半年更新滞ってしまいました。

すいません 

1日平均2~3人のレビューしかないブログですが。


ところで

スライダーって捕るの難しくないですか??


横に曲がるスライダーならともかく縦スラなんて鬼ですよ、鬼


ショーバンなんかきたときにゃあもう「ああ、神様!」の世界ですよ


そういう意味でキャッチャーはすごいなと思いました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小学生の作文並ですがおわ・・らんよ、まだ!!


近況報告でも。


最近コウコウジュケンなるイベントのために過去最大級の勉強をしているので野球には全く関わっていません。


どこかのツバメ軍団が3対3のとれーどを発表しましたね

あいてはハムですか

まあ藤井はそろそろかと思っていましたが、ヤタローはもったいないなと。

三木で川島を釣れたのはラッキーですが。

ヤクルトファンの方が見ていたらすいません。


こんにちは

昨日に引き続き3年間の振り返りです


2年から書くこと多いので2つに分けようと思います


それは出会いの季節

1つ学年のあがった僕らは再び夢と希望にあふれていた・・・

(ナンダコノカキダシ

そんなわけで2年生になりました

なんだかんだ言っても先輩です。

そう、1年生が入部してきました

僕らの学年は20人近くいました

入部してきた1年生はなんと!


8人


練習試合もできんよ?それじゃあ


そうこうしている間に練習開始

1年生はきっとこう思ったはず

「うわぁ・・・何だこの練習ありえねぇ~」と

でも僕らが思ったのはこう

「ん?去年より練習楽になってねえ?」

それは自分たちの体力が増えたのかほんとに楽になってたのかは今となっては定かではない・・・・


そして春の公式戦

自分は

背番号17

やった

苦節1年ついにベンチ入りだ!

しかしその大会でも出番なし


その後の練習はまあそれはそれは退屈でしたよ

その当時はピッチャー4人いましたから(当時の3年と現エース)

そんなわけでこのころは外野コンバート説が急浮上

試合に出るのは80%外野で


そうこうしてるうちに夏の大会

自分は背番号17 変わってない

結構勝ち進んだような記憶があるがあまり覚えていない(アツカッタシネ


新チームになった

ピッチャーは現在のメンバー+外野の強肩野郎

実質エースとそいつで試合は回っていた

しかしながら経験がものを言うポジションであるピッチャーなので

たびたび投げることがあった

夏休みだけでおそらく50試合近くやったと思う。その中で20試合ぐらいは投げたと思う

単純計算で140試合あったら60試合近くは投げている計算です


そして夏休み最後の試合

私立の中学でやったんですが、そこで悲劇は起きた

1試合目は問題なく勝利

2試合目先発は外野からのコンバートできた奴(名前出せたらどんなに楽に書けるか・・・

一応肩作っとけといわれたのでブルペンへ

山高すぎなんだよ!

と思ったがまあ他校なのでどうしようもない

投げる前のキャッチボールの段階からピンチ!

これは早く作らなきゃと思って投げ始めました

振りかぶってなげ・・・・ようとした瞬間に

ピッチャー交代!

悲劇の幕が上がった

肩はほぼまったくできていないに等しい

なぜなら投げていないのだから

正確に言えば投げる瞬間で止められたのだから

肩ができていないためかまったく腕が振れない

それでも何とか2回まで投げた

3回投球練習を終えプレイがかかった

先頭打者 四球

またいつものパターンだと思っているのもつかの間

肘に激痛が!

おそらくいきなり投げ始めたのが原因だろうと思ったが

しかたないので投げ続けた

フォアボール!

ランナー満塁で代えられた


仕方ないので顧問に言う

「肘が痛いんですけど・・・」

「なに!?早く言えよ!冷やして来い!!」

キレられても困るんだよ!俺は悪くない!

と心の底から思った

冷やして来いといってもここは東京の私立

来たこともないので場所がわからない

「水道どこですか?」と相手に聞くのも試合中なのでどうかと思ったので

しかたなく顧問に聞いた

「ああ、そこ出て左」

???

なぜだか妙に詳しい

理由はすぐにわかった

顧問の息子がその学校にいたのだ!

「なるほど」

別にどうでもいい情報だがとりあえず納得

水道に行き肘を冷やしていると

「大丈夫?」と声をかけられた

誰かと思い振り返るとあからさまに野球部のマネージャーと思われる人がいた

中高一貫校だから高校のマネージャーか

ジャグを4つぐらい持っていた

「氷持ってこようか?」

と聞かれたが他校のしかも高校の野球部のマネージャーさんに助けられたとあっては

顧問がキレだしかねないので

「ありがとうございます。でも、大丈夫なんで」と断った

そのとき思ったことは

マネージャーってほんとにいるんだ

中学ではマネージャーなんていないのであまり実感がなくいるのかどうか疑っていたが

いることが確認できたのでよしとしよう


高校野球にあこがれる理由のひとつはマネージャーがいるからです

不純な動機ですね

誰にもいえませんが


前半はこの辺で終了します

続きは明日ですね

こんにちは

今日から3日連続で3年間の部活の思い出を語ろうかと思います


今日は1年の時


入学して1週間

ついに仮入部の期間がやってきた

夢と希望を抱いて入部してきた我ら1年生


しかしその夢は1ヶ月もしないうちに崩れ去った

下半身トレーニングなるフットワーク

小学校6年間でまったくなかった運動に悪戦苦闘

「こんなん意味あんのかよ~!?」といった1年は決して少なくなかった


ようやくキャッチボール

しかしそこでもまた

「ワキ90度 肘90度!!」

ウザイほど叩き込まれた。が今ではほぼ自由な投げ方だったり


ポジション分けというある種3年間の自分の立場を分ける重要なイベント


ピッチャー志望は当時6人

いきなり実践登板させられ

1人は外野へ

一人はファーストへ

一人は退部し

結局残ったのは自分と元エースと左腕軟投派の現在のメンバーへ


そのころからエースは別格だった

その試験登板でいきなり結果を残し、そのまま1年にもかかわらず多くの試合に登板

エースへの道をひたすらに、登っていった

一方、自分はというと

たいした結果も残せずむしろ外野手出場のほうが多く、とりあえずエースは断念

2番手として陰の実力者となることを決意

今思えばこのとき諦めてなければ、未来は変わってたかもなぁと思うけふこの頃


3年生の夏が終わり、夏休みへ


夏の練習は言葉に詰まるぐらいやばかった

30度の炎天下の中ランニング30分はザラだった

倒れるもの続出

1年の5分の4はぶっ倒れてたはず


そんな夏休みが終わり

秋の新人戦へ

自分はベンチ入りすらできず、3人だけベンチ外

当時からアピールするものがなかったのですね


なんやかんやで勝ち進み区で3位になった


秋が過ぎれば冬が来る

冬練がはじまりました

冬練っていうと運動部の人ならわかるかもしれませんが

とにかく走るんです、基礎トレーニングなんです

ひどいときにはキャッチボールすらないという始末

今思うとそれがあったからやめずに続けてこれたというか・・・・


地獄のような冬休みが終わり、

やっと練習試合ができるようになりました


そのあたりからピッチャーとしての評価が徐々に上がっていった。というのも

縦のカーブという決め球を覚えたんですね

カーブを見せてインハイにストレートとか

ストレートで入ってカーブとかっていう組み立てができるようになったんですね

しかし好不調の波が異常に激しくいい時はボールキレまくりなんですが悪い時はストライクすら入らない

で3月の公式戦では・・・・・


背番号21


・・・アイシールドか!!!

ベンチ入りできるのは20番までなんであと一つだったんです

そのとき言われたんは

「○○(本名)の縦のカーブは新チームで絶対に武器になるからな。」と

でそのときにベンチ入りに左腕軟投派がはいっていました

その当時は(今もあまり変わらないけど)スピードはないわ、こんとろーるはないわ、変化球は曲がらないわで

なんでベンチ入りしたかわかんない様な奴でした

そんな奴がベンチ入りした理由は

「声が出るから」

う~る~さ~い!!


声ならベンチ外でも出せるだろ!!


戦力にならない奴をベンチに入れてどうすんねん!!

心のそこから思いました


最初に肘を痛めたのもそのころ

いきなり本格的に投げ始めたから体ができてなかったと医者にいわれ

今までやってきたことはなんだったんだろうと顧問に問いたくなったというのは心の奥に潜めましたが


一年生はざっとこんな感じです

だいぶ長くて駄文で読みにくいと思いますね、自分でも読みたくないし

誤字脱字はまあ言っていただければ幸いです


次は2年生 自分の居場所 をお届けします(サブタイはきにしないでください)