※ショッキングな写真が含まれます※
*母の記録*
2016年11月上旬
35㌔あった体重はさらに減ってきて自分でももう痩せたくないと30㌔切ったら入院したいと言っていました。
前回のストーマ生活の時は輸液の栄養が入っていたのでまだここまで体重が落ちることはなく、前向きに過ごすことができましたが、今回は不安だらけで自宅の居心地も悪く、病院へ戻りたいと泣き出すこともあり、精神的にかなりまいっていました。
この時期の療養が私にとっても一番きつく在宅の看護師さんにもずいぶん心配をかけました。
ポートを外したことが本当に正解だったのか?
と思うこともあり、また栄養を入れてもらえないか相談のため三重大へ電話もしましたが、たまたま学会でチームの先生は誰もいなくて相談することはできませんでした。
私自身もこの時期はどうしていいかわからず過ごしていました。
息子の裸を直視することはできませんでした。
*僕の記憶*
ある朝、体重計に乗ると、
そこには34キロという数字が出ていた。
僕の身長170センチ。調子が良い時は171センチを記録することもある。全然別に、誇れるような高さの身長だと思っていない。これは全部父方の遺伝子のせい。まぁそれはいいとして、
170センチで34キロというのは、
なんていうか、
一言で言うと、愕然とした。
鏡に映る自分の姿は、はっきりいってモンスターだった。
それは自分の裸なんて何度も見てるから、自分がそういう状況だってことを頭ではわかっていた。
ただ、数字っていうのは面白いもんで、
何とか人間らしくやっていこうって言う気持ちで眺める鏡とは違って、現実ってやつを冷淡に突きつけてくる。
ここのところ、トゥルースリーパーを重ねたベッドに寝転がっても、背骨がマットに突き刺さって痛い。椅子に座ろうにも座布団は必須で、その上背中にも何かクッションをあてがっていないと、体重を預けることさえできない。
床に直接座るなんて事は、空を飛ぶ事と同じくらい困難だった。
車椅子も、クッションを噛ませないと痛みで乗ることができない。
みじめだった。
だから残そうと思った。
良くなる確証なんてないけど、いつかこの現在を、乗り越えた過去として誰かに語ることができるようになった時、
こんなだったんだよ、て見せることができるように
写真に撮ろうと思った。
今までだって撮ってきたけど、改めて、ここで自分の体を、全身をおさめようと思った。
この先に添付しているけど、見たくない人はブラウザバックするといいかもしれない。