人工知能が会話を始めたらしいです。(`×´)

 

ものすごくコアなSFで『バベル17』を読んでたことがあったので

アルゴリズムと、知能との違いがまあでるわけです。

 

『バベル17 』のどんでん返しは、リドラ・ウォンが

新しい言語『バベル18』を開発して謎の事件を解決する

というもの。

 

ディレニーのSFで、異星から謎の破壊工作を受けている

彼女たちが、暗号解読を始めるところからはじまってますが

 

『バベル』というのは言葉に、私・I ・ich がない。

んで、これが統合失調症ににた症状を理解するものに

及ぼしていく。

 

basic

algol

fortrum

 

私と貴方

 

このキーワードが、詩人のリドラが超越言語、バベル18を生み出し

エンディングを飾る

 

で、もし人工知能が『私』と他者を認識できるようになったら

知能です。

これが特に欧米では怖がられる。

 

 

 

 

 

 

ふつう、こうなると思っとったが。

Fort-da だから、

 

Iとかich とかから他社を見分けていくわけだから。

脳科学はこれ、シェーマL とか 象徴界、とか定義ないんかな。

 

ディープラーニングとアルゴリズムだけでは

終わらないしね。

 

メタファーが問題になる。

 

「私は、私、私は、私は」

 

というのは、Fort-daなんですが。

あそこから自我が形になるんですが。

 

プロファイリングとラカンの心理学は同じ結果出ますよ。

トーマス・ハリスの『Silence of lumbs』は

Drレクターが、さなぎがのどに入っていたという文脈から

ナルチシズムを読み取るわけだす。

 

『ハンニバル』はレクターの内面を逆に映し出した作品。

リドリー・スコットの映画は引きますが、

ハンニバルは、かつて羊たちを逃そうとした

主人公の女性の『子供のころの体験』が好きだったが

同時に彼は『鬼』なんですよ。

 

原書は逆に英語だからわかりやすい。

 

 

 

 

 

すると、『鬼子母神』としてハンニバルは彼女の命を守る。

 

H.コフートなんて人の本がありますが。

DSMthreeかなあれで、ナルチシズムかどうかを

わけるわけです。

 

だから、テレビの映像の端キレをみると

ナルチシズムか隠喩の創造活動かわかるわけです。

 

新聞の読み方もそうしていくと、かなりわかりますが

 

 

で、この世界が言語活動とつながるわけですよ。

ディズニーの九十年代からの映画はナルチシズムなんで。

 

世界は言葉によって恣意的に差異化されている。

 

で、その中心部に西欧だとイエス・キリストがいるわけです。