19
nino
男性の名前は櫻井翔。
海外支社からの応援で一年だかの出張で東京に戻られたらしい。俺なんかとは全く関係を持たないであろう、いわゆるエリートコースの方だ。
会話の端々に使い慣れない英単語が混じり、そのおかげで彼が相当なやり手な事くらいは簡単に把握出来たつもりだ。
「いつもあんな事されるの?」
数本あとの満員を回避した電車に揺られながら彼は悩ましげに俺を覗き込む。
俺は慌ててそれを否定した。
「あ、いやっ…いつもでは…今日はちょっと俺も油断して無防備だったかも知れません。」
遠慮気味に答えはしたが…正直、結構痴漢に合う。
満員だし、誰かの手が次の駅までジッと尻を撫でている事くらいは…仕方のない事だと殆ど諦めていた。
「気をつけるんだよ。」
「ぁ…はい…ありがとうございます。」
会社のお偉いさんに心配され、何だか情け無さに拍車がかかったけど、物腰の柔らかな彼の口調のおかげで、何とか笑顔で返事を返せた。
「しかし、東京は人が多いね。この電車に乗れば着きますよって押し込められた時は本当に息が出来なくて窒息するかと思ったよ。」
「ハハ…そうですよね、朝の満員電車はキツいと思います。俺なんて毎朝乗るから慣れちゃったけど…あ、次です。降りましょう。」
「ありがとう。まさか同じ会社の社員だったなんてツイてるよ。そうだ!お昼、一緒にどう?」
爽やかな会話の流れと日本人にしては珍しいフランクな懐っこさは外国人と話しているようだ。
「あ、いや俺なんかとより、偉い方と会食があるんじゃないですか?」
「…ぅ〜ん…堅苦しいのは好きじゃないんだよなぁ。久しぶりにラーメンとか食いたいし。旨い店知らない?」
俺は少し考えて、苦笑いしながら返した。
「…知ってます。じゃあ、都合が着いたら連絡ください。連絡が無ければ、そちらを抜け出せなかったと思っときますから」
「オーケー!」
彼はグータッチを求めてきた。
映画なんかでしか見た事のないカッコいい挨拶にちょっと感動しながら、拳をコツンと合わせ合い、連絡先を交換して、駅を出た。
「櫻井さん、こっちです」
道を案内しながら自社ビルの前までやって来た。
「あぁ〜…思い出したよぉ、そーだそーだ!こんなだった!」
隣の彼は自社ビルを見上げて懐かしそうに笑った。
話を聞くと、海外に行く前はここ、本社勤務だったんだ。
久しぶりの東京は道が変わったように感じる程、以前とは違っていたんだろう。
社員証をかざし、エレベーターに並び、その中で挨拶をして俺は中層階で降りた。
彼は当たり前のように高層階へ向かう。
内ポケットから携帯を取り出してさっき登録したばかりの櫻井さんの連絡先を見つめた。
俺みたいな平社員があんな人と連絡先を交換かぁ…。
ぁ…相葉さんに話すネタが出来た!
変化のあった一日だ。
仲良くなった経緯は少し恥ずかしいけど、相葉さんなら笑わず聞いてくれる気がする。
何もなくても…
連絡して良いんだったよな…。
相葉さんの連絡先を見つめて、携帯をタップした。
"今日は朝から色々有りました。次会ったら話しますね!"
送信ボタンを押すまで、何回か息を吐いてその勢いで指先を滑らせた。
既読はつかない。
そりゃそうなんだけど、いつ付くか気になって仕方なかった。
デスクに座ってからも、PCと向き合うより携帯をチェックしてしまう。
ある瞬間、既読が付いている事に気づき、そこから返事が入るまでソワソワしていた。
"え〜何何!気になるなぁ〜!次会うの、凄い楽しみだよ"
俺はその返事を見て携帯を額に打ちつけた。
ゴチッと鈍い音がして、隣のデスクの奴が心配そうに俺に声をかける。
「にっ二宮っ、大丈夫か?…っておまえ…何携帯頭にぶち当ててニヤニヤしちゃってんの?怖ぇーよ」
「ふふ…ふふふふ…君には分かるまい。この幸福が」
「なに厨二病みたいな事言ってんだよ。」
呆れた彼は肩を竦め自分のPCに視線を戻した。
俺は両手で掴んでいた携帯を額から引き離し、デレデレしながら画面をもう一度確認する。
そこには、紛れもなく相葉さんからの返信が残っていた。
あぁ!…何て良い日なんだろう。
次会うのを
凄く楽しみにしているのは
貴方じゃなくて…俺なのに。