仕事、労働、作業、タスク…

いろんな言い換えができるけど全部ニュアンスが異なってる気がする。

 

アマからプロに切り替わる段階で、”今やってること”を「仕事」と言うか言わないっていうのは、自意識の問題が絡むと思う。

なんかこう、”今やってること”に誇りを持つために、背伸びして「仕事」と言ってみたい気持ちとかあるじゃん。そういう背伸びが必要な時と、そうでない時があって。完全にそれが生業になるにつれ、その辺の区分はどうでもいいものになっていくんだと思う。

 

しかもややこしいことに”今やってること”の中でも仕事になってるやつとそうでないやつがあって、しかもさらにややこしいことにその基準もただもらえる対価によってのみ判断されるわけじゃないとうところで――。

 

あ〜、この辺で考えるのがめんどくなって、自分その時の気分で使い分けるんだと思う。

 

仮に子供ができて養い始めでもしたら、何をやっていても対価をもらっているだけで「仕事」にはなる気がするな。

つまり僕は別に誰も養ってないし、自分を生かすこと以外の責任を負ってないので、”今やってること”が「仕事」にならない説、も出てきたな。

 

やっぱ僕の存在が無責任すぎるからダメなんか。

もっと背負うべきなのか、重さを。

 

いや、だが、そこまでして仕事っていうことにこだわらなくていい気もする。

別に僕が”今やってること”をなんと捉えていようと、成果物が出版されて読者がそれを読むだけだし。

まじでどうでもいいことだよな〜。

 

この、

どうでもいい、向き合いたくない、という意思が働いて”今やってること”を「タスク」とか言ってみたくなる気持ちね。ありますよね。

話ちょっと逸れるが、外国語を持ち出すのって、何かフェアな感じがするよな。フェアって言葉が横文字であるように。公平よりなんかフェアの方がフェアだしな。

多分、日本語の定義は確定的すぎるから、外から持ってきた概念に頼ってんだろうな。

頼りたくなる。わかる。

 

まとめると、

”今やってること”に対して誇りを持っている場合は「仕事」になるし、自虐的な場合は「労働」、自意識を排除したい場合「作業」、全てが面倒になった場合「タスク」になる、ってことか。

完全に理解したわ。