*母の記録*

 

2017年6月

人工肛門閉鎖後、食事の量がかなり減ってきました。

手術後の血液内科受診でステロイドのプレドニンが10㎎から9㎎へ減薬となりました。

三重大の受診もあり、元気に過ごせていることを報告し9階の入院病棟へも

挨拶に行ってきました。

中旬にはまたUSJへ遊びに行ったり、移植後3年のお祝いもできました。

 

 

 

 

 


2015年10月31日の本退院からお世話になってきた在宅医療の先生と訪問看護ステーションの看護師、リハビリの先生の訪問も今月末で終了しました。
水分の点滴なしでも大丈夫だろうとの判断です。


 

*僕の記憶*

 

 

またもやUSJに行ってきました。そう。皆さんはすでにお気づきかもしれませんが、僕はディズニーよりUSJ派閥なのだ。

 

そして前回の訪問と、今回の訪問では、その意味はまるで違う。

 

もう僕のお腹にもストーマがないのだ。

この開放感をどのように言い表せばいいか、適切な例えがないのですごく悩むのだが……

 

考えてみてほしい。中に便が入っているいつ破裂するかもわからない袋が、ストーマ側の粘着力だけでお腹の皮膚に張り付いている。袋には、当然、下向きに引っ張られる力がかかり続けるし、ものを食べ過ぎたり水を飲みすぎて袋がパンパンになる、というリスクが常にある。

 

それから解放されたのだ。

新たな人生を歩むことを許されたような感覚だった。

 

両親には、いろいろなところに連れてってもらったし、いつのまにか移植後3年も迎えていたらしい。

闘病面は順風満帆。

 

だけど、

これで終わりじゃない

むしろこっからなんだ

 

これまでずっと胸の内に封じてきた問題。

そのパンドラの箱が開こうとしている。

それはつまり、この先どう生きていくか、ということ。

目下で言えば、進学するのかしないのか、ということだった。

だけど僕の心はほとんど決まっているようなものだった。