先月母方のおじいちゃんが亡くなりました。
享年79歳。
6年前の肺ガンの放射線治療のせいか
11月の終わり頃、急性白血病と診断され
余命3ヶ月を言い渡されました。
母ヒロコと
母の妹の戦いはここから始まりました。
プライドがとても高い人だったので、キツいお薬を使ってしんどい思いをしてほんの少し寿命を延ばすより
自然に任せて家族と一緒に最後まで自宅で過ごすことを選択しました。
だけどプライド高いからなかなか病院にも行きたがりません。
病気を隠して通院させるのは大変だったと思います。
12月3日、なんとか動けるときに
みんなで新婚旅行先である出雲大社に旅行にも行きました。
しばらくして母は実家と我が家の往復の日々が始まりました。
3月25日、彼氏をおじいちゃんとこに連れて行きました。
おじいちゃんは張り切って、凄くしんどいはずなのにベッドから起きてきて自宅内を案内してくれ、帰り際には握手してくれました。
後一週間かと言われていたときでした。
それから少し元気になり
病院も二週間後の予約を取ったりしてみんなを驚かせました。
4月に入って痛みが激しくなり、モルヒネを使い始めました。ヒロコはほぼ毎日夜中まで帰って来なくなりました。
お風呂に1人で入れなくなったようでした。
寝室に簡易トイレを置きました。
4月7日、弟とご飯を食べに行きました。
二週間前はしっかりしてたのに、ボケてきているようでした。
ご飯は台所でみんなと一緒に食べました。一時間かけて食べました。
食事を寝室に持って行くと、わしゃもう死ぬんか!!と怒ったそうです。
この日もあと一週間だと言われました。
次の週からはヒロコはもう家には帰って来なくなりました。
私は家で赤(父)のご飯を作って待ちました。
ヒロコがごめんねとメールをしてきたので
家のことはいいから親孝行しておいでと返しました。
そしてその週の金曜日の昼、ヒロコからじいちゃんあと半日か1日ですとメールがきました。
課長に話して容態が急変したら早退させてもらうかもしれませんと言ったら
すぐに帰りなさいと言ってくれました。
帰って家のことをして、昼過ぎからじいちゃんに会いに行きました。
意識は殆どなく痛そうでした。
じいちゃんと呼びかけると目をあけてくれました。
前日まで台所でご飯を食べ、歯磨きまでしたそうです!
この日の夜、私が様子を見ていると急にトイレに起きました。
トイレに座ったはいいケド立ち上がれなくなって女4人で20分ぐらいかけてベッドに寝かしました。
おしめもしているのにすげーよ
寝てるだけで体中痛いはずなのにすげーよ
じいちゃんはばあちゃんが作るちらし寿司が大好きだから
みんなで作って食べました。
じいちゃんは、楽しみにしてたでしょうが、そのお寿司を食べ気力もなく眠り、朝方ゆっくり眠るように亡くなりました。
最後まで風邪だと信じ、治ると信じて強く生きぬきました。
本当にお疲れさま
先週の土曜日四十九日の法要が終わったので日記に残しときたくて書きました。
重たい話しでごめん!
この数ヶ月はほんまに大変だった。
ヒロコはほんまに凄い。でもあのおじいちゃんの子供なんだと思うと納得。
小さい頃、しかられることなく自由にやりたい放題育った私は
厳格なじいちゃんが怖くて怖くて仕方がなかったケド
今思うとたくさんのことを教えてもらったと思う。
いつももっと遊びに来い!と言われてたのに、年に一回しか行けなくてごめんね。
怖かったんだよー
あっちの世界で楽しくお酒を飲んでてくれたら嬉しいなぁ。。
また遊びに行くからね!
ほんまにお疲れさまでした☆