*母の記録*
2016年9月14日
手術前の医師の説明
『回腸人工肛門閉鎖、胆のう摘出』
さらに胃から十二指腸への流れが悪いためすぐには食べられないだろうという判断で、チームの先生たちの提案として『腸瘻造設』の話が。
手術の前日に突然言われ家族全員ショックを受け、息子は絶対いやだとパニックになってしまいました。
『腸瘻』について調べることもできずただショックで受け入れることしかできませんでした。
2016年9月15日
9時から手術
前回と同じく待合室で待っていました。
14時過ぎ執刀医から呼ばれ説明を受けました。
手術は予定通り、ただ今回胃の下から小腸に大網というカーテンのような組織が
広範囲で巻き付いていたこと、癒着が思ったより強かったため開腹して全部剥がしたため、胃から通過するだろうと腸瘻の造設はやめたこと。
今回は完全に腸閉塞になっていたが、癒着=閉塞に必ずなるわけではないが
体質なのでまた起こり得ること。
※胆石※
19時本人希望で尿道バルーンと酸素マスクを外してもらいました。
この日から許可をもらい病室に付き添うことにしました。
*僕の記憶*
人工肛門を作った時は、僕の体は、もう二度と元には戻らないんじゃないかという不安が、胸の底にあった。
だから、実際にこうしてストーマを閉じることができたと言うのは、ほんとに助かったと言う気持ちだった。
うれしかった。
お腹はずっと痛いままだけど、少し前に進めているのかなと思った。
『腸瘻』という言葉が出たとき、
僕は愕然とした。
これは例えば白血病っていう病名を聞いたときに、少しヒロイックな気持ちになったことと、似ているかもしれない。
実際の治療の意味合いを知ることのないまま、僕たちは言葉だけを映画や小説の中で知る。先んじて知っている。
『腸瘻』というものに、「かなり調子の悪い高齢者」がつけるものだというイメージがあったんだと思う。ただ怖かった。ストーマと同じくらいか、あるいはストーマよりも、絶望感が大きかった。
手術が終わって目覚めると、やはりそこにお腹の痛みがあった。
けど手術前の痛みと今感じている痛みは別物で、また少し耐える勇気がもらえたよに思えた。
直接的な原因が何かはわからなかったが、軽井沢への旅行の往路で山菜天丼やごぼうの唐揚げを食べたことは記憶にある。
食物繊維はもともと消化されにくい食材だった。
もちろん、それを食べずとも腸閉塞が起こっていたのかもしれないが、引き金を引いたのはきっとその山菜だった。
なんていうのかな、ちょっとおかしかった。だって野菜って基本的に食べろって言われるもんじゃん。食べた方が健康にいいよって医者から、先生から、親から言われるもんじゃん。別に美味しくもね植物は何で食べなきゃいけないのかって思いながらさぁ、でも大人になるとそのおいしさに気づいたりして。とにかく野菜っていうのは、ただただ健康に良いものとばかり思っていた。そんな漠然としたイメージがあった。
食物繊維が体に猛威を振ったことがあるだなんてな!