HONDA KA 1954 | kenbouのブログ

kenbouのブログ

ブログの説明を入力します。

HONDA KA 1954

 ジュノオが発表されたのは、1953年11月。オーバーデコレーションとも思える作り込みは、この時代のスクーターとしては出来過ぎの感もあった。一見して鉄板とも思えるボディーは強化プラスチックであるFRPが採用されており先進的な発想と共にホンダがこのモデルにかける意気込みが伺える。設計に際しても誰もが驚く様な大型スクリーンと同時に角度調整を可能としたバイザー式のスクリーンも与えられており、雨に際してもライダーの前面は守れる仕様となっている。
 さて、これだけのモデルが世間で注目されない訳が無い。しかしながら…僅か1年半の後に撤退を余儀なくさせられるには、それ相応の問題点も生じていた。本来ならば、鉄板の4分の一の重量で済むはずだったボディーカウルは、FRP技術の未熟さから…より重量が加算されるはめとなり、当初採用された189ccのパワーユニットでは非力差が露呈されることとなり、半年後には当時ドリーム4Eに採用されていた220ccに置き換えられることとなった。しかしながら、重量とパワーの折り合いが解消されることとはならなかった。利便性を考えて採用されたスターターさえも外され出力不足を補おうと試みるが、市場は既に出来すぎた先進的なスクーターに見切りをつけてしまっていた。
 ドリームE型で生産数のトップに躍り出たホンダではあったが、KA型の不評が足かせに成り1955年には販売台数トップの座をTOHATSUに譲り渡すこととなってしまった。ホンダの救世主と成るはずだったギリシャ神話の女神『ジュノオ』は、1962年に再び復活を果たすが、その高性能さを一部のユーザーに知らしめることに成功を果たすも、一度失った信頼を覆すこととはならず終局を迎えることなってしまった。だが、この設計思想は現代版の『ジャイロキャノピー』に受け継がれ市場で初めて信頼を勝ち取ることにもなった。数奇な運命を辿ったジュノオではあるが、現在のホンダの成功を担うに値したモデルでもあったことも事実である。