*母の記録*

 

1月25日

入院3日目

(💉採血 AST30  ALT36  ㌏GTP959   ALP822)

 菌は2剤耐性緑膿菌

昨年敗血症になった時の菌がまだ潜在しているかもしれないと想定してモダシン(セフタジジム)と

今回出た菌に対してアミカシンの投与がはじまりました。

 

 

 

1月27日

入院5日目

(💉採血 AST25  ALT31  ㌏GTP787  ALP680)

採血で肝臓は良くなってきましたが原因はわからず、インフルエンザにかかったことで肝臓に負担がかかったのか

肝臓にGVHDが隠れているのか。

 

1月29日

入院7日目

(💉採血 AST31  ALT33  ㌏GTP701   ALP582)

今日のCT検査で良くなってきていることから、翌日退院できることになりました。

受験は無理かなと思っていましたがなんとか翌々日の名古屋会場での受験に間に合いました。

 

 

*僕の記憶*

 

 

人には時として無理をしなければいけないと場面がある

という言説と、

自分のペースを最後まで崩さなかったものが勝つ

という言説があって

どちらも、それなりに説得力があって

どちらも、それなりに正しいと僕は思う。

 

特にこれまでの闘病歴を振り返る限り、僕は自分のペースを崩すべきではないということは明らかだった。

 

医師たちは、だからゆっくり療養することを望んでいたのだと思う。

 

受験直前に感染を起こして、入院。

このできすぎたシナリオで、僕が問われていることが、というのを、そこまでの5日間で考えた。

 

多分僕は慎重をきしたほうがいいバイタルなのだ。

けれど同時に思う。

このチャンスをのがしたら次はいつになるのか。

 

ただでさえ5年もロスをして、同年代の人たちから置いていかれてるというのに、このまま1年僕は実家で暮らしているだけで、耐えられるだろうか。

 

きっと耐えられない、という思いが、胸にあった。

 

何がなんでも進まなきゃいけない。

主体性を発揮するなら今しかないと思った。

それまでずっと考えてきた、自分の人生に責任を持つということの意味が、

少しわかった気がする。

 

そしてその願いが通じたのか、それとも案外ギリギリの判断だったのか、

退院することはできると、医師から言われた。

 

 

命の舵をみずから握る。

今がその時。