10月22日(日) 16:21

最愛の母が永眠しました。

67歳になって2週間程でした。


2年8ヶ月の闘病生活が終わりました。




そして
10月29日(日) 9:00
家族親戚達に見送られて火葬を終えました。




4月の祖母の火葬の時、
母は号泣してたから、私もそうなると思い
薄化粧にしたけど、涙はほぼ出なかった。


最後の母の顔を目に焼き付けること
棺に色々入れるべき物を入れること
子供(特にタロ)に母を見届けて貰うこと
子供達の最低限の面倒や
来てくれた親戚への対応などで

気が張っていたのもあるのかな。


後日兄に話したら、同じだったみたい。
あと、やはり覚悟してたからだよね。

ずっとずっと脅されるように
この3年弱、過ごして来た。
余命が短くなる度、母が苦しむ度、
食べられなくなって行く度、
話せなくなる度…

いろんな段階があって

その度に私達家族は一喜一憂しながら
来月までもたないかもしれない
来週にはもうダメかもしれない

ずっと覚悟と諦めを強いられて来た。



いつか読んでた マンガアプリで
アオハライドという青春漫画の
主人公が好意を寄せる相手の男の子が
中学生の時に母親を癌で亡くしたのだけど

「この世から居なくなる準備をしてる
みたいにどんどん痩せてっていくのを
見てるのが辛かった」みたいな台詞があって

ほんとそうだなと思ってた。


母の場合は癌が脳髄膜に行ってしまった為
いろんな言動が次々できなくなって
それでも生きててくれてるだけでも良い

みんなそう思ってたけど
最後は寝たきりで眠ってることも多くて
亡くなって3日程そのまま自宅に居たけど
いつものように寝てるかぼーっとして
静かに居るように感じていた。
触ると冷たいんだけどね…



昔から夜に爪を切ると、よく祖母から
「親の死に目に会えないよ」と言われてた。

だけど、会えて良かった。
妹は間に合わなかった。
そして、看護師の兄嫁が居なかったら
母がいつ亡くなったのか分からない程
静かに息を引き取った。


あと10分で妹来るよー!頑張ってー!と
私は大声で伝え続けたけど
泣きながら兄嫁が、瞼を持ち上げたり
脈を取りながら、今の時間を聞いて来た。

私が16:21と答えると

じゃぁ、おかあさんが亡くなった時間は
16:21だね。と泣きながら言って

私も父も、叔母も、
え??! と思った。

あ、もう死んじゃったんだ。。。


だってまだ下顎が動いてたから。
まだ生きてると思ってた。
それくらい、苦しまずに、
そしてそっと亡くなった。


昔から1番手を焼いた妹が9分間に合わず
「私を待たずに逝っちゃうなんて、
お母さんらしいね」と妹は笑ってた。

兄嫁も「お母さんのことだから夜中にひっそり人知れず死ぬってないと思ってたから、日曜日でみんな居る時を選んだんだろうね」と。



母の癌が確定してから、家族や叔母も
みんな一丸となって闘ってきた。
闘病生活って、ほんと文字どおりだな。

母が亡くなって、
私達の闘いも終わったんだなと思った。
ほんとに、チームだった。
一致団結して、この2年8ヶ月、
結束力が強くなったし、きょうだいがいて
本当に心強いと何度も思うことがあった。

憤りも、不安も、悲しみも、一緒に。



今でも母の服や写真を見たり
もう一緒に旅行にも行けないんだなと
思ったり思い出すだけで涙が出ることもある
けど、基本元気です。


父や叔母の方が心配。


私は子供が3人も居るから、
くよくよしてられないのが本音かな。


私が母の歳で死んだら、タロは32歳
たーたんなんてまだ27歳かー。
母は私を早く産んでくれたから
一緒に居られる時間が長かったけど…
私も子供達と居られる最期までの時間
なるべく健康になるべく先延ばししたいな



母が着ていたパジャマを着て
今日ももう早めに寝ます。
まだ夢にも母が出て来てくれないな〜