*母の記録*
2016年9月7日
三重大の救急へかかり、緊急性はないものの腸閉塞の疑いと脱水もありそのまま入院となりました。
CTで腸炎なのは間違いなく、絶食で腸を休め点滴もすぐに始まりました。
2016年9月8日
透視検査で胃から十二指腸への流れが悪く、また動きが悪い小腸があると。
どうして再び悪くなってしまったのか?
数日後に予定している手術中に確認すると言われました。
2016年9月12日
(入院6日目)
💉採血
(尿素窒素17.1 カリウム6.1)
採血でカリウム値が高く電解質のバランスを崩したようだと至急の心電図とDI療法
DI療法➡インシュリンと一緒に高濃度のブドウ糖を投与して低血糖を引き起こさないよに注意しながらカリウム値を下げる治療
水分点滴と血糖測定をしながら過ごしていました。
*僕の記憶*
ここから先、僕が考えていること、しばらく一緒だ。しばらくずっと同じことを考えている。
痛い。
つらい。
この痛みを何とかしてほしい。
ただ、それだけ。
つい数日前、旅行に行っていたのが嘘みたいに
すべてが崩れ落ちた。
救急外来の診療室は、なんだか普通の病棟よりも冷たいんだよな。
それはもしかしたら、ここが名古屋第一日赤ではなく、三重大だからかもしれないけれど。
人の態度が冷たいとかじゃ全然なくて、空気感が冷たい。空間が冷たい。それは多分、そこにいる人も、そこで働く人も余裕がないからだと思う。
人間らしい空間を演出するための余裕が全然ない。
だから冷たい。
痛い。
もう何度、この言葉を頭の中でつぶやいただろう。
そのたびに、まだマシだ、と言い聞かせる。
自分に命ずる。
移植後半年あたりの、あの暗澹たる道のりを歩くような日々よりは、まだ幾分かマシだ。
マシだから耐えろ。
耐えられなきゃおかしい。
耐えられなければ、あの頃の自分を馬鹿にしてるみたいじゃないか。
けれど、これがいい機会かもしれなかった。手術に踏み出せずにいた僕に与えられたチャンスかもしれなかった。そう思うことにした。どう考えても、それが最善の手だった。