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BMW BOXER MODELS

(リード)
1923年、Bayerische Motorenwerke(バイエリッシェ・モトーレン・べルケ)製の最初のモーターサイクル、R32がパリ自動車ショーで発表されて以来、BMWの水平対抗ツイン、すなわちボクサーエンジンの歴史は今日まで続いている。

(本文)
 BMWの起源は、飛行機のプロペラをデザインした青と白のエンブレムからも想像出来る様に、航空機エンジンの製造会社であった。1917年には最初のBMW社としての製品である航空機エンジン、タイプIIIaが生産されている。この直列6気筒エンジンは、全身と成った会社の創業者であるカール・ラップの基本設計に忠実だったが、同年のはじめに雇用された若いエンジニアであるマックス・フリッツの手によって開発された、高・高度キャブレターによる優位性を評価されたエンジンだった。
 BMW-IIIaは、すぐさま軍の興味の対象と成り、同年末には既にドイツ空軍戦闘機パイロットによって使われることとなった。回転する飛行機のプロペラをデザインイメージし、周囲にBMWのロゴを配置した新しいエンブレムを帝国特許事務所に登録したのも正にこの時期、1917年10月のことだった。
 1920年春、モーターサイクルが好きなBMWの技術者マーティン・ストールは、彼自身が所有していたフラットツインエンジンの英国製ダグラス500を分解計測し、小さなエンジンの設計を始めた。結果として、ストールがデザインし、今日に至る迄の永きに渡り継承される事と成ったBMWのボクサーエンジンは、ダグラスとの関連性を否定出来ないものとなったのだ。
 このストールのフラットツインM2B15を最初に発注したのは、ニュールンベルグのビクトリア社だった。同社のマシンは、スポーツ競技の場で成功を果たし報道関係からもBMWのエンジンに対する肯定的な反響が高まり販売数が増加。やがて、他の幾つもの会社が自社モデルにM2B15を採用して搭載することとなった。BMW製エンジンは、空に続き陸上に置いても高い評価を集める様になったのだ。
 第一次世界大戦で大敗を記した後、BMWの兄会社に当たるBFWは、本業である飛行機の生産を禁止されていた。そこで、ビクトリア社に対抗して、モーターサイクル「ヘリオス」を発売する。エンジンは当然の事BMW製M2B15を搭載。ヘリオスへのエンジン供給によって、結果的にBMWとBFWとの間の業務提携が確立。直ぐに再合併される結果と成った。この結果、BMWは、正式にモーターサイクル・メーカーとなった。しかしながら、「ヘリオス」とより小さなエンジンを搭載した「フリンク」は、期待した程の売れ行きを見せる事は無かった。この頃、最初のボクサーの生みの親であるマーチン・ストールはBMWを去り、ビクトリア社の為に新しいエンジンの開発を始めていた。BMWに在籍中、彼はより強力なOHVエンジンのプロジェクトを実現する機会を狙っていた。しかし、その機会が得られなかったことでBMWを去る決意に至ったと理由を語っている。
 BMWの新しいモーターサイクル開発は、マックス・フリッツに託される事と成った。航空機技術者として、フリッツは当初モーターサイクルの設計には気乗りしなかった。だが、それは実は、彼自身も熱狂的なライダーだった為、何時の時代にも趣味を仕事にすると苦労すると言う定説を信じていたからだった。
 間もなく、フリッツは自らの手によって一台のモーターサイクルを完成させていた。そのフラットツインは、両シリンダーが均等に適切に空冷されるように、あたかも飛行機の翼の様に進行方向に対し横置きに配置され、ダブルチューブフレームに搭載されていた。ミッションは、エンジンブロックとと直結、そのままシャフトを介して後輪に動力を伝達するシステムが採用されていた。
 この基本構成は、様々なアイディアに溢れた独創的なモーターサイクルが多かった時代においても珍しいものとなった。シャフトドライブは、むしろ自転車によく見られたシステムであり、ベルギーのFN社によって1904年頃から初めてモーターサイクルにも使われる様になっていた。また、進行方向に横向き(クランク縦置き)に置かれたフラットツインも、過去1919年のイギリス製400ccのABCにも使われていた。
 フリッツのデザインの革命的なところは、ディテールではなく、個々のパーツを統合させ、全体的なコンセプトに留意する事にあった。結果的に、当時のライバル車と比較して、フリッツのモーターサイクルは、全く新しく構成されたかの様にインパクトを醸し出していた。そして、このモデルは、予想通りの走行性能を発揮。BMW「R32」として、1923年10月に開催されたパリショーでお披露目と成った。このとき以来、現在のモデルにまで、Rad(ラッド、車輪または自転車の意。モトラッド)の略から取られたコード『R』は継承されている。
 BMWの名前を最初に付けた「R32」に対する大衆の反応は分かれ、エンジン出力の8.5psを当時のライバル車と比較して不満に思う人もいたし、そのレイアウトがマシンを傾けると不必要なエンジンダメージを与えるのではないかと恐れとともに懐疑的に思う者もいた。ダイレクトな反応を示すシャフトドライブでさえ、絶賛意見だけでは無かった。
 しかし、R32は、信頼性が高いモーターサイクルとして明確に認められることとなった。よくリペアされる部品の全ては完全に包まれ、シャフトドライブも通常のチェーンやベルトと比べメンテナンスがとても容易なものだったからだ。
 エンジンは、低回転域高トルク型で設計されていたので、航空機エンジンメーカーであるBMWの名にふさわしい滑らかな走行性能を発揮。信頼性にも溢れたものだった。さらに、R32は、122kgと軽量だったので、8.5psでも当時の道路状況でも90km/h以上のトップスピードに達する性能を見せてもくれたのだった。これは、当時のスポーツモーターサイクルとしても十分以上なもので、平均速度を上げるには、車体性能もエンジンと同じくらい重要な要因だったと言うことを、既にBMWは示していたのである。
 以来、BMWのコンセプトは、現在に至る迄見事な程に一貫している。第二次世界大戦で活躍し、連合軍に恐れられたR75などの軍用車はもちろん、マン島TTレースでイギリス国外のマシン/ライダーで初めて優勝したスーパーチャージャー付きOHCボクサー(コンプレッサー)、戦後のRENN SPORTなども、この1号車R32以来のコンセプトを継承、特徴を最大限に活用したモデルに他ならない。
 そして、戦後復興のモータリゼーション過渡期にコミューターとして広く重用されたサイドカーの分野でも、アールズフォーク付きのR69S系などは絶大な支持を集めた。ミュンヘンからベルリンに向上が移される際に世代交代されたR75/5系からR100RS、そして現代のR1100系(R259)と、マックス・フリッツの基本コンセプトは確実に継承されているのである。