ブログ面倒臭くなって来たなあ。僕が文字書いても結果的に俺スゲー的な事が言いたかったのかな?って話にしかならず、かと言って飛び上がる程嬉しがってる文章表現はしないし、それが原因で女と間違われる様な事態はくれぐれも避けたいので、結局の所その日あった出来事を書いて、ほんの僅かな感想を述べるくらいが落とし処になったんですね。自画自賛は好きだけど、凄いと言って欲しそうに作文するのは厭らしいなと思う様になりました。

 厭(いや)って字面白いね。

 

 面白い事に、自分で自分を凄いと自己評価し続けても、他己評価が上がる様な事って然程無いんですよ。良くも悪くも気にしないし、そんな高い自己評価を他人に押し付けようものなら却って下げる事にすらなる。自己評価に関しては何も言わず、我関せずであるかの様にそっとしておく程度が丁度良いのだ。勿論比較的自分が凄いと言いたげな印象誘導も同類。つまり自慢。

 別にそれらを言う事自体は何も悪く無いんだけど、なんかウケないから言わない方が良いって感じですね。人とのコミュニケーションでは、こうした「間違っては無いけど敢えて喋る必要も無い話」が多くあります。若い内は平均して皆見栄張るのが好きだし可愛らしくもあるけど、三十代ともなればいい加減大人しくなるべきかな。男の自慢、匂わせ自慢は嫌われる。若しくは好かれない。それを意識し続けてると、如何に自分が自慢したがりだったのかが判りますね。あらゆる発言に対しブレーキが掛けられる様になりました。

 

 その結果、喋る数が非常に減少した訳です。感想も減りました。自慢したがり人間の感想に価値は無いって事です。それに気付く前から僕の感想には価値は無いと思ってたので、まあ的確な理由付けが出来た様なもんです。

 今では、そんな傲慢な態度を悔い改めて、これまで使ってた発言の時間を人との交流時間に使ってます。積極的に関わり、相手を褒めて、褒められたら褒め返す。落ち込む人には相手の良い所を引っ張り出す。如何やらこれを繰り返してるだけで好かれて行くみたいです。自分の話なんかは求められた時に、求められた質問だけに回答する程度が丁度良いみたいです。また、相手がどんな返事だと喜んでくれるかのイメージも大事。ユーモアセンスが大きく問われる瞬間です。これで何かと上手く行く様になりました。