*母の記録*
2017年7月
母の初盆がありました。
危篤の知らせを受けた時、病室に付き添っていた私は三重大から母の入院している病院まで駆けつけ
最期を看取ることができました。
その時お寺で撮った息子の写真です。
外見は元気そうですが、お経が長かったせいか、お線香のせいか、途中気分が悪くなり
お寺の控え室で休ませてもらっていました。
またせっかく取った免許ですが、実践練習は全くできておらず
夜主人が仕事から戻ると、3人で平和公園まで行って練習していました。
なぜ平和公園かというと、夜は車がほとんど走っていないからです。
我が家の車は左ハンドルで初心者には大変だったと思います。
隣で乗っている私も主人もそれは恐怖で、息子には絶対運転は無理だと思いました。そんな息子は今は名古屋よりも狭い東京の道路を運転しているなんて、この時は想像することもできません。
*僕の記憶*
僕は、免許を取りたてのとき、
初めて運転した公道で、事故をおこした。
幸いにして怪我人の出なかったその事故は、しかしあれほど頑張って勉強して得た運転に対する前向きな気持ちを、一瞬で奪い去っていった。
それからストーマを閉じるための入院をして、
はや3ヶ月。
出来上がっていたのは、哀れなペーパードライバーだった。
本当に、運転することが怖くて、怖くて、怖くて怖くてたまらなかった。それぐらいに僕の気持ちは、この数ヶ月で変わり果てていた。
これではいけないと思った。
前も書いた通り、自動車免許証を得たと言うのは、僕にとっては社会に接続するための大きな1歩だった。
だからそれを、形骸化させたくなかった。自信を、ちゃんと機能している自信として、持っておきたかった。
特訓が始まった。
両親に助手席と後部座席に乗ってもらい、真夜中の墓場(平和公園)の周りを永遠に回り続けるという、マリオカートのタイムアタックみたいなことを、現実世界で行ったのだ。
墓地は、まぁ怖い。
でも怖いから、夜に人が寄り付かない。
これが本当にありがたかった。
墓地で練習するというのを、週に何度も繰り返し、次のステップとして家からその墓地までの道を運転する、というなこともやっていた。全然車がいない場所で、車の運転ができるようになったとしても、やっぱり1番怖いのは、対向車線があったり、でかい十字路で右折したりする、あーゆーシーンだと思う。
それも何とか、めちゃくちゃびびってる両親に乗ってもらって、克服していった。
一度事故を起こしたことで、僕はもう二度と運転できないと思った。本当にそう思った。できるはずがないと。
だけど、練習したら、できるようになった。
これは、実は今の創作人生にも関わる、大きな自信になった。つまり失敗しても、やり直せばいい。やり直せる。やり直さないという事は、現実から目を背け聞いているだけだ。
この時、頑張って挫折を乗り越えてくれた過去の自分に、エールを送りたい。
すげーよお前……!