モンタナ地からシアトルまで、法を求めてやって来た!

 山本伸一の一行が、シアトル空港で現地のメンバーの歓迎を受けました。海外係からの当初の報告では、「何人の人が空港に出迎えに来るか分からない」という報告を受けていましたが、実際に降り立って見ると30人近くのメンバーの出迎えを受けました。そこでひとしきりの挨拶をした後に、山本伸一の提案で「ホテルに移動しましょう」となりました。とはいっても、行ったことのないホテルで、一度に40人近くが押し掛けることになるわけですから、同行の幹部達も不安になったことでしょう。しかし、ここで散会するのも、せっかく集まってくれた皆さんに申し訳ない。そしてこの僅かな機会にも信心の楔を打とうという、伸一の強い思いがあったのだと思います。ホテルに着くと直ぐに、伸一の部屋に皆が集まりました。すると、即座に座談会のような状況になり、皆の近況報告や質問がどんどん出ました。皆それぞれに深い悩みを抱えていたのです。その中でも、アメリカ人の壮年から出されて悩みというか要望で、「英字で作った経本を作って欲しい」ということが出ました。友人と勤行するにも日本語が分からないから、耳で聞いて覚えるしかないということです。これは確かに問題ですね。例えてみると、日本人が訳の分からない文字の羅列と声だけで「このサンスクリットで書かれた法華経を覚えろ」と言われているようなものです。これでは、教えるのも大変、覚える方も一苦労です。それよりも、間違って伝わっていくのが一番問題と言えます。そのために、「すぐに検討します」と山本伸一からの返答がありました。これは、世界広布布石の第一歩になりますね。このことが、契機で今世界中の人が、正しい勤行と唱題ができるようになったと言えます。話が進んだ時に、突然ある女性が大きなテープレコーダーを抱えて部屋に入ってきました。その人は、山本伸一が来るというので、遠くモンタナより見知らぬ地のシアトルまで車で来たということです。山本伸一の声を、指導を是非友人や知人、紹介者に聞かせてあげたいと、テープレコーダーを購入し持ってきたということです。調べてみますと、モンタナからシアトルまでは、1000㎞程度離れています。ロッキーの高山をいくつも超えて、見知らぬ街に来て、しかも山本伸一の宿泊場所を探しながらやっとたどり着いたとのことでした。1000㎞といえば、日本で言えば青森から京都位の距離と言えます。高速道路を使っても途中で一泊しなければならないでしょう。ましてや、ロッキー山脈を横断してくるのですから、大変な道程であり、このホテルにたどり着くまでも相当難行苦行だったと想像されます。更には女性の一人旅ですから…。正に広布の使命を強く感じ取った人にしかできない行為だったと思います。この場面を記述したところがあるので、紹介します。

 

  質問に答えながら、伸一は、空港で出迎えてくれたメンバーの中で、まだホテルに到着していない友がいることが、気になって仕方なかった。「まだ、来ない人いるけど、どうしたんだろう」彼は話しながら、何度かこう繰り返した。質問が出尽くしたころ、バタンと大きな音がして、部屋のドアが開いた。皆が一斉に振り向いた。そこには、裸足で、片手にハイヒールを持ち、もう一方の手に重そうな大型のテープレコーダーを持った、やや大柄の日系婦人が立っていた。彼女は、テープレコーダーを床に置くと、喘ぐように肩で大きく息をした。顔中に汗が噴き出していた。「どうしたんですか」 伸一が尋ねると、婦人は、荒く息をしながら答えた。「すみません。空港からここに来る途中、皆さんの車を見失い、道に迷ってしまったもので…」「そうですか。ご苦労様でしたね。心配していたんですよ」伸一は、婦人に笑顔を向けた。彼女の名前は、タエコ・グッドマンといった。前日、モンタナ州を車で出発して、雪のロッキー山脈を越え、早朝ようやく空港に着いて一行を出迎えたのである。しかし、ホテルに向かう途中、一行の車を見失ってしまった。シアトルの地理が分からない彼女は、ホテルを探すのに、かなりの時間を費やしてしまったのだ。苦心の末に、やっとホテルを見つけたが、ホテルから、かなり離れた駐車場に車を止めてしまった。そこから大型のテープレコーダーを持って歩いた。このテープレコーダーは、女性の手には途方もなく重かった。数メートルも歩くと腕が痛くなった。しかも、履いていたのは買ったばかりのハイヒールであった。これが足に合わず、歩くとすぐに靴擦れができた。テープレコーダーの重さと、靴連れの痛みに音をあげ、彼女は何度も立ち止まった。時は刻々と過ぎていく。山本会長は、既にどこかに出発してしまったのではないかーーそう思うと気ばかり急くが、あゆみは遅々として進まなかった。そのうちに涙が込み上げてきた。ホテルのロビーに着いた時には、ハイヒールを脱いで裸足になっていた。靴擦れのできた足で、重い機械を運んで歩く苦痛は、恥も外聞も忘れるほど大きかったのである。「ありがとう。嬉しいね。同志のことを考えてくれて。みんなのために懸命に頑張る姿ほど、尊いものはありません」「先生…」何か言いかけたが、言葉にならなかった。しかし、霧が消えるように、にわかに晴れていくのを感じた。タエコ・グッドマンが入会に踏み切った動機は、三年前に日本人で母親がガンにかかり、医者から「六ヶ月の命」と宣告されたことであった。その苦悩のなかで、仏法の話を聞き、紹介者のしどうどおりに一心に信心に励んだ。そして、二ヶ月たって再検査を受けると、母親のガンの症状はすっかり消えていたのである。その後、彼女は、職場で知り合ったアメリカ人と結婚し、渡米する。しかし、見知らぬ土地での生活は、日々、郷愁をつのらせた。彼女は、日本に帰れることを願って、真剣に信心に励んだ。入会するメンバーは、二人、三人と増え、遂に十人を超えた。すると、彼女の心は揺らぎ始めたのである。 ”もし、自分が帰国してしまったら、この後残されたメンバーの面倒は、いったい誰が見るのだろうか…” 日本に帰りたい一心で信心に励み、弘教に力を注いだが、かえって、帰国をためらわせる結果となったのである。彼女の心は激しく揺れ動いた。それは、使命の目覚めといってよかった。そんなさなかに、山本伸一一行の訪米を知り、彼女は是非会長に会いたいと、一晩がかりで、車を走らせてやって来たのだ。彼女は、「みんなのために懸命に頑張る姿ほど、尊いものはありません」という伸一の言葉を耳にした瞬間、感激とともに決意が込み上げた。”私は、このアメリカの地で頑張ろう。私を信頼して、信心を始めた同氏のために…” 人間性の光彩とは、利他の行動の輝きである。人間は、友のため、人のために生きようとすることによって、初めて人間たりうるといっても過言ではない。そして、そこに、小さなエゴの殻を破り、自身の境涯を大きく広げ、磨き高めてゆく道がある。伸一は、モンタナの地から、法を求めてやって来た夫人の、一途な求道の姿が嬉しかった。広いアメリカのここかしこに、広布の使命に生きる地涌の友が、湧出しつつあることを感じた。まさに世界広布の時は来ていたのである。                    <錦秋p146~>

 

 この部分を読んだ時に、モンタナの地からはるばる山本伸一を求めて来た、タエコ・グッドマンさんの行動力、求道心には驚かされました。その距離もそうですが、アメリカの地で10人以上の同志を誕生させたこと、そして動機は何であれ、山本伸一を、そして仏法そのものを知らない初心の同志に、何としても仏法を知らしめ、退転しないようにとテープレコーダーを利用しようとしたことです。今でこそ、スマホで動画で簡単に声も姿も即座に送り知らせることができます。しかし、これは1960年のことで、60数年前の話です。発想が素晴らしいですし、行動に移したこともすごいです。調べたところによりますと、テープレコーダーが開発されたのは第二次大戦中です。しかし、基本は軍用でした。民間で実用化されたのはそれから十年後くらいです。ですから、グッドマンさんは、当時の最先端技術を直ぐに取り入れたということになります。発売当時はテープレコーダーを何に使うのかも知られていないので、それほど普及はしていませんでした。一部の音楽関係者だけに利用されていたのです。しかも開発されたばかりで、サイズも大きかったのです。ミカン箱よりも大きくトランクほどの大きさです。テープもオープン・リールで、直径30㎝位の円形のリールが二つ回る物で、さらに重量感がありました。機械の重さが、35~40㎏位でした。また、値段も、当時の価格で15~20万円位でした。今でいえば、200~300万円という価値かも知れません。そのように高価で、貴重で、重くて大変なものでした。いくら信心のためとはいえ、超高価で使用目的も不明確なものを、家族の理解なしには安易には買えません。自分がグッドマンの立場だったとしたらどうかと考えると、全く真似はできないでしょう。きっと「行きたいけど遠いから…」「無理、高くて買えないな…」などと、自分に都合の良い理由をつけて、このような行動はとれなかったと思います。そうして考えた場合には、「みんなのために懸命に頑張る姿ほど、尊いものはありません」という伸一の言葉は、もっともだと思います。最大級の賛辞だと思いました。人のために、自分は何ができるのか、何をするべきなのかと、常にまたは無意識のうちに考えているからこそ、グッドマンさんを信頼する人が増え、10人以上の人が信心をしたのだなと、痛感しました。まさに、使命あるモンタナの地に現れた、地湧の菩薩といえる人材ですね。

 

この箇所を読んだ時に、思い出された御書があります。その一つは、「食物三徳御書」の「人に物をほどこせば我が身のたすけとなる、譬えば人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」です。(通解:人に物を施せば、それがかえって、我が身を助けることになる。たとえば、人のために灯をともせば、その人の前を明るくすると同時に、自分の前も明るくなるようなものである)という御書です。池田先生は、「人のために尽くせば、善根となり、自分に戻ってくる。反対に人に非道をなし、苦しめた場合には、いつか同じことを自らが受けなければならない。これが因果の理法である。なかんずく、人々を最高の正法へ導いた功徳は、どれほど大きいことか。反対に、日顕は、仏意仏勅の創価学会の破壊を謀り、失敗して、学会を破門した。ゆえに還著於本人(還って本人に著きなん)で、自滅の道をたどっている。醜い嫉妬の心から、人の家に火を付けようとして、我が身に火が付いてしまい、火ダルマになっているようなものである。」述べられています。二つ目は、「高橋殿御返事」の「その国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ。仏種は縁より起こる。この故に一乗を説くなるべし」という御書です。池田先生は次のように指導されています。…「其の国」の「国」とは、門下の住む地域一帯のことです。また、現代でいえば、自身が居住する地域や職場、家庭など、自分自身の関わる場所全般と拝することができます。妙法を持つ人が、“今いる場所”こそ、広宣流布の本舞台です。自分にしか切り開くことのできない広布の曠野が必ずあります。最も重要なことは、この地域の広布を担うのは、誰かではなく自分なりと、深く自覚することです。一人一人の仏の生命を触発する人間主義の対話こそ、私たちが大聖人から直接、託された大聖業であるとの大確信で進んでいきたい。わが使命を晴れやかに自覚し、地域の人々の繁栄を願って、勇んで足を運んでいきたい。地味なようでも、私たちの一対一の「対話の拡大」こそが、「幸福の拡大」を実現し、「民衆勝利の拡大」を築きあげていく確かな道だからです…。”隣の芝は青く見える”ということわざがあります。「隣のものは良く見える」ということですが、実際にはそうではなということです。それと同じように、「どこかほかに行けば、折伏がどんどんできるとか、題目がいっぱい上がる」とか、そんな場所はないということです。基本は、自分が今住んでいる場所が一番の縁も使命もある場所であるということです。だからこそ、大聖人も、「その地域をあなたに任せるよ」と言われたのでしょう。グッドマンさんも、山本伸一の言葉によって、「このモンタナの地は、自分の使命の天地なんだ」と深く自覚したのだと思います。自分には自分にしかできない、使命があるのですね。