2024年6月26日(水)

 

南野陽子さんの南野陽子 ザ・ベストテン Collection」Blu-ray BOX

発売されます乙女のトキメキ

 

スポーツ報知さんがインタビューして下さっています乙女のトキメキ

 

 

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スポーツ報知さんのインタビュー

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南野陽子 歌詞忘れ事件も「あれが私」、デビュー40周年控え、完全網羅の「ザ・ベストテン コレクション」

 

 歌手・南野陽子(56)のTBS系「ザ・ベストテン」の出演シーンを収録した3枚組みブルーレイボックス「南野陽子 ザ・ベストテン コレクション」(全3時間57分)が、6月26日に発売される。1986年2月から2004年12月までの出演回を高解像度、高音質で完全収録。南野が歌詞忘れ事件や海外からの中継出演など、数々の思い出話を告白。来年迎えるデビュー40周年への思いも語った。(加茂 伸太郎)

 

 ナンノの青春時代が、鮮やかな映像と共によみがえる。10代後半から20代前半までの出演回を網羅した“永久保存版”のリリースに「お話をいただいた時は、やったー!です(笑い)。受験に合格したような気分。ラッキーだな、ツイているな、恵まれているなって」と感激。「『ザ・ベストテン』に一体、何人のアーティストが出たんだろう?と考えたら…本当にうれしいです」と喜びをかみ締めた。

 

 「純だね、陽子」「可憐(かれん)だね、陽子」のキャッチフレーズで、1985年に「恥ずかしすぎて」でデビュー。80年代後半に浅香唯、工藤静香、中山美穂と「アイドル四天王」と呼ばれ、トップアイドルとして君臨した。今作には86年から89年の番組終了までと、4回の特番同窓会(94、2001、03、04年)の出演映像を全て収録。ドラマ、映画のロケ現場や帰国早々の成田空港からの歌唱など、貴重なシーンが目白押しで、汚れや損傷を除去し、デジタルレストア(高解像度で修復、復元)される。また、司会の黒柳徹子(90)とのトークシーンも収められた。

 

 制作にあたり、映像を見直した。第一声は「懐かしい」だったが、すぐに「若かったな~」「恥ずかしい…」へと変わった。

 

 「30、40年前の出来事だけど、ついこの間みたいな感覚です。『この時、暑かったな』って言えるぐらいに気温や湿度、匂いや香りを覚えていて。何でこの場所で歌ったんだろう?とか、いまだに疑問が解けていないものもあるけど(笑い)、“一生懸命に頑張ったあなたがいるから、今の私がいるのよ!”って言ってあげたいですね」

 

 初出演は86年2月6日、トップ10以外の曲から今後の順位上昇が期待される「今週のスポットライト」のコーナー。主演ドラマ「スケバン刑事2 少女鉄仮面伝説」の挿入歌「さよならのめまい」(85年11月)を歌った。

 

 「前年の秋は(数字が)あまり動かなかったけど、ドラマもあって、そこからグイグイと上がって。オリコンも100位圏外から10何位まで来たんです」

 

 初出演が決まった際には「うれしい。でも、逃げ出したかった」と笑う。「無理無理、無理無理。その時代のトップ歌手の方たちがソファに座っていて、その前で歌う。うわ~っ、無理無理っていう心境でした」

 

 本番当日は不安や緊張、重圧、様々な感情がジェットコースターのように揺れ動いた。「出版社の方、レコード会社の方、広告代理店の方、たくさんの方がスタジオの廊下まで来てくださって、『やったね』って声を掛けてくれたんです。でも、私は支度があるし、ドキドキしているし。ハイタッチしたけど、『今は話しかけないで!』みたいな雰囲気だったんじゃないかなと思います(笑い)」

 

 ファンの間では、語り草となっている「秋からも、そばにいて」の歌詞忘れ事件(88年11月3日放送回)も収録された。それまで歌詞を忘れた経験はなかったが、この日は歌い始めて、しばらくして1番の歌詞が抜け落ちてしまった。寂しげな曲調も相まって、周囲は必要以上に騒ぎ立てた。

 

 「報知さんは書かなかったと思うけど、他のスポーツ紙さんには『ナンノ、ザ・ベストテンで歌えなくなる。恋の悩み!?』って書かれたんですよ。ただのど忘れなのに。黒柳さんの応援が視線の先に見えて、どうしよう、どうしよう…と思ったら心臓が余計にバクバクして。マッチ(近藤真彦)さんみたいに『もう1回!』とか言って歌い直すこともできたけど、そんなキャラクターじゃないですからね」

 

 今作から外す選択肢もあったが「その部分を省くという発想がなかったの。それに、あれが私ですし」ときっぱり。「ドキドキした、『お母さん、大変』ってテレビの前で叫んだ、ブラウン管の前であたふたしたって、いまだに言われるんです(笑い)。毎日歌っていたのに、こんなことが起こるんだから不思議ですよね。あの頃を思い出して楽しんでもらえたら、私はそれでいいんです」

 

 87年の映画「スケバン刑事」の主題歌で6枚目のシングル「楽園のDoor」から、自身の衣装のデザインを担当。続く「話しかけたかった」で初のランキング1位(87年4月30日放送回)を獲得した。

 

 毎回異なる華やかな衣装、豪華なセットも見どころの一つ。代表曲「はいからさんが通る」は袴(はかま)に編み上げブーツ、「吐息でネット」はハワイの正装ムームーをリメイクした花柄のワンピース、「秋からも、そばにいて」では、リボン状にカーテンを切った衣装に身を包んだ。

 

 「私の場合、歌い上げる歌手ではない。見て楽しんでいただけるように、衣装も大切な要素でした。(バブル前で)みんな浮かれていて、予算をかけられた時代。ビロード(ベルベット)の生地がいいとか、じゅうたんがいいとか、移動時間にメモしながら自分で絵を描いて、スタイリストさん、衣装さんに作っていただきました。『この曲はこの衣装!』と考える時間は幸せでしたね」

 

 米ハワイやバハマからの出演も、忘れられない思い出だ。時差や撮影許可の問題、現在ほど整っていない中継環境など、苦労が絶えなかった。1989年3月2日、日本テレビ系「24時間テレビ 愛は地球を救う」の企画で訪れていたカンボジアから「涙はどこへいったの」を歌唱。これが縁で昨年、「日カンボジア友好70周年親善大使」に任命された。

 

 「子供たちが練習してくれていて、一緒に歌って応援してくれたんです。2013年に(24年ぶりに)現地で再会できて、働く女性やお母さんになっていた。次に行く機会があれば、当時の映像を見せてあげたいですね」

 

 来年デビュー40周年を控えるが、「40年続けると思っていなかったな。コンサートか、お芝居か、何をやれるかは分からないけど、(来年は)応援してくださる人たちに、恩返しできるような活動を模索中です」と語った。「このボックスも来年出した方がいいかなと思ったけど、そこまで待てない(笑い)。言ってくださるうちに出さないと、チャンスを逃しちゃう。何事もご縁とタイミングですから。いろいろな方に応援されて、支えられて『今』がある。そこは死ぬまで、死んでからも忘れないでいたいと思います」

 

 感謝を胸に、この先も歩みを進めていく。

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素晴らしいインタビュー記事ありがとうございます乙女のトキメキ