アメリカへの第一歩は、コロンブスよりも大きな一歩…!

 アメリカへ来た目的は、もちろん広宣流布のためであることは間違いありません。日本の創価学会は、昭和35年5月3日に第三代会長が就任したばかりで、まだまだ発展の途上にありました。しかし、そんな中での半年後のアメリカ行きでした。当然のことながら、当時のアメリカには創価学会のメンバーや知りありは何人かいましたが、組織だった活動はしていませんでした。そのメンバーに会い、激励し、アメリカ広布の1級の人材に育て上げていくための礎作りがありました。もう一つは、総本山大石寺の大客殿建立寄進のための資材購入が目的でした。サンフランシスコ訪問もその目的の一端の地でした。サンフランシスコ郊外にあるミューア・ウッズ国定公園内にあるコースト・レッド・ウッドという巨木を、吟味し選別して買い付けることです。任命されたばかりの現地の地区幹部の案内でその目的を果たし、帰途に着いたときにテレグラフ・ヒルと呼ばれる丘に立ち寄りました。するとそこには、かの有名な”コロンブス”の銅像がありました。”アメリカ大陸発見といえばコロンブス”、”コロンブスといえば新大陸発見”と思い浮かぶほど有名な人です。山本伸一は、実は、コロンブスの新大陸発見には日本と深い因縁があることを語ります。コロンブスのアメリカ発見は、”世界の大航海”の幕開けの第一歩でした。航海の成功により、世界が広がりました。一方では、この航海は、人権の侵害、領地の略奪、資源の搾取等々の始めの一歩だったのです。しかし、この度の山本伸一のアメリカへの第一歩は、全く正反対の平和旅でした。昭和35年の5月3日に第三代会長に就任したばかりで、日本の創価学会もまだまだ発展途上の段階でした。しかし、就任半年後にはアメリカへの第一歩を踏み出しました。それは、”不幸の人を救う”という大きな目的があったからです。人権、人種、貧富、教育、宗教等々様々なことで宿命・宿業に苦しんでいる人々を救済するのが目的でした。自由の国アメリカといえども、自由だからこそ、それぞれの人々の人生の差が大きかったと言えます。そして、同じアメリカの地を踏むといっても、その”心に秘める目的”が、その大航海の意味や結果にも大きな差を生み出します。片やコロンブスは”他人の犠牲の上に成り立つ富や幸福の追求”でした。片や山本伸一は、仏法の理念をもとに、”自他ともに喜ぶ幸福の追求”です。どんな行動でもそうですが、”心にいかなる理念を抱いているか”で、そのもたらされる結果が大きく左右されると言えます。そのことを記している場面を紹介します。 

 

 ミューア・ウッズ国定公園の帰途、一行はサンフランシスコ湾を見下ろす、「テレグラフ・ヒル」と呼ばれる丘の上に立った。サンフランシスコには珍しく、霧の晴れ、彼方には、夕日を浴びた海が光っていた。ゴールデン・ゲート・ブリッジやベイ・ブリッジも手にとるように見渡すことができた。(略)サンフランシスコを愛し続けた富豪のリリー・ヒッチコック・コイト夫人によって建てられた塔である。その下の広場の中央に、長いマントを羽織り、胸に十字架をつけた一体の銅像があった。「誰の銅像なんだろう」山本伸一が言うと、正木永安が、銅像の台座に書かれた文字を見にいった。 「山本伸一先生、クリストファー、コロンブスです。アメリカ大陸を”発見”したといわれる、あのコロンブスです。」 コロンブスが、イタリアのジェノバの出身とされることから、イタリア系の市民によって、千九五七年の十月十二日に建てられたものであるという。コロンブスがアメリカ大陸到達の端緒となるバハマ諸島のワットリング島に上陸したのは、千四九二年の十月十二日のことであるから、その四六五周年に建造されたことになる。「十月十二日といえば、大聖人の大御本尊の建立と同じ日だね」つぶやくように伸一が言った。その声には、深い感慨が込められていた。もともとコロンブスの旅は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』に、大陸の東の海上一、五百マイル

にある黄金の島「シパング」として記された、日本を目指しての旅であった。日本を黄金の国として紹介したマルコ・ポーロがアジアに滞在していた一二七九年(弘安二年)、日蓮大聖人は日本にあって、一閻浮提総与の大御本尊を御図顕されたのである。実際の日本は、マルコ・ポーロが口述したような黄金に輝く財宝の国ではなかった。しかし、大聖人の大御本尊の御図顕によって、全人類の幸福と平和を実現しゆく大仏法の黄金の光が、アジアの東のこの島から世界に向かって放たれたのである。「シパング」

に魅せられたコロンブスが、サンタ・マリア号、ニーニャ号、ピンタ号の三隻の帆船を連ねてスペインのパロスの港を出たのは、一四九二年八月三日の早朝であった。カナリア諸島を経由し、大西洋を突き進むこと七十一日、十月十二日に彼はワットリング島を見つけ、上陸した。大聖人の大御本尊の建立から二百十三年後の同じ日である。山本伸一は、そこに何か不思議な因縁を感じた。 コロンブスが「サンサルバドル(聖なる救世主)」と名づけたその島は、彼がめざした「シパング」でも、東洋でもなかった。そこは、西洋人にとっ、未知の新世界アメリカであった。しかし、これが、世界の歴史を画する大航海時代の新たなる一ページを開いたのである。 コロンブスの到達の日から、今、四百数十年の歳月が流れようとしている。彼の航海は黄金を求め、植民地を求めての旅であり、アメリカの先住民にとっては侵略にほかならなかった。一方、伸一の旅はヒューマニズムの黄金の光を世界にもたらす平和旅である。それは世界広布への大航海時代の幕開けであった。(略)「私たちは今、コロンブスと同じようにアメリカに第一歩を記した。だが、私たちのなそうとしていることは、コロンブスのをはるかにしのぐ大偉業だ。この地球に、崩れざる幸福と永遠の平和という新世界をつくろうとしているのだ。やがて、二十年、五十年、百年とたつにつれて、今日という日は、必ずや歴史に偉大な意義をとどめる記念日になるだろう…」 皆、厳粛な思いで伸一の言葉を聞いた。しかし、その言葉の意味を実感するには、まだまだ長い歳月を待たなければならなかった。(略)伸一は、しばし動かなかった。彼は己心の恩師戸田城聖に語りかけていた。”先生!伸一は、先生のお言葉通り、新世界の広布の扉を開きました” 降り注ぐ太陽の光を浴びて、彼の顔は金色に燃え輝いていた。                             <第一巻 新世紀 P135~ >   

 「世界史の窓」には、”大航海時代” を過ぎのような記述があります。⇒15~17世紀、ヨーロッパ人によるインド航路や新大陸到達などによって、世界の一体化が進んだ時代。ポルトガルとスペインが先鞭を付け、当時形成されつつあったヨーロッパの主権国家、オランダ、イギリス、フランスが続いて海外進出を進めた。背景には香辛料貿易の利益の拡大を求める北イタリア商人の商業活動、同時期に展開されたルネサンスによる新たな知識・技術の獲得、宗教改革によって窮地に立たされたカトリック教会の布教願望などがあった。このヨーロッパ勢力による大航海の展開はアフリカ、アジア、南北アメリカ新大陸への進出の始まりであり、それらの地域にも大きな変動をもたらし、中世から近代への移行期となった世界史的な動きであった。15世紀から16世紀にかけて展開され17世紀の中頃まで続く、ヨーロッパ諸国による新航路や新大陸の発見は、かつては「地理上の発見」という言い方をされたが、現在はそのようなヨーロッパ側に立った言い方をさけ、「大航海時代」とか「ヨーロッパ世界の拡大」とった言い方をする。いずれにせよ、ヨーロッパ勢力のアジアやアフリカ、南北アメリカの新大陸への進出が始まったことには違いなく、ほぼ時期的に重なるルネサンスおよび宗教改革とともに世界史上に大きな転換をもたらしたということができる。大航海時代は、まずポルトガルによるアフリカ西海岸進出に始まり、インド航路開拓に成功し、それに対抗したスペインが、思いがけずアメリカ新大陸を「発見」、さらにマゼランの世界周航でピークに達した。それ以後は、主としてポルトガルによるインド・東南アジア進出、スペインによるアメリカ新大陸の支配が展開される。17世紀以降はオランダ、イギリス、フランスが主権国家体制(絶対主義)を完成させて、重商主義にたつ勢力圏獲得に乗り出すようになった。この段階では18世紀以降の資本主義、さらに19世紀末からの帝国主義段階のような直接的植民地支配を目指したものではなく、「経済的勢力圏」を拡張する動きであったが、次第に領土的支配を強めてゆき、上記諸国は激しく争うこととなり、次の段階で植民地支配をめざすこととなる。 

この時期に、この両国によって「大航海時代」が開始されたことの要因、または背景としてあげられることは次の4点である。

①ヨーロッパにおけるアジアに対する知識の拡大(13世紀のモンゴルの侵入、マルコ=ポーロなどによる) ②羅針盤・快速帆船・緯度航法など、遠洋航海術の発達 ③ヨーロッパでの肉食の普及にともなう香辛料の需要の増大 ④国土回復運動(レコンキスタ)が進行して、キリスト教布教熱が高まっていた と抜粋ですが、以上です。

 このように大航海時代には、背景と経緯があります。そこには平和と幸福という目的は、記述されていません。確かに、未開の地にキリスト教をもたらし、ある面では精神的そして文化的な価値観をもたらしたことも事実です。しかし、その裏では、キリスト教をもとに先住民、原住民を教化し大人しくさせるという目的もありました。中南米で、キリスト教が普及した一方で、インカやアステカの文明が壊滅し、原住民は虐殺や蹂躙され、黄金や鉱物、そして香辛料などが搾取されたのは、歴史的な事実です。また、多くの黒人が奴隷として強制移動・強制労働をさせられたことも周知のとおりです。その結果として、現代でも黒人問題としてアメリカでは、しこりを残しています。ここに、不幸に嘆く民衆救済のアメリカ広布にかける大きな目的があると言えます。

 

 創価学会の世界広布の目的は、何なのでしょうか。それは、日蓮大聖人の理念である”立正安国”を叶えることです。では、立正安国の肝心は何でしょうか。それは、「汝須(すべから)く一身の安堵(あんど)を思わば、先(ま)ず四表(しひょう)の静謐(せいひつ)を祷(いの)らん者か」という文に示されていると思います。この文は要約すると、「あなたは、自分自身の安泰を願うならば、まず世の中の平穏(へいおん)を祈ることが必要ではないのか。」ということです。日蓮大聖人の御在世には、流行していた念仏をはじめとする諸宗は、人間の生きる力を衰弱させ、人々は災害や疫病などの惨状を前に、自らの救いのみを求めていました。しかし、不幸に覆われた社会で、「自分一人だけの幸福」を実現することはできません。社会の平穏と繁栄があってこそ、はじめて各人の幸福な生活が実現できるのです。大聖人は、社会に背を向ける生き方を厳しく戒められ、社会の平和に尽くすことが仏法の目的であり、そこにこそ、真実の幸福があると教えられています。つまり”自他共に幸福”になることです。誰かの犠牲の上に成り立つ”幸福”でも、誰かの犠牲になり下がるだけの”不幸”でもありません。共々に進み共々に高め合い励ましあいながら、平和と幸福な世界を目指していくことにあると思います。ですから、大航海時代の英雄と言われた人たちとは、明らかに目的が違います。彼らの目的は、誰かの犠牲の上に成り立つ”幸福”の構築です。大聖人は、「御義口伝」に、こう言われています。「喜とは自他共に喜ぶ事なり」と。自分だけのエゴの喜びではない。他人を喜ばせながら、自分が不幸になり、犠牲になるのでもない。「自他共に」喜び、「自他共に」幸福になる。これが妙法であり、広宣流布の世界の素晴らしさである。また「自他共に智慧と慈悲と喜とは云(い)うなり」とも言われています。つまり、自他共に「智」と「慈悲」があるのを「喜」というのであるということです。知恵があっても無慈悲であれば、冷たい邪智になってしまうし、慈悲があっても知恵がなければ、人々を救うことはできません。かえって誤った方向に進ませる場合すらあります。それでは、自分の幸福さえもつかめなません。「南無妙法蓮華経等」と唱えながら、知恵と慈悲を兼ね備え、この二つが深めていきながら、互いに励まし合っていくことが大事です。池田先生はかつて、アメリカのアラスカでこのようにスピーチをされました。「人生の幸福と世界の平和を成就する道は何か。それを明かした偉大な法こそ、妙法である。ここにのみ、国を問わず、貴賤を問わず、あらゆる人類を真の幸福と平和へ導く最極の道がある。私どもは、みずからこの道を、有意義な人生を生きつつ、社会に貢献しながら歩むとともに、人々にこの道を知らしめていこう。“進まざる退転”というのが大聖人の御精神である。前進には大なり小なり障害、困難がある。だが、これを避けては道から外れるし、恐れていては前進はできない。最後に、アラスカとは「偉大な大地」という意味であるとうかがった。どうか、この偉大なる大地で、永遠に崩れざる幸福と平和の道を拡大しながら、偉大なる仏法の証明者、偉大なる幸福の栄冠者となっていってほしい。NSAの友の栄光と、アラスカの皆さんのご多幸を心より念願している。」と。まさにアメリカ広布の意義は、この言葉に尽きると思います。