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彼らの脳裏には失敗と言う二文字は無かった。1950年代の成功に伴う世界的名声と威信の復活を熱望したNSUは、第二次世界大戦後に再びクラシック・ロードレーシングに参戦することを決意。Renmaxの輝かしい記録を打ち立てることに成功した。
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エンジニアリングに適切な準備を行わせれば、確実にトップを狙えるマシンを完成させられるだけのノウハウもあり、トップライダーを惹きつけ獲得さえ容易なモノに成ると彼らは推論していた。第二次大戦の終了と共にドイツが再びFIMに参加した1951年、彼らの持ち込んだ500cc・Fourは、エンジン出力は見事に53bhpを供給することに成功はしていたものの、トラブルは様々におこり、直ぐに放棄されてしまうこととなった。
Renmaxの成功へのスタートはこうしたきっかけから生まれることとなる。失敗作となった500fourの半分をスポーツ・ツインのクランクケース上に用いたのがオリジナルRenmaxの原型。54.0X54.0mmのボア&ストロークをもち、クランクシャフトは3個のメインベアリングで支持。ベベルギアによりオーバーヘッドのツインカム・シャフトが駆動されている。
1952年3月にデビューし、27bhp/9,000rpmが実測されており、まずまずの仕上がりを見せていた。そして6ヶ月後の1952年9月、Renmaxは31bhp/10,400rpmを発生するまでに出力向上が図られていた。そしてイタリアグランプリとなるMonzaのサーキットで、当時世界チャンピオンであったEnrico Lorenzettiを僅かタイヤ1個分の差で打ち負かすことに成功したのである。常勝を誇っていたMoto Guzziのチームが驚いたのは言うまでもない。
1953年のグランプリに向けて重要な変更も行われている。スチール製のビーム・フレーム(Beam-Fream)にリーディングリンク式のフロント・フォークを用い、小さなフェアリングがステアリングヘッド周りを覆っていた。Renmaxは、TT以外の全てのクラシックレースで優勢を得るまでになっていた。が、TTにおいては未だ実績のないWenner Haasは、Fergu s Andersonの17秒遅れと善戦するに止まり、イタリアグランプリではドルフィン型のフェアリングを用いたLorenzettiに3.3秒差で屈している。
1954年のRenmaxは、そのポテンシャルを遺憾なく発揮。何物にも勝る競争力を付けていた。マシンの当初からの設計者であるDr.Froedの用いたスチール製ライニングの効果や、充填効率を高め高効率の燃焼を促したり、摩擦によるパワーの減少を押さえ込んだり、ポンピングや歪みと言った基礎的な事にまで手直しを入れ、見事成功に導いたのである。流行のドルフィン型のフェアリングも採用し、エンジンにまでも手直しが入れられたRe nmaxは、インレット・バルブを1と16分の9インチとし、ポート及びキャブレターに28mm径を適応させるために、ボア&ストロークは55.9X50.8mmのショートストロークに転換。コンロッドを10mm延長することによって、セカンダリーの不均衡な力を軽減することにも成功している。
クランクケースは大幅な改良を受け、4個のローラーベアリングを与えた5個の鍛造クランクケースが制作されている。パワーの中枢となる発生点に全てのパーツを同一梱包とすべく設計がやり直しされているのだ。5インチ径の組立式クランク、ギアボックス、クラッチ、イグニッション、オイルポンプ、そしてカムシャフトを駆動するカウンターシャフト、までもが内蔵されていた。左サイドでは、シングルのベベル・シャフトが排気に導くスーパーギアトレインによってインレット・カムを駆動。カムボックスは大量にフィンを付けられたシリンダーと一体化され、そこにはタンク下のバッフルプレートによって空気が流れ込むように工夫も加えられていた。
バルブの傾斜角を含めてもわずかに50度で、排気バルブにはナトリウム冷却処理も施されていると言った念の入れようだった。長さ30インチの浅いテーパー角を持つメガフォンと8mmのバルブリフト量の組み合わせによるタイミングには、エアフローメーターで理論上の吸・排気効率である130%を示した。バルブの加速性はリフト量の最初の4分の1に依存するため、オーバーラップするヘアピンバルブスプリングが、ギアの入れ間違いの際に流れを防ぐように工夫されていた。
圧縮比は8:1と11:1の間でテストが繰り返された。決定された圧縮比は秘密となっているが、スパークプラグの周りのクリアランス量は僅かになり、その比率自体もかなり高めの様であった。6ボルトのコイル・イグニッションは、5,000rpmまで遠心力で自動上昇する珍しいモノで、ライダーが自らの理想のタイミングでシフトチェンジが行えるようにしたモノとされている。
その他の特徴は、ビッグエンドへのオイルの供給方法が上げられる。内装されたフライホイールのディスク表面付近にある環状のチェンネルへと噴出。そこから、クランクピンへとオイルラインを通って、遠心分離している。バルブギア用のオイルは、空洞のカムレバースピンドルを経由して摩擦する表面へと通じていた。走行温度は華氏約60度であった。が、SAE20オイルは90~100度Cに前もって暖められていた。
トランスミッションは、乾式クラッチとニードルローラーベアリングに支えられた6速ギアが内蔵。1954年、Renmaxはレース前のウォーミングアップにも余裕の構えを持っていた。5,000~11,500rpmと言うパワーバンドの広さを絶対的な有利として、33~39bhpへと向上したパワーで常勝マシンの信頼性を勝ち取っていた。フルカバードとなったフェアリングによりトップスピードも上昇。TTにおける125mphから、ホッケンハイムでは135mphへまで高めている。そこには、250ccの気配をまるで感じさせない悠然としたRenmaxの勇姿があった。

