*ショッキングな画像が含まれます*
*母の記録*
2016年9月16日
(術後2日目)
深夜から麻酔が切れてきたのか痛みが増しモルヒネが始まりました。
💉朝の採血
(WBC17,700 CRP25.84)
昨日から痛くて尿が出ず看護師に手を握ってもらい半日がかりでなんとか出していました。
夕方の回診で口から飲んでいなくてももう少し便が出てないといけないと。
2016年9月19日
(術後4日目)
便の管を抜きたがっていた息子ですが、まだお腹が張っているようでもう少し我慢すると言います。
CRPも少しずつ下がってきていたため腹痛はあるものの快方に向かっているものだと
思っていました。
今日は敬老の日
実家の母の元へ行きそのまま自宅へ帰ると深夜のラインで腹痛でお腹の張りが限界で朝までもたないと、チームの先生はおらずすぐに当直の医師を呼んでもらいましたが例の発作がおきてしまい、ただ夜勤の看護師にも当直の医師にもうまく伝わらず、ひどく混乱している様子が聞こえたためすぐに高速で病院へ向かいました。
2016年9月20日
2時病院へ着くと息子は安定剤を飲んで寝ていました。
その後当直の医師により胃の減圧処置をしていただき、
朝からチームの先生を待っていました。
今日は手術日で朝は来れないと聞いていましたが、先生たちが来てくれたのは
19時半。
朝起こったことは聞いていなかったようで、息子は痛みで話せず携帯に入力し画面を見せていました。
やっと来てくれた先生を見たとき私も涙が出ました。
先生はそんなに大変だったの、知らなくてごめんねと言って、今から鼻からチューブを入れて腸への減圧処置をしようと透視室へ息子を連れていきました。
2016年9月21日
X線撮影で昨日入れたチューブの位置確認
息子は昨日から誰と話すのも筆談となりとにかく痛みを訴えていました。
2016年9月23日
夕方O先生に呼ばれ話を聞きました。
今起こっていることは肛門吻合部の流れが悪いこと。肛門からつないだその狭い箇所を自分は再び開腹して切ったほうがいいと思うが、上に相談させてと。
夜先生たちが見え再手術した方がいいか検査させてほしいと息子を透視室へ連れて行きました。
もし手術するにしても切除する範囲を特定したいので月曜に大腸内視鏡検査をして検討したいとのことでした。
*僕の記憶*
祈りは呪いになる。
期待した分だけ、裏切られたら辛くなる。
闘病って、本当にそればっかりだ。
まず、先に書いておかなきゃいけない。前にも書いたかもしれないが、また書いておかなきゃいけない。
手術ってのは痛いんだ。
テレビや小説の中で描かれまくっている手術すべてに、こんな痛みが伴っていていいのかと思えるぐらい、本当に二度と経験したくないと思うより痛いんだよ。
もちろん麻酔をしている間は大丈夫。
全身麻酔なんてほんとに最高だよね。
でも起きなきゃいけない。
麻酔って切れるから。
本当はさ、体が完全に治るまでずーっと寝かしておいて欲しいんだよな。
起きたら全部終わってる。
そういうふうにしておいてほしいのに。
手術の後は起こされるんだよ。
で、必ず体をひき裂かれた痛みと向き合うことになる。
それが何度も続くことを想像してみて。
この拷問じみた苦痛がやっと終わったと思ったところで、
てのひらを返される気分を。
その時、確か部屋には、顔見知りではない先生が訪れていた。青い服を着ていたと思う。
僕が覚えているのは、その人の前で膝から崩れ落ちたということ。
多分僕は、その人に体を支えてもらえると思っていた。だけど、その人は手をかさなかった。医師だからそういう態度だったのか、僕のパニックがあまりにもひどかったから手を出せなかったのか、理由は何なんだろうな? 考えたってどうしようもない。
僕は腰から地面に落ち、床を這いつくばっていた記憶がある。
四肢、特に足にはまだ全然力がなく、ひとりで立ち上がることも危ういが、お尻に肉がなさすぎて痛いので、地面に座っていることもできない。両手、両足を目一杯踏ん張って、無様な4足歩行の生き物になって、たすけをもとめていた。
こんな世界
ほんと勘弁してくれよ
もう嫌だ
膝のあざを記録した動画のキャプチャ。
2016年9月24日の全身画像。正面。