75歳で認知症と診断され、医療保護入院→老健→入院を経て2024年5月母は亡くなりました。それまでの経緯とこれからの事を記録していけたらと思います。

 

暴言や介護・医療への拒否、地域包括支援センターの担当者さんを突き飛ばしたり、ご近所さんのお花を取って来てしまったり、おばあさんに憑りつかれた妄想が起きたり、着衣無く家の外に出てしまったり…

 

本当に色々な事があって医療保護入院させて頂いた母。

母が入院させて頂いた精神科は認知症疾患医療センター。

 

そこは受付の方を始め、看護師さんもお医者さんも動作も話し方もとてもゆったりとしていて優しくて、〝精神科に母を入院させてしまう〟といった罪悪感を持つ家族にとってもとても安心できる場所でした。

 

入院当初はあまりにも変わってしまった母に会うのが怖くて、1度は面会を私の方で断ってしまった事もありました。

 

当時はコロナ禍という事もあって、オンライン面会だったのですが、私は逆にオンラインで救われた所もあり、段々と母との会話に慣れて行く事が出来ました。

 

あるオンライン面会の時、私は実家の庭の生垣になってるサザンカのつぼみを持って行きました。もちろんオンライン面会なので、画面越しに見せるだけで十分だと思っていましたが、看護師さんが気を回してくださり、『色々な事が考えられるのでお部屋には置けませんが、ナースステーションに飾らせて頂いても良いですか?』と言って下さり、病棟に持って行って下さいました。

 

そして、数日後、その看護師さんからわざわざお電話を頂き『先日お持ちいただいたサザンカが今日咲きました。お母様はもちろん、皆さんに見て頂きましたよ』と言って下さいました。その電話に涙が出た事を覚えています。

 

正直、母が実家に帰れる事はもう無いという事を私はこの時点で分かっていました。

ご近所にも迷惑を掛け過ぎていたし、とても一人で暮らせる状態では無かったし、私も母と同居出来る状態では無かったので。

実家のサザンカを見せてあげたのは、そんな私のせめてもの罪滅ぼしでした。

 

そして、その精神科病院から系列の老健へ移動する時も、私は母が途中で逃げ出してしまうのではないかと怖くて、老健のスタッフさんが精神病院まで迎えに行って下さるというお言葉に甘えて、荷物の移動も丸ごとお願いしてしまいました。

 

そして、今回母が亡くなったのを機に老健さんがまとめて下さっていた荷物の中からこんな物が出てきました。

 

 

母と実家の庭のサザンカを一緒に写真に写して印刷しておいてくださいました。

 

母が精神科に入院している間、何度も母から電話が掛かってきましたが、その電話の後ろから叫んでいる方の声が聞こえてきた事もあります。

 

精神科病院のスタッフさんや看護師さんの大変さはきっと言葉に表せないものもあると思います。

 

そんな中で、日常業務だけではない忙しさの中で、ここまでして下さった事。

 

母と、やっぱり結局一度も家に帰れなかった母の家を繋いで下さった事。

 

たった数本のサザンカにそんな意味があると推し量って対応して下さった事。

 

本当に本当に涙が出ました。

 

本当に本当にありがとうございました。