アメリカにおいて、広布の使命があるから…!

 このサンフランシスコの地で、後に地区部長に任命されたユキコ・ギルモアさんの自宅で初めての座談会が行われました。それは、1960年の10月4日のことでした。実に、これは、アメリカ本土で開かれら初めての記念すべき座談会だったのです。座談会開催するといっても、ギルモアさんが把握しているメンバーは、日系人中心を中心に20人程度でした。それまでまだ創価学会という組織があったわけでもなく、中心者も決まっていたわけでもなく、日本のように狭い地域から集まるわけではなく、アクセスも現代よりはるかに悪かったと思います。そこへ、山本伸一の一行が来られるということで、喜びと期待が大きい反面、結集がどのくらできるのかという不安も相当大きかったと思います。例えば日本においてさえも、もし「座談会に先生が入られます」という連絡を受けたら、その地区の人は、てんやわんやの大騒ぎになったことでしょう。ましてや、組織そのものがない外国の地では、連絡をとりあうのも大変な苦労だったと思います。組織もなく、メンバーの存在すら正確に把握できていなく、土地勘もなく、言葉も不十分で、携帯電話どころか固定電話もあまり普及していなかった時代です。このような状況で、ギルモアさんを自分に置き換えて考えたらどうでしょうか。余りの重圧で寝込んでしまったかも知れません。そうした中で、当日座談会に参加した人は30人を超えるほどだったそうです。その場で、お互い初めて会った人も中にはたくさんいたのではないでしょうか。相当頑張ったと思います。実は、この日に座談会を行うことは、事前に日本にも知らされていたようです。そして、日本からサンフランシスコ近隣に知り合いがいる人に連絡が行き、結果として思いもよらぬ結集ができたということです。何と組織の力は大きいことか、ありがたいことかと、深く感じ入りました。そして、日本人でアメリカにいること自体深い意味があり、意義があります。夢のアメリカ、温暖で豊かな地域のサンフランシスコです。しかし、ハワイと同様にこの地でも、日系人に待ち受ける苦難は大きかったのです。みんな大きな悩みや苦しみを抱いていました。「日本に帰りたい」という思いを強く持つ人は多かったのです。それでも、池田先生は、その悩みや苦しみやの深きことを受け止めて、そして、アメリカに来たことの広布の使命の大きさも同時に説いていきました。そのことは、その時の座談会の質問会の場で話をし、さらに将来の世界公布に向けて、三つの重要な指針を提案されたのです。その場面が書かれているところを紹介します。

 

 いよいよ、会長山本伸一の指導となった。彼は、ここでも、参加者からの質問を受けることにした。 質問には、いずれも言葉の通じない異国での生活の悲哀が滲み出ていた。ハワイと同じように、「日本に帰りたい」との言葉も聞かれた。悶々とした思いに駆られ、その日その日を、生きていたにちがいない。悲しみと失意に閉ざされた人びとに、生きる勇気を与えるために、伸一は満身の情熱を注がなければならなかった。それは、湿った薪を燃え上がらせるような労力を必要とした。 彼は、一人ひとりを抱きしめる思いで、諄々と諭すように、また、時には烈烈たる確信を込めて、仏法の偉大さを語り説いていった。質問会が終わりにさしかかるころには、参加者の顔に赤みが差し、屈託のない微笑みが浮かんでいた。 伸一は額に噴き出た汗を拭うと、力強い声で語った。「皆さんは、使命あってこのサンフランシスコに来られた。今は、それぞれに大きな悩みをかかえ、日々苦闘されていることと思いますが、それは全て、仏法の偉大なる功力を証明するためにほかなりません。皆さんこそ、アメリカの広宣流布の偉大なる先駆者です。皆さんの双肩には、未来のアメリカのいっさいがかかっていることを、知っていただきたいのです。その意味から、私は、本日、三つのことをお願いしておきたいと思います。まず、第一に、市民権を取り、良きアメリカ市民になっていただきたい、ということです。広宣流布といっても、それを推進する人びとが、周囲にどれだけ信頼されているか、信用を得ているかによって決まってします。アメリカにいながら、自分の国を愛することもできず、日本に帰ることばかり考え、根無し草のような生活をしていれば、社会の信頼を得ることはできません。国を担う義務と責任、そして、権利を得ることです。それが社会に信頼の根を張る第一歩になっていきます。 第二には、自動車免許を取るようにお願いしたい。アメリカは日本と違って国土も広い。どこへ行くにも車が必要です。皆さんが動いた分だけ、広宣流布が広がっていくことを思うと、ドライバーのライセンスの取得は、広布の本格的な戦いを開始するうえで、不可欠な条件といえます。第三に、英語をマスターしていただきたい。自由に英語を話せるようになれば、アメリカ人の友人も増え、多くの人と意思の疎通が図れます。弘教は人との交流から始まり、交流は対話から始まります。また、大聖人の仏法は、日本人のためだけのものではありません。アメリカの広布を考えるならば、やがて座談会も、会合の指導も、英語で行われるようにならなければならない。その中心となっていくのが、ここにいらっしゃる皆さんです。従って、たとえば日本の『かぐや姫』の話を、英語でしてあげられるぐらいの力を、まず身につけていただきたい」 伸一は、場内をみわたした。静かに頷いている人もいれば、当惑ぎみの表情をしている人もいた。また、隣同士で顔を見合わす婦人もいる。互いに相手が車を運転し、英語を自在に操る姿など、想像もつかなかったのであろう。彼は、メンバーの思いを察知し、言葉を継いだ。「大変なことを要求しているように思われるかもしれませんが、アメリカ広布を担うのは、皆さん方しかいません。ご婦人の皆さんのなかには、車を運転したり、英語を自在に操るなんて、とても自分には無理であると思っているかたもおられるでしょう。しかし、まず“必ずできる”“やるぞ”と決めて挑戦し、努力してみてください。皆さんならできます。アメリカには、女性のドライバーは、たくさんいるではありませんか。女性でも車を運転するのは、アメリカの常識です。やがて日本だって十年もすれば、そんな時代になります。その意味でも、皆さんは日本女性の先駆者になっていただきたいんです。また、英語だって、できないわけはありません。ここでは、五歳の子供だって、英語をはなしている。英語に比べれば、日本語は漢字もあり、大変難しいと言われています。でも、皆さんは日本語をマスターしているではありませんか」 笑いが起こった。その笑いが皆の心にのしかかっていた重さを吹き払い、希望を芽吹かせていた。”そうだ。やってできないことはない!” 皆そんな気がしてきたのだ。この三つの指針を、伸一は海外訪問の期間中、各地の座談会で訴えていった。やがてそれは、アメリカの同志の誓いの『三指針』となっていったのである                       <第一巻 新世界P124~127>

 

 2024年1月号の「大白蓮華」という雑誌の”あしおと”という欄に、アメリカのノースカロライナ州に在住のヨウコ・イシカワさんという方の投稿記事が載っていました。この方は、宮崎県出身の女性です。50年前に世界広布を夢見て結婚して夫婦で渡米したそうです。当時の新聞広告にあった「若い2人、アメリカで働こう」という謳い文句とは裏腹に、待ち受けていたのは紡績工場での過酷な労働だったようです。それでも、学会同志と繋がり、ノースカロライナ州の家から、班(当時)の会場まで、車で2時間、地区の拠点へは5時間、支部の拠点になると6時間という広大な範囲を走り回ったそうです。夜勤明けのまま会合へ向かい、仮眠して再び仕事へ行くこともザラ。経済的に余裕はなく、疲れ果てていたけれども、世界広布の熱い思いを胸に、交替でハンドルを握ったそうです。3人の子ども達は、遊ぶのも勉強するのも寝るのも車の中。大きなコンベンション(会合)があるとヨウコさんは鼓笛隊、ご主人は音楽隊として参加。どこへ行くのにもいっしょということでした。目標の永住権取得は、夫も日本人なので、夫が管理職にならないと申請ができない。高卒の夫は、待遇で差別され辛い思いをされたそうです。それでも、15年目で工場長になり、申請が90%完了した頃に、がんで亡くなられたとのこと。学会では、支部長を務め、フロリダで池田先生とお会いする夢を叶え、45年間師を求め抜いた生涯だったとのことでした。その後、娘さんが21歳で市民権を得たことで、ヨーコさんも永住権を取得できました。夫の分まで活動を頑張ろうと、何台も車を乗りつぶし、命に及ぶ危険も免れ、ご本尊に守られたと思った体験も数知れないとのことでした。1日も広布の歩みを止めることなく今も前進しているとのこと。おかげで子供達3人は人材に育ち、孫たちも広布の庭で活躍中とのこと、これからも広宣流布のため走り抜きます、との内容でした。日本にいては想像もつかない様な、厳しいアメリカ広布の現場がありありと目に浮かんできますね。この記事を見ても、池田先生の「三指針」は、いかに慧眼であったかが分かります。

 

 どこへ行っても、簡単にできる、弘教などありません。どの地でも、どの国でも大変な思いをして、広布の輪を広げて言っています。日本では、「言葉が通じるから楽に広布ができるだろう」と思えばそうではありません。いくら妙法が素晴らしいと分かっても、伝える人の真心が通じなければ、共感は得られず理解も得られません。逆に言葉が通じなくても、伝える人の誠意が伝われば、その人が持つ妙法も受け入れやすくなります。「地理的な距離が近ければ、広布の速度が上がる」かといえば、そうでもありません。隣に住んでいたとしても、すんなり理解されるわけではありません。一方車で何時間もかけていくような場所あったとしても、逆にその誠意や熱意が伝わり、相手の心を揺さぶることもあります。そのこから考えていくと、広布に大事なのは「3つの信」だなと感じます。それは「信心」「信念」「信頼」です。百六箇抄に「法自ら弘まらず、人法を弘むる故に、人法ともに尊し」とあります。「南無妙法蓮華経」が素晴らしいと言っても、広めていく自分たちの「3つの信」が弱ければ、広宣流布は一向に進まないことを再確認させられました。