*母の記録*

 

 

11月中旬退院後の初めての血液内科受診

主治医に三重大の先生から預かった手紙(手術記録)を渡すと、大変だったね!

と言われ本当に本当に大変だったので涙がでました。

採血で肝臓の値がかなり高いので一旦中止していた『EPLカプセル』が再開となりました。

 

 

下で息子が書いていますが、私は闘病の記録、それは治療だったり、手術だったりをメインに書いています。この時期の自宅療養は前回の記事にも書きましたが病気になってから精神的に一番辛いものでした。腸の狭窄はなくなり食べれるようになったけれど体重はどんどん減っていき裸の息子を見ると、これでよかったのか?と

胸が締め付けられ、もちろん手術をしない選択はないのですが、食べられるようになるという夢だけみさせて、このまま栄養が吸収されなかったらどうなってしまうのか?

主人と励ましあって毎日過ごしていました。

 

 

*僕の記憶*

 

 

 

どんなにちゃんと前に進んでるって頭でわかっていても、数字を見ると打ちのめされるわけで。

 

もともと母親は、この自宅療養のパートを短くまとめようとしていた。でも僕にとってはこの瞬間こそが、希望の光をつかむまであと1歩というこの瞬間こそが、1番きつかったかもしれない、と思っている。

 

輸液のチューブを外して、どんどん体重が減っていって、ついに34キロを割って、

今まで僕は死ぬほどの痛みこそ感じた事はあれ、死というものを今これほど身近に感じたことはなかったと思う。

膵炎のときも、敗血症のときも、耐性菌のときも、結局僕を支配していたのは目下の痛みどう対応するかってことであって、僕は死にそうだということを理解していたのは、周りの人間たちに過ぎない。僕に、死のリアリティーは、それほどなかった。

 

今は違う。

軽くなっている。

命の部分が減っている。

それを外見的にも、数字的にも突き付けられた。

 

これまで、ものを食べることに固執してきたのは、ずっとものを食べられなかったからで、あくまで自分の望みを満たすためだった。

でも、体重が減り続けている事実は、

僕にすごくシンプルなことを告げている。

 

人は、食べなきゃ死ぬ。

死ぬのが怖いんじゃない。こんな死に方が嫌なのだ。

 

とかそんなことを考えていた。

でも、毎日ずっとってわけじゃない。ちゃんとそういう哲学の裏には、日常がある。

 

日常。それはつまり、スマホのホーム画面のようなもの……!

 

 

 

当時愛用していた磯部磯兵衛物語の「ちょんマグ」

 

 

 

 

当時やっていソシャゲ。メビウスFF。今はもうサービス終了してしまったけど、アクション性のないモンハンみたいで楽しかった。

前にも書いたかもしれないが、余裕がない時ほどソシャゲにかける時間が増えていたように思う。片手だけという最低限の体力コストで遊べたからだと思う。

 

 

 

 

どこへ行くにしても一人じゃ厳しい。睡眠薬がないと寝れなかったが、座っているのは座っているので苦労があった。クッションにクッションを重ねて、フワッフワにしてもらって、座っていた。

 

 

 

これは父が連れてってくれたあんこう鍋。美味しかった。が、値段に見合う美味しさだったかって言われると……。

庶民舌なのでね、なんかね、焼き鳥とかでいいな、って思った。