*僕の記録*

 

一つ、呪いの話をしたい。

 

その日、僕は古い友達と遊びに行くことになった。

 

中学受験のために通っていた塾の頃の知り合いで、病気がわかった初期に1度お見舞いに来てくれたこともある女性だった。

 

彼女は県内の大学に通っており、既に就職活動を終え、春から社会人として世に出て行く予定なのだそうだ。

 

彼女は名古屋の女子校に通っていて、高校時代にも交流がないわけではなかった。そんな、仮にも昔は同じ目線に立てていたはずの相手が、ひとまわり大人になって現れたとき、僕は、怖いと思った。

怖いと思ったけれど、そう口に出す事はなかった。そういう部分に配慮してくれる感じじゃなかったし、僕にもまた、自分の状況を距離感を説明できるほど、余裕があったわけではなかった。

 

僕はとにかく、若者として、友達として、粗相のないようにしっかりしなければ、という思いでいた。

今思えばもっと素直に、自分の体力のなさだとか、心の余裕のなさとかを説明できていれば、どんなにかよかっただろうと思う。ただ、そういうことを説明できない状態と言うのがまさに!心の余裕のなさ、なわけだけど。

 

名古屋駅の金時計で集まり、地下の商業施設に2人で入っていった。

名古屋駅に来るのは本当に久しぶりだった。何もかもが変わっているように見えて、異世界を歩いてるみたいだった。

まるで庭を歩くみたいに、商業施設を歩いている彼女の後ろ姿が、本当に遠い存在に見えたし、頼もしかった。

 

 

そのとうじの格好。

 

 

僕は当時、杖をついていた。これはもっぱら足の動きを補助するためではなく、転ばないようにしたり、寄り掛かって休むためだった。

このときの僕の体力は、階段を上るためには相当な労力が必要で、5分くらい歩いているとすぐに息が切れてしまう、そんな状況だった。

 

彼女も、少しは僕のことを心配してくれていたんだと思う。というより、人並み心配してくれていたと思う。

ランチを食べて、店を回って、楽しく過ごしていた。

 

移動中のことだった。僕は途中で非常に疲れてしまって、スムージーを買って、店のイートインスペースで休憩することにした。そこは百貨店の中にある小さな店で、イートインスペースには座れる場所が二席しかなかった。彼女は立っていると言ったので、僕は自分の息が整うまでの間、荷物を隣の席に置いて、座っていた。

 

 

その時、同じく杖をついた高齢の男性がけっこうな速度で歩み寄ってきて、僕にそこをどけと怒鳴り散らした。どんな言葉を言ったのか一言一句覚えてはいないが、彼は概ね次のようなことを言った。

「お前は若いのになぜ席を占有しているか」

単純に、非常に怖かった。

ただ、当時まだ僕の中にはストーマが付いていて、それらの様子をみるためにも休息は必須だった。それを説明すれば分かってもらえると思った。僕は立ち上がって、何とか自分に休憩が必要なことを説明しようとした。

しかし男性は早口でまくしたて、しまいには僕の胸ぐらにつかみかかってきたのである。

それまでの人生で、感じたことのない理不尽だった。

 

言いたいことがたくさんあった。見た目が若いからといって体が必ずしも元気なわけじゃない、でもこの人にはそのことがわからないんだろう、とか考えて、仕方ないことなのかもしれないと思った。

だけど同時に悔しさもあって、自分の状況をとっさに説明できなかったあまり、このような事態になってしまったのか、とかいろいろ原因を考えた。

 

男性側には、同じ位の年齢の高齢の女性の連れがいて、その女性が激こうした男性を止めようとしているところが、なんだか典型的な感じがして、滑稽だし気味が悪かった。

結局そのいざこざは、店の人がわって入って止めてくれた。店の人は僕が何もしていないことをわかっていたので、なぜか謝ってくれた。(それもおかしな話だが)

 

ただ、それは別に、おかしな人に出会った、それだけのことなのだ。

僕は、迷惑をかけてしまったと思って、友達に謝ろうとした。でも僕が謝まるより先に彼女は、勘弁してよ、といったのだった。

そこには、

あなたが抵抗しなければ、すんなり話を受け入れていれば、こんないざこざにはならなかったのに

あなたが抵抗しなければ、私がいざこざに巻き込まれることもなかったのに

そういうニュアンスが

表現されていた。

 

その時、そうか、と僕は思った。

これが「普通」なのか。

 

理不尽なことがあっても周りのことを考えて忍耐するべきで、そして忍耐できなかった僕は彼女にとっては幼稚なやつ、なのだ。たとえそれがハンデを負っているがゆえに感じる防衛本能だとしても、彼女にはそれが「大人気無い反応」に見えたのだ。

 

そっか。

この人に、自分の思いをわかってもらううことは

”無理”なんだ。

この人は、健常じゃない人の気持ちを、ほとんど、想像できもしない。

する必要もないから。

でも、それが彼女らの生きる世界のルールなんだ、

って。

 

 

長く書いてしまって申し訳ない。

けれどこれは、しっかりと書いておかなければならないと思っていた。

僕の闘病の中で、一番考えさせられたことかもしれない。

主語を広がり過ぎることは避けたいが、健常者には健常じゃない人の気持ちがわからないのだな、と思ったし、同じぐらい、健常じゃない人間は健常者の気持ちをわからないのだな、とも思った。だから、少なくとも

わからないという前提に立つことは大事なんだな、と思った。

 

 

とても傷ついたけれど、

僕は、大事なことを教わったので、よかったよ。

僕はその友達を呪ったから、呪った自分に筋を通すために、少なくともこれからずっと立場の違う人間との溝について、気をつけられ続けると思う。