちは分かる。
理由を知ることはないが彼も辛かったのだろう。
それでも!と言いたい。
どんなに苦しくとも生きていて欲しかった。何の力にもなれないけれど…
せめて、彼の魂が安らかにあって欲しいと願います。祈ります。

先月末、不思議な出来事がありました。
今は亡き父が子供の頃に何度か連れて行ってくれた浅草のどぜう鍋店「飯田屋」。子供ですから、どじょうなんか美味しいと思いませんでしたが、何故か大人になってからは一人で通うようになりました。それも週末の昼酒に嵌っていました。ここ数年は一番親しい友人と二人で飲みに行くようになり、先日も久しぶりに飲みに行ったのです。
自分や家族の悩みごとを色々と話して店を出るとお店の人が後を追いかけてきて、「あの、お連れの人は?」と訊くのです。「えっ、何のこと?」と二人で顔を見合わせました。てっきり他の客と勘違いをしていると思ったのですが、明らかに私の方を見て訊ねていたのです。「いや、大丈夫ですよ」と応えたのですが、何のことやらさっぱり分かりません。
その後、何となく感じました。父が一緒に居たのではないかと。三人兄弟の中で、父とは趣味嗜好が一番似ています。父も飯田屋のどぜう鍋を楽しんでいたのかなと…
私には霊感が無いので真実は分かりませんがね(笑)