MITSUBISHI SILVER PIGEON | kenbouのブログ

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MITSUBISHI シルバーピジョン ピーターC110/111
(リード)
1950年代から60年代にかけて、我が国では、スクーターが独自のジャンルを確立していた時代があった。その双璧を成したのが、新三菱重工のピジョン・シリーズと富士重工のラビット・シリーズだった。この両社は、限られたシェアの争奪をめぐって、長らく一進一退を繰り返していた。ところが、50年代後半に登場したラビットのS61Dによって、三菱は思わぬ苦境に立たされることになった。

(本文)
 ラビットはトルクコンバーダーによる自動2段変速を売り物に、急速にシェアを拡大していったのだ。対するピジョンはエンジンの回転と負荷によって自動変速するという旧態依然とした方法が、なかば伝統となっていた。こうした事態に危機感を持った三菱は、実に10年ぶり!というモデルチェンジを敢行、シルバーピジョンピーターC110がデビューすることになった。とはいっても、定評を得ていたボックスセッションのバックボーンフレームはそのまま従来のものが流用されることになり、ピーターではボディ・デザインが大きく変更されることになった。こうしたエクステリアのデザインは、ライバルのラビットを執拗に意識したものだったが、後発モデルの理をいかして設計されたシルバーピジョンは、より先進的で魅力あるスタイルとなっていた。また、従来の三菱製スクーターのエンジンは汎用タイプが用いられていたが、この新型では、新設計の175㏄のOHV単気筒エンジンが専用に用意されることになった。このエンジンは、OHVヘッドが採用された分だけ全高が増していたが、そのためピーターの車体には5 0度ほど後傾されて搭載されていた。こうした処置は、スクーターの場合、エンジンの全高がシート高に大きく影響するためにとられたものだった。また、搭載位置からも判断できるとおり、三菱初のスクーター用エンジンは、必然的に強制空冷システムが採用されていた。そのため、エンジン本体はシリンダーヘッドの一部を除いて、ほとんどの部分がカバーリングされていたため、騒音の遮断性にすぐれるという副次的な効果もあった。また、目新しいところでは、ピーターのキャブレターには加速性能の向上を狙って、フルスロットル時に0.2㏄の生ガスを直接噴射する加速ポンプが組み込まれていた。OHVヘッドが採用された新エンジンは、8.5馬力という充分な出力を得ていた。これは、前作が210㏄で7馬力だったことを考えれば、たいへんな進歩であった。また、ピーターではシャフトドライブ機構が採用されたことでも話題を集めることになった。このプロペラシャフトは二分割されていて、押して移動する時などには、中間に設けられたフリー装置を作動させることによって、楽に取り回すことが可能になっていた。こうした配慮は、長年スクーターを造り続けてきたメーカーならではのもので、ピーターの人気を影で支える要因ともなった。一方、ピーターは、ピジョンとしては初めて前輪にブレーキを採用したモデルでもあった。この点は、従来のピジョン・シリーズの不評を受けての改善ともいえたが、三菱では、バッテリーをはじめとした重量物をレッグシールドに収納したために前輪荷重が増したため、と説明していた。しかし、こうした補器類は要領よく上方に収められていたため、ピーターのフルワイズともいえるフェンダー内のレッグスペースは広々としていた。こうした斬新な設計によって、ピーターC110はライバルのラビットからシェアの奪還に成功することになったのである。また同様な車体に200㏄のOHVエンジンを搭載したC111をラインナップに加えたシルバーピジョンは、新たなスクーター人気を巻き起こすことになったのだ。しかし、このピーターのデビュー以降、各メーカーが競うようにして豪華志向に走ることになったスクーターは、やがて自らを窮地に追い込むことになる。本来は軽便な乗り物であるべきスクーターの大型化は、自殺行為といっても過言ではなかった。やがて、ホンダのスーパーカブに代表される、いわゆるモペット・タイプの小型モーターサイクルが、スクーターの軽便さにとってかわることになったのである。そして、その後に登場することになる軽自動車の前では、スクーターの豪華さは何の意味ももたなくなったのだった。シルパーピジョンはその後、50㏄~210㏄までのスクーターのフル・ラインナップを完成させることになる。そうした中には、ライラックの丸正自動車と共同生産した87㏄エンジンのゲール10CL10、通称カエルと呼ばれた軽快なモデルも誕生した。しかし、高速道路時代に対応した、という触れ込みで1962年に登場した210㏄エンジンを搭載したピーター2 30は基本性能とは別に、メッキされたサイドモールを売り物にしていたし、翌63年に登場したC135に至っては、ホワイトタイヤを誇らしげに履いていた。こうしてみると、シルパーピジョン全体を通して貫かれたコンセプトは、やはり豪華さの追求であったように思われる。そして、1964年にデビューしたC140/C240を最後に、スクーター業界に一時代を築き上げたシルバーピジョンの名は、永遠に消滅することになったのである。