*母の記録*
2016年6月20日
執刀医のO先生より別室で手術の説明を息子と一緒に聞きました。
回腸人工肛門閉鎖…予定では自動縫合器を使って閉鎖するが、状況によっては手作業になること。胆石で間違いないので、胆のうを摘出すること、また菌はやはりカテーテルにいたので心臓に菌がいないか念のため心エコーで確認する、膵臓にのう胞があるのでそれも念のため調べる。一番怖いのは縫合不全、腸が吻合した部分がつながらずに腸液がお腹に漏れると腹膜炎など最悪また人工肛門を作ることもあり得ると
21時から絶食になりました。
2016年6月21日
膵臓のチェックのため造影剤を使いCT検査と胃の超音波内視鏡検査(胃袋越に超音波で診る検査)をしたところ、悪いものはなかったが炎症はあるので、定期的に診ていく必要があると、あと1週間抗生剤をしっかり入れてから手術をした方が安全だと手術が延期になりました。
抗生剤のモダシンを続け、またカリウム不足のため内服が追加となりました。
CVポートを外してから高カロリー輸液を入れられず2週間たちました。
体重が3キロ減って45キロに。
食べたものがそのままストーマから消化液とともにでてしまう。
ストーマを閉じて大腸を使うことでどれだけ吸収できるのか。
2016年6月28日
手術当日
朝3時突然息子から手術をやめたいと電話がありました。
今は人工肛門で食べることができているけど、もし閉じて食べれらなくなったらという恐怖と2度の敗血症で入院していたので食べ歩きができなかったこと、など。
夜勤の看護師がたまたま仮眠をとっていたK医師に声をかけてくれ、話をしてもらいましたが意思は変わらず、私はとにかく急いで病院へ向かいました。
病室に着いた8時、A先生が息子と話してくれていましたが、意思は変わらず中止、延期となりました。
その時の説明では手術をあまり遅らせると腸が狭くなるので、自宅で脱水予防の点滴をしながら落ち着いたら手術をしよう、抗生剤は今月末まで入れて自宅での水分点滴の量を見極めたいと、今回の手術のキャンセルをお詫びして2週間後の7月13日
退院しました。
病院近くの魚の美味しい食堂で
退院後立ち寄った焼き蛤のお店
こういう下町っぽい店がガチで好きです(僕)
*僕の記憶*
正直に言って、自分がこんな決断を下すと思っていなかった。
自分はこんなに感傷的な人間だったのか、って驚きもした。
多分ただ怖かったわけじゃない。
もしかしたら手術が失敗して、てゆうか手術が失敗する可能性は全然あって、だからそれもただの感情的な判断ってわけじゃなくて、
ただただ
僕は食べられるようになったことが大事で
食べれてるって言う現実が何よりも大切でそれを失うくらい
だったら、今のままでもいいじゃんって
この時は多分そう思ったんだ。
ドラマのいち場面みたいな意外な決断ってものは、多分ドラマチックに行われているわけじゃない。
その人なりの損得を天秤にかけた結果なのだと思う。
僕は、多分大抵の事は白黒つけたい人間だと思う。でもこの時は、
無理だった。
ものが食べられるって言う奇跡みたいな幸せを、どうしても手放したくなかった。
当時のメモが残っていたから、乗せておく。これが僕の声。