*母の記録*

 

2016年7月14日からの1か月

三重大を退院して再び在宅医療の先生と看護師に支えられ自宅療養が始まりました。

ここから息子の食べ歩きが始まりました。

デパートの物産展へ行ったり、外食もよくしました。

 

松坂屋の本館~北館への連絡通路。このシステム、こう使うのか! と感動。

 

 

 

 

                             *僕の記憶*   

 

ここからは数回に分けて、この頃の僕が何を考えていたか

僕のフォルダから写真を引っ張り出してきて話したいと思う。

 

手術を延期するという決断をして、

僕は輪をかけて自分のしたいことをするために、動くようになった。

先延ばしはただの先延ばし。

でも、だらかこそ、次はちゃんと覚悟を決めて手術に臨みたい。

 

覚悟を決める時間を与えられた。

だからもしも最悪の場合にまた物が食べられなくなったとしても、

その時に少しでも後悔しないようにしたいと思ったんだ。

 

 

こんなにも食べ物について考えた時期は、後にも先にもなかったと思う。

 

 

当時のスクショ。

僕はこの頃、こういうことばっかり調べていた。

頭にあったのはもちろん、クックパッドのことだけじゃない。

 

 

闘病中に気になりまくっていたペッパーランチに行ってみたり、

 

 

家でチーズフォンデュをしてみたりもした。

 

中でも

記憶の中で燦然と輝きを放っているのは、業務用スーパーに行った思い出だ。

フォルダを漁ると、業務用スーパーの写真がものすごい大量に見つかる。

本当に、1列1列の商品をすべて事細かに撮影していったかのように、

無駄に細かく、無駄に大量に、写真が見つかるのだ。

 

だけど、僕は覚えている。

それらは全部無意味な構造じゃなかった。

将来、料理になるであろうものが無数に、ずらりと、並んでいる。

普通の人からしたら、当たり前の光景かもしれないが、僕にとっては天国だった。

 

 

 

料理を食べるのにもお金がいる。

外食をし続ければ高くつくし、親に作ってもらうんだと時間がかかってしまう。

当時の僕は、自分の力で外出することもできないし、料理をすることができなかった。全部親頼みだった。

 

だから少しでも、両親にかかる負担を少なくしたかった。

それは1番負担が少なく済むのは、僕が普通の食事量で我慢することなんだけれども、そこは、自分の夢と折り合いをつけるために仕方がなかったわがままを言うしかなかった。

 

 

だから、自分の欲求を満たすこと、親の負担を減らすこと、それを両立できるのが、業務用スーパーの冷凍食品だったんだと思う。

冷凍食品といっても、焼き鳥の串とかは、解凍して加熱すれば、まぁ自分で作れなくもないし、保存もできる。

業務用スーパーは紛れもなく、だから、夢の国だった。