ご訪問ありがとうございます♫ 
 
お父さん幼なじみの夫 38歳
お母さん育休中、✖️1の私 38歳
赤ちゃん長男タロ 2歳
赤ちゃん次男コタロ 0歳
タロは33週、コタロは36週で誕生ヒヨコ

育児、妊娠、些細な日常の記録です鉛筆
皆様の子育てブログ参考にさせて頂いてます❤︎

今日ちょっと育児記録から逸脱します。
そして少し暗くて長い内容になるかもなので
興味のある方だけご覧頂けたらと思いますm(_ _)m
どなたかの参考になればと記録しておきます。



今となっては、不謹慎ではあるけど
2月にコタロのお宮参り&お食い初めを
やっておいて良かったなと思ってしまう。
↑2月28日


あれから10日もしない内に
義父(写真左下の白シャツ男性)に不幸が…


3月9日AM

義父が1.2mの脚立から後ろに落下して
後頭部を強打し、救急車で運ばれた。
落下直後は意識もあり、心配させまいと
倒れたまま義母には連絡しないように、
又救急車も呼ばなくて良いと、
駆け寄った同僚達に言っていたそうだが
義弟の勤務先(役所)に連絡し、結局搬送。

義弟と義母が駆け付けた時は
意識は朦朧としていたが2人を認識出来た。



⬛︎診断結果
・重症頭部外傷(硬膜下血腫、外傷性くも膜下血腫、頭蓋骨骨折)
→頭蓋内出血あり。意識障害が蔓延したり後遺症を残すこともある。
・顔面骨骨折疑い(顎)
→下顎骨の痛みがあり骨折の可能性。
・肺挫傷、肋骨骨折
→背部の肋骨骨折、肺挫傷あり。呼吸が悪化したら人工呼吸器管理の可能性。
・腰椎横突起骨折
→ 腰椎横突起骨折、圧迫骨折あり。コルセット作成予定。痛みや後遺症が残る可能性あり。



とにかく初期段階では、命は取り留めたが
最悪植物人間になる、言語障害が残る
と聞かされていて私達は絶望していた。
コロナ禍で本人とは面会出来ず、
医師や看護師からの説明も不十分であり
聞かされる義父の状態や検査結果も
伝えてくる看護師によってバラバラ。
極め付けは、物を投げてくる、服を脱いで
脱走して困る!!と言われたが

後から分かったのは、着替える時に
脱いだ服をぽいっとベッドの上に放った。
家に帰ろうとしたけど着替えが無くて
入院着を脱いで部屋を出ようとした。

ということだった。。。



色々あったけど、とにかく初期に聞いてた
状態はあっという間に去り、2週間もしない内に管が外れ食事も出来るようになった。

とにかく毎日家に帰りたがる義父。


個室に移り、特例で面会が許されるように。
義母と3人の息子が会いに行った時、
心配かけたなと義父は泣いた。
そして、義母のことは当然のように認識しているが、3人の息子のことは名前は覚えているが誰が誰なのかははっきりしない感じだった。

そして帰る時には一緒に帰ろうとするし
とにかくこの病院のスタッフはみんな敵!
不信感のかたまりに思っており、
面会終わりに鳴らす約束のナースコールも
絶対に押すな!押したらあいつらが来る!
と頑なに止めていたらしい。。。


面会に行く度に帰り際、一緒にしれっと
帰ろうとする義父をみんなで制止した。
そしてとうとうある日車椅子で脱走した。

病院から出たところで転倒して軽い傷で
済んだものの、又もや問題行動とみなされ
リハビリ出来る病院に転院するはずが
このままだとどこも受け入れて貰えず
精神科、或いは老人ホームに入れられる
可能性が出てきてしまった。
そうなるとろくにリハビリ出来ず、
ただ弱っていくだけになる。


4月の頭には転院すると聞いていたが
何の進捗も無く、どうなることやら…
事故から半月で現在の義父は
・たわいもない会話は出来る
・仕事や家のこと(引越し)の心配をしてる
・義母以外の身内は認知不明
・伝い歩きなら可能
・てんかん持ちになり運転不可に
 ※これは車好きな義父にはまだ伏せている
・基本オムツだが自力で行ける
・会話してると、漫画読んでて急にページが飛んだような感じに話が飛ぶことがある
・時々言葉がスッと出てこない
・事故の記憶はある
・どこも痛くないからとにかく帰りたい


義実家は区画整理の為、家を建て直す為
一度仮住まいに引っ越す。しかも今月。
自営業の義父は仕事の機材が山程ある。
まだ片付け半ばの段階で事故に遭った為
毎週末私達は全員集まって手伝っている。



そして、義母は1月中旬、
深夜背中に激痛、嘔吐し救急搬送。
大動脈解離だった。
最初はICUで数日寝たきりだったが
手術等はなく、10日後に退院した。
血圧が上がると動脈が破裂して死に至る為
朝夕と血圧計測し、170以下に抑える為
塩分摂取は6g/日までとし、現在も通院中。


だから義父は、義母の血圧上昇を懸念して
事故にあった時、救急車を呼ぶな、
妻が心配するから!このまま少し横に
なっていれば大丈夫だからと言ったのだ。
後頭部強打は早急な処置が必須の為、これは間違い!




そして、そして、私の母。
ここ最近癌の可能性が出てきて、昨日、
やっとはっきり診断された。

母は昔からよく咳き込むし
誤嚥して気管支が弱いのかなと思っていた。

あまりにも最近咳き込んで肺が痛い為
近所の病院でレントゲンを撮ったら
右の肺にすりガラス状の影が…
3月4日に結果が出て、肺癌の疑い。


3月11日
大きい病院を紹介されて、詳しく検査。
3月18日 PCR検査→陰性
翌日    右下葉の腫瘤影の生検
     (内視鏡で肺の細胞を取る)
3月25日 脳のCTとPET
4月1日      診断
肺腺癌。胸椎に転移がありステージ4A。

医師の説明では、
・手術、放射線治療はできない
・腺癌は肺癌の中で一番多い種類
・分子標的薬の選択肢がある
※つまり薬物治療は出来る
・どの薬物治療が合うか調べる為に癌組織の遺伝子やタンパク質を調べる
・遺伝子異常ありの場合は分子標的薬という抗癌剤が使用可能
・遺伝子異常なしの場合は抗癌剤や免疫治療
※肺癌を完治する治療ではなく延命目的
・飲食や運動の制限はなく、普段どおりの生活を送って良い
(余命何年とは言われず)


また、母の咳の原因は癌とは関係なく
喘息でもなく、原因不明のまま。



セカンドオピニオンを受ける場合、
もしくは転院する場合におすすめの病院は
・武蔵野赤十字病院
・国立がん研究センター
・多摩総合医療センター
(※都内の場合)

これは癌で母親を亡くした友人のすすめ。
幸いにもタロの産院が入っていた!
14日に定期検診で行くから聞いてみたい。
用があるのは小児科だけど…


この友人の兄は医師で、父親も医師。
お兄さんとお父さんに聞いてくれた。
中学から家族ぐるみで仲の良い友人。
私の妹と兄、この子の妹と兄も同級生。
闘病中もおばさんに会いに行ったし
お葬式にも母と参列させて貰った。
葬儀の時、妹ちゃんは臨月だった…

実家はお寺さんで、お金持ちで
お母さん美人だし、みんな頭良いし
若くして3兄妹結婚して絵に描いたような
幸せな家族像の代表に思っていた。

闘病中もおばさんは明るく元気に振る舞い
私はその頃、前夫との子を死産したので
水子供養でもお世話になった。

最後に会ったのはその時。


あの頃はまさか自分の母が癌になるとは…
いや、どこかでずっと思ってたな。
あの後祖母も大腸癌ステージ4で手術して
完治はしたけど、祖母の兄弟みんな癌で
亡くなってるし、私は癌家系なのだから。


だから癌保険にも入って欲しかった。
その内入ると言って、去年も言ったのに。



次は15日に治療方針の説明があるのかな?
どこの病院でも1週ずつ検査が基本らしい。
癌なんてすぐにでも治療しないといけない
気がするが、治療に至る迄随分待たされる

そして、都内から都外へ転院したり
セカンドオピニオンを受ける場合は
検査結果を持ち出せないそうだ。
※何度も検査したり投薬したりが負担になるお年寄りは除く
つまり次の病院でも再び検査から始まる。
だから都内で良い病院を探している私達。


なんとももどかしい…
こうしている間にも癌は進行しているのに。
ただ、現在母はとても元気なのが救い。
勿論昨日宣告されて、両親は落胆していた。
私は病院の駐車場でチビ達と待っていて、
父が母に付き添って行ったのだが、
途中私がトイレに行きたいからと父に
戻って来て貰った時の父の表情で悟った。

あー、ダメなんだな。。。


普段ふざけてばかりの、ひょうきん者が
あんな悲しい顔をしてたのは何年ぶりか。


私はすぐに兄妹と夫にLINEしたら
妹が仕事終わりに新宿から実家に来た。
夫も仕事終わりに久しぶりに実家に来た。
兄嫁は末期癌患者を診る看護師なので
検査結果が出る度に共有していたので
画像を見ただけで癌を確信していたから
私も覚悟はしていたけど、
まさか骨に転移していたとは…


母は、人生悔いなし!死んでも良い。と
言っていたが、今日になって
セカンドオピニオンを受けると言い出した。

だから私はあれこれ友人達に聞いた。
上の友人だけでなく、家族を癌で亡くした
友人は、意外と多いから。



病は気から!信じる者は救われる!
タロとコタロが二十歳になったら
母とお酒を飲めますように…