アメリカ本土の第一歩は、サンフランシスコから…!

 世界広布の第一歩は、「旭日」の章でも紹介された通りハワイからでした。到着したホノルル空港には迎えの一行は誰もいなく心細いスタートでした。現地にはそれからわずか3~40時間の滞在でしたが、メンバーと会い激励、座談会、質問会そして地区結成と寸分の隙も無駄もなく怒涛の行程、行動でした。そして次に向かったのは、いよいよアメリカの本土です。それは、太平洋側の玄関口ともいえるサンフランシスコでした。ハワイからサンフランシスコまでの飛行時間は、約5~6時間で、時差は2~3時間です。日本―ハワイ間と違って、飛行時間も時差ももとんどないので、サンフランシスコ空港に降りたった時には、数人のメンバーが出迎えてくれました。山本伸一は、空港に着いてその数名と語り合い、話を聞いている中で、アメリカで信心しているメンバーの状況を把握し、即座にサンフランシスコでも地区を結成する意向を皆に伝えました。ハワイの地区結成でも驚かされましたが、それ以上に驚かされたことは、アメリカに支部・総支部まで結成するという構想を伝えたことです。これには、同行の幹部達も全く予想も発想も無かったことです。それはこの時点で、山本伸一の世界広布達成への意思と構想が、遥か先まで行っていたことを示すものでした。ハワイの場合と違っていたのは、創価学会という組織はなかったけれども、日系人を中心にすでに集まって話し合うとい下地ができていたことからも、結成を判断したのだと思います。また、出迎えたメンバーの中には奥さんは信心しているけど夫は入信していない、でも奥さんの活動には協力的という人達もいたようです。そのようなメンバーも広布を推進するには、貴重で重要な戦力と捉えていました。これは、日本でも同様で、信心をしている人に、諸天善神となって味方してくれる人と考えられます。山本伸一も「ただ信心をしているかしていないかで人を見て、安心したり、不安がったりする。しかし、それは間違いです。逆に信心をしていても同志や社会に迷惑をかけ、学会を裏切っていく人もいます。」と指導しています。広布の人材とは、創価学会の中だけに求めるのではなく、外部のよき理解者・協力者も含まれるという見方を示してくれています。つまり、盤石な広布の大城を築くためには、その裾野を広く強くしていかなければならない。それこそが「人間のための宗教の正しさを証明する姿」であると教えてくれています。偏見、偏狭で排他的な宗教は必ず行き詰まりが来ることは間違いありません。サンフランシスコ空港でのわずかな時間の出会いから、未来のアメリカ広布の構想を思い描き、書き述べた部分がありますので紹介します。

 

 サンフランシスコの夜が明けた。十月四日、伸一の一行は午前中は市内を見学し、午後には日本総領事館を訪問した。そして、午後六時から行われる座談会に臨んだ。(略)五時過ぎ、伸一たちは会場に到着した。そこには、一行の為に別室が用意されていた。ここで、まず、地区の人事の検討が行われた。昨夜、伸一は同行の幹部に、サンフラシスコにも地区を結成する意向であることを告げ、副理事長の十条潔らに人事案の作成を依頼していたのである。十条が、人事案を伸一に見せた。伸一は、しばらく考えてから断を下した。「そうだね、これしかないね。これでいこうよ」 そして、静かに言った。「今回、北・南米には、支部や総支部も作ろうと思っている。海外は未来の大法戦場になるからね」 誰もが耳を疑った。しかし、同行の幹部たちはハワイの地区結成以来、伸一には、自分たちの想像をはるかに超えた、世界広布の壮大な構想があると感じていただけに、驚嘆はしたが、また新しい何かが生まれる期待に胸を弾ませた。その後、伸一は現地の主だった数人のメンバーを、別室に招いた。「実は今日、サンフランシスコに地区を結成しようと思っています。そこで、ユキコ・ギルモアさんには地区部長を、チヨコ・テーラーさんには地区坦をお願いしたいのです。」 二人は、緊張した顔で頷いた。「ギルモアさんは女性の地区部長ということになりますが、ここは女性のメンバーが多いし、アメリカは男女平等の国だから、それでよいのではないかなと思います。それに、仏法は『男女きらうべからず』ですから、女性の地区部長が誕生しても、決して不思議ではありません。二人力を合わせれば、きっと、素晴らしい地区ができますよ。」「はい、頑張ります」「しっかり戦います」 決意のこもった返事であった。彼女たちの心田に、今、広布の種が植えられようとしていたのである。伸一は、二人の夫に言った。「また、ダニエル・ギルモアさんとポール・テーラーさんに、地区の顧問になっていただきたいのです。これまでと同じように、奥様を応援していただくとともに、地区の皆さんを見守り、時には、相談相手になっていただければと思います。お願いできますでしょうか」 伸一の言葉を、傍らにいた正木安永が通訳した。二人はにこやかに頷き、了承したが、同行の幹部たちは、さすがに驚きの表情を隠せなかった。ギルモアは仏法の深い法理などはほとんどわかっていない様子だし、テーラーは入会さえしていない。その二人が顧問になるなどという発想は、皆にはなかったからである。 伸一は、同行のメンバーの気持ちを察して、すかさず言った。「私は、ポールさんのような方を大切にしたいんです。信心をしていないのに、学会をよく理解し、協力してくれる。これほどありがたいことはない。みんなは、信心しているか、していないかで人を見て、安心したり、不安がったりする。しかし、それは間違いです。その考え方は、仏法ではありません。信心をしていなくても、人格的に立派な人はたくさんいる。そうした人たちの生き方を見ると、そこには仏法の在り方に相通じるものがある。また、逆に信心をしていても同志や社会に迷惑をかけ、学会を裏切っていく人もいます。だから、信心しているから良い人であり、していないから悪い人だなどというとらえ方をすれば、大変な誤りを犯してしまうことになる。いや、人権問題でさえあると私はおもっているんです。」 伸一の思考の中には、学会と社会の間に垣根はなかった。仏法即社会である限り、仏法者として願うべきは、万人の幸福であり、世界の平和である。               (第一巻 新世紀p115)

 

 サンフランシスコは、ある意味では日本と有縁の地と言えます。古くは江戸時代の末の1860年、日米修好通商条約の批准書交換のためにポーハタン号で日本を出航しハワイを経由して、サンフランシスコを訪れています。この時同時に咸臨丸が勝海舟、福沢諭吉らを載せてきています。また、それから約100年後、再びサンフランシスコ講和条約の調印のために訪れています。どちらの条約も、ある意味では日本の近代化の節目になったものです。しかし、一方では、両方とも対等の条約内容ではなく、日本にとって不平等な条項が盛り込まれていて、その後に大きな問題を残した条約でもありました。特に、終戦後のこの時結ばれた日米安全保障条約は、戦後の日本の近代化の促進の方わわ、アメリカ傘下の縛りを受け、米ソの冷戦構造の中に巻き込まれる危険性の高いものでした。そのために、国内では安保反対運動が巻き起こり、国会内外で国を二分するような紛争・紛糾がしばらく続きました。そのために、不平等な条約の内容は、日本国民にはかなり政治的にも人権的にも不満を募らせてたナイーブな存在だったのです。そんな時期の中での、山本伸一の会長就任であり世界広布の旅立ちでした。ですから、ハワイでも、サンフランシスコでも、創価学会の組織を作るにあたっては、人権問題も意識して作られたと思います。特に、アメリカ本土では、人権問題が根強く残っていたために、男女の差別や人種の差別に関しては、強い配慮事項だったと思います。今回のサンフランシスコ地区結成の際には、山本伸一の決断で、地区部長・地区坦も女性になりました。また、入会していない夫も顧問として迎え入れました。それは、信心しているかどうかではなく、「広宣流布を進めようとする姿勢」が、人事の尺度であるという考えに至ったためでしょう。つまり、信心を進めるための推進力と人間性が重要であるということです。アメリカでは、日本語も通じず、御書の浸透も難しいです。この地での広布拡大の難しさは、鎌倉時代のそれとも通じるものがあると思います。鎌倉時代は、言葉は通じても、人権的な保障はありません。人々は今を生きるので精一杯で、目の前の死と死んだら極楽に行けるという邪念に侵されていました。そして、幕府に恨まれた大聖人に帰依することは、当に死と背中合わせの行為とも言えたでしょう。アメリカでも、キリスト教を捨てて、得体の知れない東洋の宗教に身を投じることは、大変な決断だと思います。だからこそ、社会の信頼と常識や見識、人間性ということを重要視したと言えます。

 

 日本と環境が大きく異なる中でも、仏法の理解者やメンバーを増やしていくために重要なのは、行動・行為・人格でしょう。つまり、信心している人の人となりを見て判断し、信頼し、理解し、入会するという筋道です。基本的内は日本でも同様ですが、仏法を知らない海外ではなお一層のことだと思います。日蓮大聖人の「種々御振舞御書」という御書に「教主釈尊の出世の本懐は、人の振る舞いにて候いけるぞ」と言われているのは、まさにこのことだと思います。ましてや、敗戦国日本、米国と戦った国の日本、白人ではない日本人、言葉の通じない日本人からもたらされてきた宗教となれば、より一層の布教の難しさ・厳しさがあることは間違いありません。山本伸一が創価学会以外の人を顧問として依頼し、向かい入れたことは、信心を理解できなくても、している人を信じ尊敬し支えるという輪を広げていくというモデルの形成です。この夫婦のような形がどんどん増え、やがてはの輪が広がり、緩やかでも裾野のひろい組織が形成されていくだろう、そしてやがては盤石な城塞ができあがるという 先々を見通した慧眼であると思います。日本でも、会友を大切にしていく、「一人が10人の本当の友人をつくる」という動きは、”人としての振る舞い”を大切にするということが基軸になるということだと思います。