真由美です。
先日、鞍馬寺から貴船神社へと歩いてきました。
ことしはウエサク祭(蠍座満月)の時にも鞍馬寺に参拝してきたのですが、今回は木星が蠍座に移動してのタイミング。
蠍座つながり
まずは出町柳近くのイスラエル料理屋さんで腹ごしらえ。
検索していた時はピタサンド食べるつもりだったんだけど、最近サンドイッチとかピザとかパスタとかばっかりだったので、白いお米がっつり食べたくなったので。
チキンカバブ、美味しかった
叡山電鉄乗って、まずは鞍馬寺へ。
「本殿の地下に行ける」という話を聞いていたので、お坊さんにたずねてみたら、丁寧に案内してくださった。
「レイキですか?」と聞かれ、ヘタレなので「違います」と即答してしまったが、関係あるのか
鞍馬寺から西門出るまでのあいだ、めちゃくちゃ眠くて眠くてあくびしまくりながら歩いていました。
思考力が低下し、その間不要なメモリをアンインストールされている感じ。
大杉権現。
魔王殿。
貴船神社に着いたのは15時過ぎくらいだったんだけど、結構寒かった。
貴船神社 奥の院。
今回一緒に行ったのが、前のお店のお客さんで、帰国後「一緒にランチでも!」という話になり、「せっかく京都に来ていただけるなら、どこか行きたい場所がありますか?」と聞いたところ「じゃあ、鞍馬寺と貴船神社に!」ということになったんだけど、
いろいろお話ししていて、どういうコンセプトで何を伝えて行きたいのか?が少し明確になってきた。
「男性性」とか「女性性」という話をよくするんだけど、難しいことでもあやしいことでもなくて、
たとえば、一心不乱に命をかけた信仰心持ってなくても、「年末に除夜の鐘をついて、年始に初詣行って、お葬式や法事があったらご先祖様に手を合わせて、結婚式にどっかのチャペルで神父さんの話を神妙な顔して聞く」ことが自然にできている人って、それができない人よりも「ゴミをポイ捨てしない」とか「綺麗な自然見たら素直に感動できる」と思う。
たぶんクレージーに何かを信仰していたり、逆に頑なに(神仏なんていない!自分でなんとかしなきゃ!)と思ってるより、
「なんとなく神様みたいな存在っているよなあ」とふんわり感じられるほうが、肩の力を抜いて生きられるような気がするんだよね。
そして、それが当たり前にできてると、困った時に自然とまわりが助けてくれる(そして困った人がいたら助けてあげられる)人になる、ような気がする。
それを「人間の品格」というんだと思う。
それと同じで、本来なら「男性性」「女性性」なんて意識しなくても、自分に備わっている性別や性質の本質を(なんとなくあるよなあ)(こうかもなあ)と理解して、自然に表現できれば誰でももっと肩の力抜いて生きられるんだけど、
いまはもう少し社会の仕組みが偏ってしまっているから
「1回意識して、その感覚を思い出すことで中庸に戻していきましょうね(そしたらもっと楽に生きられますよ)」てことを伝えたいだけなんだよなあ、と。
不必要に頑張りすぎて壊れると、絶対に自分だけじゃなくて周りにもその(悪)影響て出るし、
逆に自然体でのびのび生きられると余裕持てるから、自然と周りにも優しくできてそれが良い循環を作る。
さんざんいびられて来たお嫁さんが、次に姑になったときに「じぶんはいびられて嫌だったからそうしないでおきましょう」と言わないのと一緒。
運動部で先輩に理不尽にしごかれたひとが、3年生になった時に後輩しごき倒すのと一緒。
苦労して人間性を高められる人もいるけど、そんなにいないと思う。
いけずされたら、他人にはもっといけずしちゃうんだよ。
不自然な努力が無い方が「人間の品格」を育てやすいと思うし、そのほうがひとをだいじにできるし、周りからも大事にされるからどんどん人生楽しくなる。
「人生、ハードモード。苦労は買ってでもしろ!」という時代は、たぶん昭和から平成の初めに終わり、
そして、これからもっと、楽に肩の力を抜いて、自分を表現できる時代がやってくる。
いま その過渡期だから、どうしたらいいのかわかんなくてもがいているひとが多いんだろな、と思うけど、そういうひとにアプローチできるサロンを作りたいんだなあ、と改めてきづけた。
ありがとうございます