フィットネスクラブ行って運動して精神力回復しました。やっぱり運動不足でした。一応顔馴染みであった会員のおじさんと三週間くらい前から挨拶する仲になりまして、なんか褒めて貰える様になり始めました。僕からも何か話振った方が良いんだろうけど何話せば良いか分かんねえ。さしすせその褒め言葉言っとけば良いのか?いやそれは自慢話への返答方法か。うーん興味がある振りは出来るけど、それなら僕は運動したい。運動を教える事ならいくらでも出来るぞ。

 ずっと応援してくれてるスタッフさんとも物凄く久々にお話ししまして、暫く会わなかった事を気に掛けてた様です。ガチでお仕事が忙しかったんや。ていうか仕事忙し過ぎて人に会わなくなるってこんな感じなんだな。ブランクを感じさせない体だとお褒め頂きました。肉体労働だからな。

 

 先日知った言葉に「優越コンプレックス」というのがあって、要は劣等コンプレックスの一種である。自分が優れて見えなければ気が済まない感じ方で、つまり人から凄く見られる事を目的に努力したがる人間だ。周りに居るわ。自慢話もソレである。

 僕はこの優越コンプレックスを如何に排除するか日々奮闘している。気を抜けば直ぐ優越に浸りたがってるのだ。人に好かれる人間になる為にもこの感じ方は物凄く邪魔である。凡人にとってのメリットは基本的に無いが、例外はある。ライバルが全く居ない分野での優越感は武器になる。例えば僕ならSoundFontの編集技術が手に染み付いている。僕と繋がりがある範疇でこれが出来る人は全く居ないので、他者からは「なんか知らんが凄い技術持ってる」と見做して貰える訳だ。重機の操縦技術なんかも身近にはライバルが居ない。機械弄りも同様。だから得意気に語っても問題無い。

 

 一方で、専門的でない物事の全てにライバルが居ると見ても過言じゃない。また少々複雑になるが、頑張ってるアピールも優越コンプレックスと見て良い。兎に角マウント取れる様な要素がある物全てが優越コンプレックスになり得る。面倒臭いな。

 

 ここ迄書いて思ったんだけど、結局愛嬌の問題じゃね。愛嬌があれば優越感だろうが劣等感だろうが認めて貰えるが、無愛想な陰キャが持つとただウザい。愛嬌あってコミュニケーション能力が高い人間はいくら優越に浸ってる発信しても評価されるし、劣等感に苛まれてる発信すれば慰めて貰える。

 結局愛嬌かあ。思えば有名人に成り上がるにも優越感あってこそ努力が出来るんだよな。人より優れて居たいという競う気持ちも実は必要だったりするのかも知れません。優越コンプレックスがあると人に好かれないのではなくて、人に好かれない原因を優越コンプレックスの所為にしてるだけかも知れませんね。コンプレックスは単なる衝動である。そこに善悪は無い。衝動其の物に善悪は無い。極論、殺人衝動其の物にも善悪は無い。例えば数十人殺戮中のテロリストに対し、激しい怒りと殺意を以てヘッドショット決めたらその人は英雄である。衝動はただの感じ方、または現象に過ぎず、それらをどの様に評価するかは周りである。

 

 普通の人間社会では、まず美しく見える人や物が評価される。その次に愛嬌ある人が評価される。あいにく僕は思いのほか美しく見えなさそうなので愛嬌で努力するしかないんですね。男は度胸、女は愛嬌と言うが今の世の中男は度胸というだけじゃ足りず、如何しても愛嬌は不可欠になって来る。女に度胸が要るかは知らん。

 そんなシンプルな話をこねくり回して複雑にして本質を見えなくするのは、果たして意図してか、図らずしてか。人に積極的に関わって行く為の度胸は大事だし、関わった人々に安心して貰える様に愛嬌を感じて貰う為の手段に、優越コンプレックスは使えるか、否か。こうして見るとただの道具なんですね。

 

 好印象に感じて貰えてれば何しても全肯定してくれます。悪印象を抱かれてると全否定、興味が無かったら無いのと同じ。何しても全肯定して貰える様になる為の下積みとして好印象に感じて貰える様に努力して、その下積みとして眼前の問題をポジティブに建設的に解決して行く努力が大事なんでしょう。

 結論として僕はその努力がまだ足らない、或いは間違ってるという事だ。それか解決したつもりがネガティブに破壊的に処理してしまった部分があるかも知れない。そんな過去と真剣に向き合う事が今の僕には必要なのかも知れません。おやすみなさい。