太子カントリーが夢を叶えてくれます。
大阪府の名門
太子カントリー倶楽部
全国中学高校ゴルフ選手権の
一次予選会場(大阪大会)が
毎年行われる高ゴ連の公式戦会場
何度も訪れた懐かしいゴルフ場
ほんとに懐かしい。
カイトが11年前の中学一年のとき、
冷たい雨が降りしきる中を
2年生、3年生をおさえて優勝した
思い出深いゴルフ場です。
今回、その太子カントリー倶楽部が
カイトの車椅子ゴルフの受け入れに
前向きに検討してくださることに。
そこに至るまでに尽力をつくしてくれたのは
カイトの大学ゴルフ部の時の監督であり、
日本高等学校ゴルフ連盟の理事長でもあり
現在はJGTOの副理事もされてる、井上先生。
真ん中で中腰になってるのが井上先生。
井上先生は事故後から今現在もずっとカイトを
多方面から支え続けてくれている、ほんとにずっと。
後列右端は太子カントリーの大木支配人。
「まずはその電動カートでテストラウンドしてください」
とご提案してくださいました。
前列右の車椅子の方が釧路の齋藤さん。
齋藤さんはカイトのこのテストラウンドの
ために釧路からこのカートを持ってきてくれた。
(JALの協力にも感謝です)
それ以外にも、ここに至るまで沢山の方の
応援を頂きました。
カイトが事故で下肢障害を負ってから5年
とうとう地元大阪でラウンドです。
脚とお腹はベルトで固定
体重移動は何もできないです、
なんせ下半身麻痺だから宙に浮いてる感じ
上体しか使えまえん。
中学、高校とここには何度も公式戦で訪れました。
いい思い出ばかりです。
まさかもう一度ここでゴルフをするとは、、
スタイルは違えど夢のようです。
事故直後は絶望しかなかった、ほんとに辛かった
もちろん今でも辛いことには変わりない。
けど真っ暗闇の向こうに一筋の光が
僅かながら光っている。
今できることに全力を尽くすしかない。
テストラウンドの結果、
このカートの使用がOKとなりました。
支配人もグリーンキーパーマスターも
まったくグリーンに傷がつかないことに
驚いてました。
さすがゴルフ専用です。
ドイツのオットーボック社が
扱っています。
日本にもだいぶ以前には
輸入可能だったみたいですが
近年はもうどこも扱ってないと。
輸入手段が難しいです
(もちろんそれ以前に資金が、)
でも福岡ではASメディカルサポートの
大山代表が基金を立ち上げ、
カイトたちのためにチャリティーの
ゴルフ大会を企画し、たくさんの有志の方々が
募金をしてくれている、
いつか福岡のどこかのゴルフ場に
このカートが導入されるかもしれない。
そして僕も自力でなんとか太子カントリーに
このカートを導入したい、
何年かかるかわからないけど。
それとカイトが車椅子ゴルフを
この立位可の通常車椅子で始めた時に
PINGのフルセットを買いました。
ライ角、シャフト長さは
完全なる車椅子ゴルフ用です。
大阪の西成区にある
ゴルフレスキューで購入しました。
(中一のときはi20ってアイアン買った)
高村オーナーがカイトを応援したいと
店内の練習場を自由に使わせてくれます
一人でいくので到着時にこの立位用車椅子を
車から下ろしたりとかすべて手伝ってくれます。
もう感謝しかない。
電動カートとの違いはありますが
それが手に入るまではこれで練習です。
週間ゴルフダイジェストに掲載されました。
少し前ですが週間ゴルフダイジェストに
カイトのことが掲載されていました
(名前の漢字を間違えておられますが、、、)
中野麟太郎君のお父様に教えて頂きました
(僕たち親子は知りませんでした)
こんな内容です。
これが記事に書かれてる大会です。↓
始球式をしました。
(このために飛行機で一人で福岡に行きました)
0.1%の可能性
カイトは,
脊髄損傷の再生医療を受けることにしました。
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事故直後医者からは「99.9%一生車イスです」
と言われました。
(本当は100%言いたかったのでしょう)
でも0.1%でも良くなる可能性があるというならば、
親として全力を尽くします。
保険適用外の医療です。
費用はゴルフなどとは比べものになりません。
後に、
医療サポートプロジェクトがあると聞きましたが
待ってられませんでした。
周囲の多くの方々の支援のおかげで向かえました。
場所は「福岡」です。
再生医療とそれに伴うリハビリ環境が一つの
集合体となった、日本で初めての施設。
この2月にできたばかりです。
期間は、治療とそれに伴うリハビリとで
約3ヶ月〜6ヵ月
ホテルをとりあえず3ヶ月予約。
施設とホテル往復の車も必要です。
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大阪の緊急事態宣言解除後の3月初旬
この話を知ったジュニアゴルフ時代の方々が、
壮行会をしてくれました。
カイトの一つ下の学年の方々です。
急な話だったのに来れる方々でたくさん
集まってくれました。
今も変わりなくこうして励ましてくれます。
感謝しかない、
本当に感謝しかありません。
誰もが日々の生活はコロナで大変であり、
ご自身たちの子供さんのことだけで
十分忙しいはずなのに、
今だこうしてカイトのことを
気にかけてくれます、
僕なら他人にここまでできるだろうか?、
本当に感謝しかない、
結局いまだにゴルフに支えられています。
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3月中旬の未明、雨の中
僕だけ一足先に車で福岡へ。
大阪から7時間、関門海峡。
そこから約2時間でJR博多駅。
そこで後から新幹線で来るカイト達を待つ。
福岡でクルマが必要なので
僕が車を運んだということです。
その日の午前カイトは大阪を出発。
彼女が見送りに来てくれました。
とても寒い日でした。
新幹線は個室が取れました。
お昼前には車で先行してた僕と新幹線で来た
カイトとちゃーと三人合流できました。
そして九州再生医療センターへ向かいました。
治療は、まず自分の体から間葉系幹細胞を
採取します。
その僅かな幹細胞を培養技術によって
1億個ぐらいに増やします。
それをまた体内に投与する、というもの。
幹細胞には損傷したものを再生する力が
あるとされています。
ただ、これをしたからといって
テクテク歩けるわけではありません
ましてやカイトの症状では効果が
出たとしても僅かです。
全く効果出ない可能性も高いです。
でもそれでもいいのです。
今より1ミリでも良くなれば。
再生医療と伴にHALというロボットを使った
リハビリをします。
ロボットが勝手に動いてるわけではありません
カイトが脳から出した命令が生体電位として現れ、
それをHALが感知しアシストして動くというもの。
このトレーニングが神経促通に繋がるか?
というものです。
週5日のリハビリ、相当ハードです。
ホテルでは大学のオンライン授業も受けています。
たまに息抜きで野球を見たり。
(福岡ドームはとても快適でした)
また福岡には、今カイトが私用で付き合いのある
東大ゴルフ部の方や
大阪学院大ゴルフ部の監督、コーチなどが
訪ねてくれました。
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6月中旬には一度大阪に帰ります。
夏にまた福岡へ戻る予定ですが。
カイト達が福岡に行って以来僕は家で一人です
(ネコはいます)
一人になると色んな想いが途切れず湧き上がり
とても辛いですが、
カイトは福岡で必死でリハビリに取り
組んでいます。
僕も踏ん張るしかありません。
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事故後の1年半、本当に寝る間もない生活でした。
(正確には眠れない、です。)
脊髄損傷についての医療情報を
治験から先進医療から
何から何まで必死で調べました。
地球規模で調べました。毎日毎日調べました。
何度も落ち込みましたがその度に
我を奮い立たせ、日本中を飛び回りました。
そこで一番大きかったのはやはり「人」でした。
出会う人出会う人の人伝いで色んなことを得ました。
どんなに世がデジタル化されようと
ネットという便利なものがあろうと
最後はやはり「人」なのかと痛感しました。
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相手方の車の自賠責保険への手続きも
全部僕がやりました。
通常は相手方の任意保険会社に全てお任せして
それも代行してもらうのが普通みたいですが、
我が子がこんな大変な事になってるのに、
その一番大事な自賠責の手続きを第三者が代行して
遂行するなど、僕には考えられませんでした。
周りは皆止めました。
「向こうの任意保険に代行任せたらいいじゃないの?
そんなしんどい事は素人では無理ですよ」と。
ええ本当に大変でした。大変すぎるほど大変でした、
めちゃめちゃ勉強もしました。
時間もお金も相当掛かりました。
気が遠くなるような書類作成、
それを積み上げるための原本取得、
10箇所以上に及ぶ医療機関との
1年以上に至るやりとり、
管轄警察にも検察庁にも何度も行きました。
現場検証や実況見分以外でも何度も行きました。
どこだって行きました。
知らないことも「教えてください!」と
聞きまくりました。
初めはどこに行っても怪訝な顔をされました。
「なぜお父さん自身がやってるの?向こうの
任意保険に任せれば?」
奇行に感じたんでしょう。
でもこれは僕の立場にならないと
絶対わからない事です。
ちょっとした小さな事故じゃないんです。
それを他人が扱うなどあり得ない。
途中で挫けてもうやめようか、と思ったことは
何度もありました。
「事故の無念」を胸に抱えながらの作業ということも、
辛い要因の一つでした。
しかしカイトは必死で生きようとしてるのです。
じゃあ僕だってやるしかない。
その結果、
当初は「はあ?」みたいな感じで僕を冷遇してきた
全ての医療機関も
最後には僕の熱意を感じ取ってくれとても
協力的になってくれて、
「息子さんのために頑張ってね」
と言ってくれるまでになりました。
警察官、検察官の方々もみな親身になってくれました。
息子を思うがあまり時にその人達に声を荒げたり
してしまってた自分を反省したりもしました、。
正常ではいられなかった、
そしてやりきりました。
国(自賠責)の判定も納得いくものでした。
努力ともなんとも思わなかったやりたい事を
夢中でやっただけだった。
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何かを得ようとするなら本人の「熱意」とか
「情熱」とか自ら湧き上がるエネルギー、
結局そのような青臭いと言われるようなことが
一番大事なのだと、
今も思います。
ゴルフも同じです、何事もそう。
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これから先も僕らにはまだまだ長い長い
試練の時期は続きます。
でも0.1%の可能性に賭けて生きていきます。
『近況報告』
事故から約1年半。
退院して家に帰ってから約一年。
この期間、めまぐるしく万物が動いた。
到底ここでは書ききれない。
それは今現在も進行形だ。
どん底よりもどん底
これ以上の底はない
そんな状況からでも人間は
進んでいけるんだ、と思った
いやそれはカイトだだから
できているのかもしれない
親の100倍強い。
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僕は一時はゴルフを恨んだ
もちろんゴルフには何の責任もない
しかしそう思わざる得ないほど病んだ。
自己嫌悪も加速した。
「俺がゴルフなんか勧めなかったら、」
そんな無意味な言葉がずっと心の奥底に
居座っていた。
そしてゴルフとは無縁になった
数少ない試合でさえ全く知らない
もう生活からゴルフは消えた、
と思っていた。
しかしゴルフは結局カイトを救ってくれた。
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僕たちはプロゴルフの世界を全く知らないし
プロの知り合いはほとんどいない。
唯一、女子プロで
近い年齢で限定すると
浅井咲希プロ
古江彩佳プロ
西村優菜プロ
以上これだけ。
咲希ちゃんはカイトが高校の頃
兵庫の同じ団体に所属している時
毎週のように美奈木CCを一緒に
ラウンドした。
フルエッティとユナは同級生で
ゴルフ場でたまに会うぐらいだっけど
会った時は親子ともども親切に
してもらった。
ユナとは同じナパラGCのメンバーで
中学の頃はよく一緒になった。
で、この3人が去年から今年にかけて
全員ツアー優勝した。
すごい確率だ。
流石にテレビに釘つけになった
感動した。
これにはカイトも声をあげて
興奮していた。
そして男子ゴルフ界。
僕たちの関わりがあった範囲内でいうと
同年代、いや年下の知り合いとかも
何人かプロになった。
「竹内優騎プロ」
カイトより二つ下だけど
出会った頃からゴルフは
カイトの100倍にうまかった
ご家族は本当にゴルフに一途で
その熱量は日本一ではないだろうか
僕たちもとてもお世話になった。
すごく親切にしてもらった
そして優希のお父さんの言葉が
忘れられない
「男子は16歳からプロテストでしょ?
じゃあ16歳で当然テスト受けるでしょ」
と言っていた
そしてそのとうり受け、優騎はプロテストの
史上最年少通過の記録を塗り替えた。
「北國ジョージプロ」
竹内君同様、グランシエロでは
よく一緒にラウンドした。
彼も17歳プロテスト一発合格だった。
カイトが事故にあった時、
石川県から三重に飛んできて
会えないICUの前で泣き崩れていた姿が
忘れられない。
カイトの最後のJJGAはトーシンを
ジョージと一緒に回ったものだった
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そして先日男子ツアーを久しぶりに見た
それはある選手がトップにいたからだ。
「小斉平優和プロ」
ついにきた!と思った。
最終的には4位だったけど
さいきんずっとツアーに上位におり
もう優勝が見れるのでは?と
思っていた。
優和君はカイトの二つ上で
小学生の頃から別世界の選手だった
出る試合出る試合全部優勝してたんじゃ
ないかというイメージだった。
お父さんも個性的な方だった
僕は初めて優和君のお父さん話したのは
カイトが小6の時、宝塚でJGA全小行きを
決めた時だった
表彰式に向かう階段で出くわした時に
「丹羽さん、カイトやったね、おめでとう」
と言ってくれた。とても嬉しかった。
まあ向こうは覚えてないだろけど
それ以降も冷やかし半分に
構ってくれていた。
中学になるとカイトは時々優和君と同じ組みに
なったりすることもあり、優しくしてくれた。
アマチュア時代の彼の輝かしい成績は
僕などがわざわざ説明するまでもないほどだし
ツアーに参加し始めてからも独特な活動で
我が道を突き進んでいる。かっこいいと思う。
来季あたりツアー優勝が見れそうです。
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プレーヤーの活躍だけでなく、
ジュニアゴルフに関わった皆さんから
本当にたくさんの支えをいただいた。
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彼女は相変わらず支えとなってくれていて
週に何度もうちに来てくれている。
そして街へショッピングや食事に出かける
一日何時間あっても足りない。
高額な固定資産税は大変だけど
今回ばかりは
「ああ、街中に住んでいてよかった」と
つくづく思った。
今はいろんな諸事情があり
なかなか詳しいことはお伝えできないけど
家族三人+彼女+ネコ、の5人?で
毎日全力で明るく生きています。
これ自体奇跡だけど、
さらに奇跡を信じて邁進します。
いつの日かカイトがティーグラウンドに
立つことが本当に起きたら、奇跡が起きたら
皆さん、ラウンドしていただけますでしょうか!?
呼ばれれば全国どこへでも行きます。
JJGAで鍛えた僕の長距離運転能力は
まだまだ衰えておりません
そういう日を夢見て頑張り続けます。
絶対諦めない。
http://www.instagram.com/kaitoniwa2839
パーフェクトワールド
去年の5月末の事故直後
搬送先の三重大医学部付属病院で
僕は半狂乱になっていました。
(現在も内心は変わりませんが)
頭部打撲損傷により意識不明
背骨の粉砕骨折により脊髄損傷で
下半身麻痺
意識が戻ったあとも大量の鎮痛剤投与で
日中もほとんど眠ったまま現実を
何も知らないカイト
ICUで刻々と時間ばかり経っていく。
ベッドの横で息子に何もしてあげられず
ただ泣き崩れるしかなかった。
医師に何度も何度もすがった、
「息子の脚を助けてください、
脚を助けてください、」と。
しかし医師の言葉は厳しいものばかりでした
僕は何も食べれず、ほとんど眠れない状態で
何週間も三重のビジネスホテルに身を置き、
脊髄損傷や下半身麻痺について
独自で調べる毎日でした。
そんな時にやたらと検索で引っかかるのが
このドラマでした。
もうすぐ最終回を迎える高視聴率な番組で
タイムリーな話題だったのだろう、
松坂桃李さんと山本美月さんのドラマだった。
昔の憧れの先輩と久々に再会したら、
その先輩が車椅子になっていた。
そこから幾多の困難を乗り越え
最終的には結婚する、
というまさにドラマの世界。
TVドラマ 「パーフェクトワールド」
(映画版もあったそうです↓)
映画 「パーフェクトワールド」
もちろん見れるわけなかった。
だいいち見る理由もない。
なんなんだこれ!と
逆に避けていました。
カイトが車椅子になることを
認めたくなかったのだろう。
そして障害をきっとキレイゴトで
扱っているのでは、という偏見もあった。
見れない、見たくもない、
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それから半年以上の入院生活が終わり
カイトが家に戻ってきたばかりの12月頃、
「なあパーフェクトワールドって知ってる?」
と聞かれました。
僕は驚いたと同時に半年前の三重に入院してた
頃を思い出し辛い気持ちになってしまいました。
そしてカイトは続けて言いました
「それって見たことある?」と。
僕は「いや、ないよ」と。
するとカイトが
「見た方がええよ。
辛い場面や嫌なとこもあるけど
とても感動した」と。
カイト、知らん間に見てたんや。
じゃあ僕も試しに見てみようと
アマゾンプライムで見ました。
その結果、大変感動しました。
松坂桃李さんは車椅子の生活を
ほぼ完璧に表現されていました。
結末にも泣きました。
その反面、
「まあこれはどこまでいってもドラマだ、
現実はなかなか、、、
こんなことありえない」とも思いました。
しかし、
それから三ヶ月程経った2020年3月
なんとカイトに彼女ができました。
経緯もとてもドラマチックで
奇跡的な出会いでした。
僕は結構な間知りませんでした。
聞かされた時もなんか
信じられませんでした。
僕にしたらまさに、
天から女神が光臨してきた想い。
こんなことって本当にあるんだ、。
車椅子になり新たな人生を歩み
出さなければいけないこの時期
もしこの彼女が現れなかったら
いったいどんな生活に
なっていただろう、
4月からの大学もコロナの影響で
2人ともオンライン授業になり
通学が大変なうちにとっては
逆に助かりました。
しかも大学は違えど2人で一緒に
うちで授業を受けれるのですから。
人間万事塞翁が馬でしょうか。
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それから5ヶ月程過ぎた先日8月9日
カイトの二十歳の誕生日でした。
「海が見たいね、」と言った彼女のために
「俺が連れてってやる」と
りんくう海岸(関西国際空港の近く)まで
2人で行きました。
アウトレットでお買物してレストランで夕食して
そしてその後、海辺までいったそうです。
古い言い方ですが、
レコードジャケットでもにしたい写真です。
ぼくといる時には見せない表情です。
なんで笑えるんだ?おまえすごいよ
いつも笑ってる、
とても心配でしたが2人が無事帰ってきた時
ホッとして涙が出ました。
カイト、よくやったよ、ほんとによくやった
それでこそ男だ。
思いがけない事故により人生が振り出しに
戻ってしまいました。
それもとてつもない障害を背負って。
今は彼女に助けられて歩んでいます。
待ち受けているのは困難の山です。
ドラマのようにすべてうまくいくわけありませんが
少しでも永く続いて欲しいと祈っています。
YOU TUBEも宜しくお願いいたします。
チャンネル登録してやってください!
9年分のゴルフ日記
とある事情で「カイト君が今までゴルフをやってきた経費を出してください」
との要望がありました。
小学3年から大学1回生5月まで、約10年間分
いつ、どこでラウンドしたか?ラウンド代、試合ならエントリー代も、
そしてガソリン代、高速代。ラウンド代以外でいうと道具代とか
打ちっぱなし代とかレッスン代とか。
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10年前にさかのぼって、いつどこで、なんてわかるわけがないと思っていたら、
とんでもないものがありました。
カイトが小学4年から書いてたゴルフ日記です
ほとんどお絵描きレベルですが。
(小学3年は書いてません)
中学からは専用シートを作ってあげ、それからは任せていました。
まさかずっと書いてたとは思いませんでした
最後のものは大学一年時の事故の直前のものでした。
もちろん抜けてるところはありますが90%以上が記載されていました。
発見したのはカイトがまた入院中のときでした。
カイトを家に帰らせてあげるためのリフォームに備え徹底的に断捨離
していたときでした。
カイトの机の引き出しにありました、ほんとうに驚きました。
はじめは日記本タイプでした ↓
小学生の頃は赤字で返信添削とかもしてあげてました。
中学からは専用シートを作り、それに書き込んでました。 ↓
(これは事故の一ヶ月前ぐらいです)
しばらく読んでしまいました。
上の日記は小学5年、
下のラウンドシートは大学1年
恥ずかしながら内容的にはあまり変わりません。
別にこれをやったら上手くなるんじゃないか?とか思って始めさせたわけでは
ありません。
カイトは小学生の頃照れ屋さんで、そんなに雄弁にしゃべる子では
ありませんでした。年相応といえばそうでしたが。
ただ物事をアウトプットするというのが人間にとってとても大切だと僕は思っていたので
ならばと思い、文章によって気持ちを出すことを試させてみたのでした。
毎回毎回同じような内容になりがちな作業だけにほんとに書くのは大変だったと思う
なので文章の表現方法を色々変えたりマンネリ化しないよう自分で考えながら
書いているのがわかりました。
(そのおかげか先日大学の課題提出の書類で教授に
「君はなかなかおもしろい文章を書くね」と褒められたそうです)
よくぞ、よくぞ続けたものだ、
そしてあらためて網羅して見た。小学高学年以降は初めて見るものがほとんどでした。
いろんなことを考えながらやっていたんだなあ、と今更ながら感服しました、
こんなに頑張ってたんだ、、と。
だから、だから尚更悔しい、悔しくてたまらない、
久しぶりに号泣してしまいました。
全部コピーしてファイリングにしました。
そしてこれを元に約9年間のラウンド記録をエクセルにまとめました。
JJGAの試合はJJGAの本部の山中サンが、カイトが初めてJJGAに出た試合をさかのぼって
高3までの全試合をプリントしてくれました。(JJGAは140ラウンド超えていました)
↓これはそのエクセルのほんの一部です(ここは高2の春頃でしょうか)
いま見ると恐るべき日程です
ラウンド代は、いいコースはとりあえず土日が多いこともあり
一律12,000円にしました。 ジュニア料金がある所はそれで。
ここには切れて映っていませんがガソリン代はキロ5円だそうです。
ちょっと安すぎます。高速代は凄い料金になりました。遠征なら当然宿泊代も。
で、9年分の合計金額は、、、家買えます。
(ここにはレッスン代や道具代やボール代とかは入れてません)
驚きましたが、そらそうだろなとも思いました。
もちろんうちなんかよりもっと費やしてるご家庭は山ほど存在するでしょう。
うちは一人っ子なので親二人でカイトのゴルフのためにすべてを捧げて働きました。
僕は会社勤めの他に夜にライブハウスや新地のクラブでドラムを叩いて
その出演料はすべてカイトのゴルフに充てました。
クルマなんて買えるわけない。いつも僕の姉のご主人が買ってくれてました、
親戚とか皆カイトのことを応援してくれていました。
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いまカイトは思いもしなかったであろう人生の崖っぷちに追い込まれてしまいました。
でも生きてるんです、必死で。
自分をさらけ出して、必死で生きて行こうとしています。
そんな生き方がこいつにできるとは思わなかった
僕は「ひょっとしてゴルフ日記が少しでも今のカイトに役立っていたのでは?」と思っています。
少し時間をおいて自分を客観視し俯瞰で見つめる。
そしてそれを文章にする。そんなゴルフ日記は、
心の叫びを外に放出する術を知らぬ間に宿してくれたのかもしれない。
この作業を9年も続けてたのか、、
ボールを何百球何千球打ったことよりも
大事なのはこっちだったのだと思わされました。
事故から8ヶ月が経ちました。
11月末に退院しました。
周りの方々が気を遣わないよう退院日はあまり伝えなかったのですが
大学ゴルフ部総監督の井上先生とセイトくんのお父さん、
そして湯原光くんのご家族がどこからか聞きつけて愛知からわざわざ来てくれました。
お正月に、アメリカから帰省してたカズキ(山内一輝)がカイトに会いに
天王寺まで来てくれました。
二人でスタバでたくさん話したそうです。
カズキはカイトの事故のことはアメリカで知った訳ですが、
よくぞカイトのもとまで来てくれました。
そしてスタバを出たあと、「カイトの父さんとお母さんにも
挨拶しにいってええか?」と家まで来てくれました。
驚きました。
カズキはラウンド帰りでしたので、カイトもキャップ被って合わせました
かしこまって面接みたいですが。
カズキはカイトに会うのはとても辛く掛ける言葉にも悩んだ、と。
でも来て沢山話して本当に良かったと言ってくれました。
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年明けに10年間お世話になったゴルフスクールに挨拶に行きました。
入院中も何かと気遣って頂きました。
スタジオに入った瞬間色んな想いが込み上げてきました、
ここで10年以上過ごしたのですから。
正直、複雑な想いを抱きながら今更ゴルフにふれるのは少し怖かった。
パターやアプローチをしてみました。
両手では打てませんが単純に楽しかったと言いました。
帰りの車中で「いつかもう一度ゴルフがしたい」とつぶやきました。
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1月23日には埼玉県所沢市の国立リハビリテーションセンターに
訳あって行きました。
のぞみの11号車の12列のB。ここが唯一の車椅子対応座席です。
通常A.B.Cと3座席あるところのCが無くそこに車椅子を置けます。
カイトの前の13列C席もありませんが、移動し易さのため取られただけです。
隣のB席のアームレストが固定なので車椅子ユーザーには使えません。
(カイトの席は車椅子からB席に移乗できるようアームレストが可動式になっています)
天王寺から「はるか」で新大阪新大阪から「のぞみ」で品川
品川から「山手線」で池袋、池袋から「西武池袋線」で所沢
所沢駅からタクシーで国リハ。
すべての移動はエレベーターの位置に支配されるため導線の選択肢は限られ
大変でしたが、JRや西武鉄道の職員のみなさまの完璧なサポートにより
難なく到着できました。本当に感謝です。
その夜は所沢駅近くのホテルに泊まりました。
そしてそのホテルに、ある御家族が僕たちに会いにきてくれました。
ジュニアゴルファーの中野リンタロウ君ご家族でした。
練習場が僕たちのホテルの近くだそうですが、わざわざ来てくれました。
お父様はカイトにたくさん話をしてくれました。
ご自身の過去の経験からのとても励みになるお話ばかりで
カイトはもちろん同席した僕もたいへん勇気をいただきました。
しゃがんでくれてますがリンリンくんは実際は180cm超のビッグスケールな選手でした。
中野サンには初めてお会いしました。
見ず知らずの僕たちのためにメールや電話とかでなく
実際にカイトに顔をあわせて直接話してくれました
そうしたかったと言ってくれました、本当にありがたいことでした。
今だに、フッと想いにふけると
「なんでこんなことになったんだ、、」と俯いてしまう時があるのも事実、
心が折れそうになります、実際、何千万回折れました。
しかしこうやって色んなところでエールを送ってくださってる方々が
いるのかと思うと不思議と勇気が出てきます。
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そして1月31日
リーガロイヤルホテル大阪にて大学ゴルフ部の優勝祝賀会がありました。
部員はもちろん、OB、その関係者また優勝を争った福祉大、日大の方々、、etc
400人以上の大変盛大なパーティーでした。
夏の大学団体全国大会
大阪学院大は東北福祉大、日大などと最終日まで優勝を争い、
遂に大学日本一となりました。
だいぶ前に、この祝賀パーティーにカイトも参加しろ!と監督から話がありました。
とても悩みました。
そんなおめでたい場に僕らのような不幸の塊みたいな家族が行っていいものなのか、、。
行ってよかったです。
最高の時間でした。
やっとこうやってみんなとお揃いのブレザーを着ることもできました。
同期のみんな、本当にありがとう、涙が出ました。
そして翌週、再入院しました。
膀胱の中に石ができてしまったので、それを取る手術です。
脊髄損傷になるとこのようにいろんな種類の合併症に脅かされます。
これから先もずっとそうだろう、カイト、辛いやろう、
「頑張れ」なんて言えませんでした。
5日間入院して帰ってきました。
ネコもカイトの帰りをずっと心待ちにしていました。カイトの膝の上が定位置ですから。
最近、脊髄損傷専門のジムにも通っています。とてもハードです。
今思うとゴルフなんてどんだけ緩いんだ。
僕はカイトがゴルフやってたとき、いつもカイトには
「夢は語っていいんやで」と言っていました。
僕たちは世の中の常識にとらわれず、絶対諦めることなく生きていきたい。
事故以来、祝賀会でゴルフ部のみんなと久々に会って感激したその夜、
カイトのラインの画面アイコンが変わっていました。
「脊髄損傷の常識を変える」そうです。
この画面を見た瞬間、身体が震えました。
いつになってもやっぱり僕は息子に敵わない、カイトには絶対敵わない、
さあ、いっしょに頑張ろう。
だって夢は、
「いつの日か再びティーグラウンドに立つ」
ことですから。
新しい人生
==============================
このブログを見てくださってた皆様、
今迄ほんとにたくさんの応援を
ありがとうございました。
カイトは、
2019年4月大学に進学しましたが
学生ゴルフを経験することなく、
ゴルフができなくなってしまったことを
報告させて頂きます。
===============================
2019年 3月初旬
高校の卒業式も終わり、進学先の
大阪学院大学ゴルフ部の合宿に
参加しました。
終盤の5ラウンドでのスコアで
4月からのランク付けが決まります。
カイトたち新1年生から4年生まで
ほぼ全員参加の約70名で、
16番目の成績であがりました。
充実した笑顔で帰ってきたのを
今でも忘れません。
2019年 4月初旬
入学式でした。
ゴルフ部新1年生20人ほど入部しました。
関西の子も他府県の子もほとんどが
友達であり、知り合いです。
たくさんの同級生、また素晴らしい
先輩達に囲まれた、
楽しく幸せなスタートでした。
毎日仲間と練習に明け暮れ
夢と希望に満ちあふれた
充実した日々でした。
しかしそんな生活も
約2ヶ月で終わる事となりました。
2019年 5月22日
たぶんこの日を一生、
忘れることはないでしょう。
JGTO関西オープンゴルフ選手権
場所は奈良県コマカントリー。
その大会運営の手伝いを
大学ゴルフ部全体で
参加していました。
業務はキャディです。
一週間泊まり込みです。
「いってきます!」と
5月18日に家を出ました。
「運転、気をつけてな、、」
ぼくはそう言いました。
そして、
カイトが家を出てから4日目の
5/22の水曜日
仕事中に僕の携帯が鳴りました。
ゴルフ部の顧問の先生でした。
「落ち着いて聞いてください、
カイト君が同乗してたクルマが
事故を起こしました、
意識が薄らいでいます、
ドクターヘリで運ばれている最中に
返事をしなくなったそうです、
それ以外わかりません」
直後、三重大医学部付属病院から
電話がありICUに運ばれ意識不明、
すぐに来てください、と。
錯乱して会社を飛び出しました、
ほとんど覚えていません。
何の変哲もない日常で
いきなりそんな連絡があり、
正常でいられませんでした、
動悸が恐ろしく高鳴り、
吐きそうな気持ちで
「嘘やろ、まさかカイトが、
何かの間違いであってくれ、」
とそれしか思えませんでした。
三重大医学部付属病院に到着し
ICUに飛び込みました、
カイトが横たわっていました、
血だらけで、ぼろぼろでした。
僕は目をそらさず直視しましたが
動揺して涙が止まらず声も出ない、
足もガクガク震えて力が入りません、
必死で心の中で名前を呼び続けました
「カイト、カイト、俺や、」
少し遅れて家内も到着しましたが
泣く事しかできませんでした。
6時間にわたる手術でした。
家内と二人で無言でソファに横になって
震えながら待っていました。
手術が終わると看護師の方が
「手術のため切り刻んだ衣服です」と
ビニール袋に入った血だらけの
ゴルフウェアを差し出してきました。
あまりにおぞましく声も出ませんでした。
2日後の5/24金曜日
カイトが僕たちの問いかけに
やっと返事をしました。
それまでは瞼をあけることも
ありませんでした。
左側頭部打撲損傷、脳軸索損傷、肋骨骨折、
肺に穴、そして背骨骨折による脊髄損傷。
(これによる予後は想像つくと思います)
生きているのが不思議なくらいでした。
5/22〜6/12までの3週間
三重大病院のICUでベッドから
全く動けず過ごしました。
6/12
大阪の病院に転院。
6月末
少しずつ車椅子の練習が始まり
今現在の10月に至っています。
まだ入院しています。
僕たち家族に、カイトの人生に、
まさかこんなことが訪れるとは
夢にも思いませんでした。
僕達の心情、カイト本人の心情などを
お伝えすることは不可能であり、
また無意味であると思います。
特にカイト本人の心中など僕ら親よりも
さらに次元の違うところにあります。
ゴルフの夢どころか、
歩くことができなくなったために
失った今迄のような日常生活。
歩けないことだけではなく
脊髄中枢神経の損傷により
様々な合併症もつきまといます。
これから先の残された長い人生、
とてつもない困難を抱え生きて行く
現実を受け入れなければなりません。
2019年 8月9日
大阪の病院に転院してから二ヶ月後
病室で19歳の誕生日を迎えました。
その日、入院してから初めて屋外に出て
太陽の光を浴びました。
5月〜8月といえばゴルフの試合が満載で
夏休みでもあり、年間で一番最高に楽しい、
また充実した時期を過ごす頃でしょう。
しかしカイトはというと動かない脚とともに
ずっと病室の天井を見つめるだけの毎日を
何ヶ月も続けていました。
みんなが目標に向かって汗を流し
充実した日々を送っている中、
一人病室でどんな気持ちだっただろう
そんななかインスタグラムに
自らこんな写真をアップしてました。
(僕は見れないのでカイトの友達が
教えてくれました)
何ヶ月ぶりかの屋外。
看護士の方が撮ってくれた写真です。
いい顔をしています。
これとともに今の自分に言える精一杯の
前向きなコメントも書いてたそうです。
これ見た瞬間、僕達親は
また涙が止まりませんでした。
僕たち親は事故のあった5/22以来、
涙は果てしなく流れ続けました。
止まることはありません。
きっとカイトもそうでしょう。
お見舞いの方々の前では気丈に
笑顔で振る舞っています。
しかし一人のときはいったい
どんな思いをしているのか?
でも本当に頑張っています、
必死で生きています。
息子を尊敬します
僕には絶対できないことをしています。
賞状もトロフィーもないけど、
日本一の息子だと思いました。
なんでうちが??、、、
なんでカイトがこんなことに??、、
どうして?、なんでなんだ、、、
こんなこと思っても仕方ない
わかっている、時は戻らない。
でも、この気持ちが100%消えることは
ないでしょう。
しかしもう前を向くしかありません
お見舞いに来てくれてる沢山の方々
ほんとにありがとうございます。
カイトが病室で寂しくないようにと
何度も何度も足を運んでくれて、、。
大学ゴルフ部の仲間、
高校時代のゴルフ部の仲間、
ゴルフ部の先輩方、
ジュニア時代からの仲間、先輩、
たくさんのコーチの方々、
たくさんの親御さん方々、
ほんとうに途切れることなく
いつも誰かが声を掛けに
様子を伺いに来てください
ました。
なんと感謝していいやら、
僕たちもどれだけ救われた
ことでしょう
ありがとうございました。
小さい頃、カイトのキャディバッグを
担いであげていました。
今度は車椅子を押します。
全力でこいつの人生をサポートすることは
変わりません。
※ゴルフを頑張ってるジュニア達へ。
うまくいった時も、いかなかったときも
今日一日また健康で芝の上を歩ける
ことに感謝してください。
夢を叶えて喜ぶ前に、
まず夢に挑戦できる事に
感謝してください。
※ジュニアゴルフの親御様方々へ。
目の前の子どもさんが楽しく
健康でゴルフに挑戦できてることに
幸せを感じてください。
結果ではなく挑戦できてる現実に
幸せを感じてください。
それ以上のものはありません。
また脊髄損傷(治療・リハビリ)について
カイトとって何か有益な情報が
ございましたらご教授ください。
(もちろん事故後、僕たちも
あらゆる方面手段を考えました)
既出かと思われることでも
なんでも構いません。
僕たちだけの力や知識など
しれております。
どんな小さなことでも構いません
カイトを応援してやってください、
支えてやってください。
ゴルフ部「3年生を送る会」
2019.3.10
卒業式は2月に終わっていますが
カイト達にとって本当の卒業は
この毎年ゴルフ部で行われる
「3年生を送る会」です。
この日の一週間前までは4泊5日で
進学先の大学のゴルフ部の合宿に
参加させて頂いていました。
男子部員総勢、約70名、
連日雨の中、担ぎで毎日2R
その中でよく頑張ってきました。
大阪に帰ってきたときは
疲れ果てていました。
それでも翌日早朝から
コマカントリーに行きました。
なのでこの日曜日は送別会にて
いいタイミングで息抜きができました。
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ついこのあいだ「3年生を送る会」の幹事を
僕らがやって、先輩らを送り出したと思ったら
もう自分たちが送り出される立場になっていました。
会場は毎年変わります。
去年は「あべのハルカス」だったので
歩いて5分でしたが、
今回は「リゾートホテル バリタワー」
歩いて10分になってしまいました。
おいしい料理をたくさん頂きながら
生徒も父兄も先生も思い出に浸りました。
最後に卒業生は一人ずつマイクの前で話しました。
「3年間で一番の思い出のショットは?」と聞かれ
「2年生の時、6月のグランベールGCでの
最終日最終18番ホールでのバーディパット!」
と答えていました。
3年生 (何人かは都合で出席できませんでした)
後輩達、カイト達がなし得なかった目標を
是非達成してくださいね!
送別会の翌日月曜からも、タイチとナパラ、
その後も、同級生と吉川メッチャ、箕面、泉ヶ丘、
有馬、よみうり、とラウンドは続きます。
クルマで一人で行けるのがよほど嬉しいのでしょう。
毎日朝からハイテンションです。
Abema TV tour NOVIL CUP アマチュア予選会(徳島県 JクラシックGC)
2019 2.27 JクラシックGC
Abema TVツアー(チャレンジツアー)
ノヴィルカップのアマチュア予選会に
参加しました。
3年前に一度来たことがあります。
前日の指定練から行きました。
これを渡れば四国、徳島県。
もちろん運転も。
2時間半で着きました。
もうトーナメントボードが設置されてました。
いつきても素晴らしいコース
JクラシックのJはジャンボ尾崎のJ
ジャンボが故郷の徳島に造ったコースです。
「山の中のJFE瀬戸内」といった感じ
よくこんな山の中に広大でフラットなコースが
造れたよなあ、と思います。
指定練はマヒロと一緒になりました。
久しぶりに会いました。
この日は天気もよく気持ちよく回れました。
宿は「アクセス阿波」 安くてキレイでした。
夕食は近くのお好み焼き。旨かったです。
いっぱい食べて早く寝ました。
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予選会当日
7040y PAR 72 参加 60名 通過上位 2名
昨日とはうってかわって気温が低く
寒い一日でした。
スタートの1番ロングホール
3年前はセカンドOBしてだぼダボ発進でしたが
今回はナイスショットからのバーディ発進。
結果
37/35 72(4バーディ4ボギー)
今日はピン位置が全ホール超奥で
とても長く感じました。
体感的には7200y以上に感じました。
気温も低く芝も薄くでなかなかスコアの
出にくいこの時期、
トップは69
カットは71のカウントバック
あと一打、、、、惜しかった。
ツアーデビュー叶わず、、。
60名参加で通過2名は厳しいなあ
以前は3名だったのになあ、。
まあ仕方ない。
幾度もあったチャンスを生かせず
また、イージーミスからのボギーも
3つ、4つ、、、。自己責任だ。
しかし今日のピン位置はえぐかったなあ。




































































