フィリップとフィル、二人のエンジニアの結晶は高性能・高品質・高価なモーターサイクルだった。
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1928年、創業4年目のHRD社を買い取ると、フィリップ・C・ビンセントはHRD社のモーターサイクルに自らの名前を与えることにした。発明家でありエンジニアでもあったビンセントは、その業績の中で画期的なデザインを生み出し、歴史上においてビンセントHRDのロゴの飾られたバイクは、何よりも優れた品質のバイクとして後世にも語られるものと成った。
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HRDの図面やジグ、生産設備などは、イギリス・ハードフォードシャーのスティーベネジーに移された。そこが、ビンセントHRD新会社の本拠地と成った。
新体制に成ってからのモデルは、OHVシングルシリンダーのJAP製350/500ccを使っていた。エンジンは、チューブラーフレームに、自身のパテントによる先進的なカンチレバー・リアサスペンション付きで構成された。カンチレバーは、ヤマハのTZやYZなどに搭載されて以来日本でも一般的なシステムとして近年でも採用されている。非線形レシオのサスペンションシステムで、既に、1927年に特許を取得、20年代のビンセントに採用されていたことは、本当に驚くべきことだった。
この当時から本格的なリアサスペンションを採用していた例と言うのは極めて少なく、また新しいビンセントHRDの各部の仕上げも丁重で良く造り込みされており、その品質の高さの為すぐに一流ブランドとして有名になったのだった。
しかし、1934年のマン島TTレースの結果が散々たるものだったこともあり、フィリップ・ビンセントはJAP製エンジンを見放し、自社製のエンジンに積み替えることを決意。新たな設計開発に着手することとなった。1932年からビンセントHRDに参加していたオーストラリア出身のエンジニアであるフィル・アービンに、JAP製に代わる500ccシングルシリンダーエンジンの開発を依頼することとなった。しかし、それは僅か4ヶ月後のモーターショーの発表に間に合わせるという期限付きのものだった。
アービンは、何とか…これに間に合わせ、1935年モデルとしてニューエンジンを搭載したマシンをショーに展示することに成功した。ただし、それは一度たりとも走ることは無く、ショーの後に開発と熟成が図られて行くこととなった。そのOHVシングルは、最終的には3つのモデルに搭載されてデビューすることとなった。
キャブレター、ピストン、かむシャフトの違いによるエンジンチューンの度合いに応じて、メテオ、コメット、コメットスペシャル(TTレプリカ)とマイルドな性格のロードスポーツから市販レーサーまで、バリエーションを整えられていた。コメットスペシャルだけは、ブロンズのシリンダーヘッドが奢られていた。
新たな設計では、従来のビンセントの特徴的な放射レイアウトのプッシュロッドOHVを継承しつつも、ハイコンプレッション、ハイカムシャフト、強化されたプッシュロッド、ダブルガイドのバルブなどの採用が目立った。
このコメットのシングルシリンダーに続いて、直ぐ後には有名なラパイド・シリーズの50度V-twinが開発される。製図台の上におかれたコメットのエンジンの図面がたまたま斜めにズレ落ち、2枚目の図面とだぶったその姿から、V-twinのインスピレーションが生まれた…と言う逸話はあまりにも有名なものだが、真意のほどは何びとにも確かめられてはいない。
1936年に登場した、このハイカムのOHV998ccV-twinはプランマーズ・ネイトメア(配管工の悪夢)というニックネームで呼ばれたことも良く知られているエピソードだ。エンジンの外側にも内側にもスパゲッティのようにオイルラインの網が張り巡らされていたからで、コメットのエンジンをそのまま50度ズラして2連装した、見るからに複雑そうなエンジンの様子を、ありのままに表現していたとも言える。
シリーズAとなったラパイドとコメットは、素晴らしいハンドリング、車体の安定性、そしてブレーキ性能が伴っており違いの判るライダーの為のバイクと言う評価を得るに至っている。しかし、クラッチとギアボックスは出力の負担に負うところもあり壊れやすかったのも事実である。シリーズAの標準的な単気筒モデルとなるコメットでは、最高出力25ps/5300rpmで175kgの車体を引っ張り、トップスピードは148km/hに到達する。
第二次世界大戦後の1946年には、V-twinエンジンのデザインをさらに改良したシリーズBラパイドが登場。シリーズA(戦前型)では設計上に問題のあった部分の多くが解決されている。また、戦後のビンセントは、エンジンが構造メンバーとなり、現代のモーターサイクルの一部(例えばBMWのR259系やヤマハXV系など)に見られるような、基本的にフレームレスという全く新しい形態のモーターサイクルの原型を創造したのだった。
1949年には、シリーズCラパイドの登場とともにラパイドよりもさらにハイパフォーマンスな『ブラックシャドウ(Black Shadow)』を登場させている。その名の通り、エンジンまで含めて黒ずくめのこのマシンは、時代を超えて極めて大きな魅力を持ち続るクラシックモーターサイクルだった。非常に速く、非常に美しいブラックシャドウもまた、伝統的なビンセントの高価なプライスタグを下げていた。
ラパイドの進化と同様に改良と改変を受けながら併行して生産が続けられていたコメットシリーズも、半分の排気量、半分のシリンダーとは言えかなり高価なモーターサイクルだった。
ビンセントに憧れる男達は多かったが、実際に手にできる裕福でなおかつ冒険心のある男はやはり少なく、一貫して高級車造りを押通してきたビンセントの販売は次第に落ち込み、このCシリーズからDシリーズに進化した1955年、ついには愛しまれつつも生産を停止することとなった。


