こんにちは、shimyです。
ちょっとタイトルを広告風にしてみました笑
今日は、学校の長期休校について思うことをだらだらと書こうと思います。
基本的に「駄文」というジャンルの時は私の感じたことの垂れ流しなので、もし興味あれば、ぜひお読みください。
最近、やっとこの自粛中に感じていたことがまとまってきました。
今って、おそらくこれまでもこれからもないだろう、前代未聞のチャンスなんですよね。
だって、学校が進んでないから、勉強が遅れないんですよ。
だから、基礎学力は落とさないようにしないといけないですが、それさえ守れば本当の学びに十分すぎる時間が費やせるんです。
(もし、学習進度が遅れてて、追いつきたいと思うなら学習したらいいと思います。)
しかも、友達も遊びの誘いに来ないし笑
だから、今先取り学習とかしてるのはもったいないと感じます。
もし、家で子どもがスマホやゲームばかりで困ってるとか、暇暇言ってきて自分で何も考えられないとかで困っているなら、それを変えられるチャンスです。
ある方に言われたのですが、前から言われていたけど、結局学校でやっていたことは、与えることばかりで受け身の子どもを作っていたんじゃないのか。
だから、学校が休みになったら自分ですることがわからない状態になって、困っている人がたくさんいるんじゃないの?と。
(そういう意味では多くの塾もそうかもしれません。もし、お子さんが自主的に勉強したり、自分の学びに取り組んでいたら、それはご両親か、学校か、塾か、その他の何かが素晴らしいのだと思います。)
仮に、子どもが暇ーって言ってきたとしても、焦りを感じる必要はないと思うんですよね。
暇ーって言われて、慌てて何か与えるものを探さなくても、
そうなの?じゃあどうする?好きにしたらいいよって感じで、特に何もしなくていいと思うんです。
何もせず、ブラブラしている子どもを見ていたら、焦る気持ちも出てくるかもしれません。
でも、最低限維持するための学習をしたら、あとは子どもの好きにさせてみませんか。
ただ、YouTube、テレビ、ゲームは封印で。
午後の2、3時間を、大人も付き合ってそのルールで過ごしてみると、子どももあきらめてくれるかもしれません。
暇で、何日も意味がないと思える生活をしていても構わない。
究極に暇を持て余したら、きっと子ども自身が何か考えるはず。
親に必要なのは、それを信じて待つことではないだろうか、と。
でも、受け身の教育を受けてきた私たちは、自分たちがされてきたように、無意識に何かを与えなければならないと思っているのかもしれません。
私たちは、有意義な時間=意味のある時間を過ごさなければならないと思っているのかも。
だらだら何もせずに一日が終わった時に、ああ、もったいない時間の使い方をしてしまった、と思うのかも。
でも、有意義な時間の使い方の、有意義とは?
つまり、何が意味のあることで、何が意味のないことなのかを、一度立ち止まって考えなければならないのかもしれません。
どんなにいいオンラインの授業を受けても、子どもが自分から興味を持って受けたいと言い出したのではないなら、それは有意義な時間といえるのだろうか?
「遊び」の「あそ」は「うそ」のことだという説があり、うそとは空っぽのこと。
空っぽとは、心を空っぽにすることで、神の信託を受ける巫女が舞を舞ったり歌を歌ったりすることでトランス状態になり、
自分の中を空っぽにしたところに神の言葉を入れるということらしいです。
だから、古語で遊ぶの意味は楽器を演奏すること。
インプットばかりしていたら、心はいつまで経っても空っぽにはならない。子どもは遊べない。
だから、子どもには余白の時間が必要です。
子どもが中にあるものを出し切って出し切って、出し切った先に、その子の中に本当の学びが天から降ってくるのかもしれません。
しかし、それをするには今の子供達は忙しすぎる。
だから、この長期休校に直面している子どもは、運がいいのではないかとすら思えてくる。
ところで、モンテッソーリは子どもがもし暇を持て余してブラブラしていたら、教えなさい、教えなさい、と言っています。
教えると言っても、何かを与えるというよりは、環境を整えてあげる、その子が興味を持ちそうなことを誘ってみる、やり方を見せてあげる。
子どもが興味を持ちそうなものを誘っても、子どもがやりたがらなければ無理強いはしない。
馬を水場まで連れて行くことはできても、その水を飲ますことはできない。
その水を飲むかどうかは馬自身の問題。
「おそらくこどもは、室内で1日の大部分をとりとめもなく動き回り、すべてを気まぐれで始め、長続きするものは何ひとつとしてありません。
(略)
それにまた、このこどもは人の言うことを一向に聞こうとしないでしょうし、自己規制などはひとかけらもないことでしょう。
(略)
こどもがどれほど無関心であるかに見えてもくじけずに作業を提供し、強制することなしに、励まし続け、他のこどもの邪魔をしない限り、このこどものしたいようにぶらぶら歩き回らせ、こどもに自分で作業を選ばせていれば、ある日、どういうわけかわかりませんが、こどもは、自分がしたいと思う作業を選ぶと、これまで初めて示す自発的な集中力を見せて、真剣な様子で取りかかります。これが、こどもの救済の始まりです。こどもは、正常化への道を踏み出しているのです。」
(「モンテソーリの発見」より)
YouTubeやゲーム、テレビ、その他受け身のおもちゃを一度封印してみて、
くじけずに励まし続け、今日こそはと信じ続けて、
何もすることがない受け身の状態から、何かを作り出す主体の状態へ変わるのを信じて待ってみませんか?
きっと大丈夫です。
補足:スマホやパソコンは、明らかにその子の学びに有益だと思ったら許可してもいいかもしれませんよね。しかし慎重に…
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