久々に答えがいのある質問が来たので
ブログネタとさせていただきます……!
自分の文体は、ある!とははっきり言えないんですけど、
なんかちょっと最近は見えてきたような気がしています。
なので、自分の文体に気づき始めている経緯、みたいなものを書きたいと思います。
結論から言うと僕は、
「シニカルエッセイ一人称」が得意文体だと思います。
まず、
僕はもともと三人称一元視点で小説を書いていたんですが、
ハヤカワSFコンテストを受賞した際、改稿の話になった時、担当編集から「三人称は難しい」という話をうかがい、眉唾だったという記憶があります。
それまで僕は一人称で書くことのほうが視野が狭まって難しいと思っていたんですが、担当は「三人称はすべての人に視点を与えうるぶん、それだけ読み易い文章でなければならない。(だから難しい)」ということを言っていました。
そこに、創作に行き詰まっていた時に大学の恩師からかけられた言葉が重なりました。「主人公の見えているものだけを書くといい」
そこで僕は初めて(自分の小説では)一人称で書いた物語の方が三人称で書いた物語より読みやすいと評価される、ということを自覚しました。
主人公に見えているものだけを書くことを徹底すると、書き込みが段違いにリアルになり、おまけにキャラ立ちもついてくる。それはいいキャラクターを作れないと悩んでいた当時の僕には、革命的なことでした。
それ以来、一人称視点はピンホールカメラのようなものだと思うようになりました。主人公の目線に立つことで視野を限定し、その結果細部をくっきりと描くことができるもの。
それまで僕は俯瞰的な書き方をしていましたが、そのためにキャラの心情もリアリティも掴めずにいました。一人称で書くことは一種の「縛り」ですが、その縛りによって常にそこそこ面白く伝わりやすい文体、というものの片鱗に触れた気がします。
頭でっかちなつまらない小説の評価として「説明的」というのがありますが、
一人称だとこの問題もクリアできます。というのも一人称の世界は、地の文さえ主人公の捉え方によって変容するので、主人公の世界に対する理解度を落とせば、自然な形で説明を挿入できるのです。
また、そこで主人公のキャラ立ちを強化するために、一人称をもっと面白くするにはどうしたらいいかという思考になりました。
そこで僕は、それまで「普通に喋る方が面白い」みたいなことを言われまくってきたことを思い出し、主人公に自分の属性の一部を持たせよう、という考えに至りました。
つまり一人称をエッセイ的に書くことにしたのです。
細かく言うと僕が主人公になりきり、主人公の気持ちでエッセイを書く。
それをシナリオに載せる。
という感じです。
これが今の所一番うまく行っているので、強いメッセージ性やSF設定などそれ自体が描くためにコストを要する話は、この一番描きやすいエッセイ一人称を使っています。
この戦略の長所はだいぶリアルな感覚と情緒的なやりとりを描けることで、短所は僕自身がひねくれた人間なので、主人公がたいてい陰キャになることです。
ここまでが文体獲得の経緯で、
これが探るものなのか、人生の中にあったものなのかという話ですが、
どっちもだと思います。
良くも悪くもプロになると「書け」というプレッシャーが加わって、否応なく選択圧を受けます。再現性のあり、かつオリジナリティのある書き方を、実践的に模索させられることが多いと思います。
なので常に「探って」います。
僕は僕自身が目立ちたがり屋の「面白い人間」(けっしていい意味だけではない)なので、自分のズレた視点をそのまま出すことが小説的には得でした。
なので「人生」からを持ち出してきてもいます。
ただ上の良いなセオリーだけでは一辺倒になってしまってつまらないので、短編とかで新たな書き方を「探って」もいます。三人称に挑戦してみたい、エッセイ的ではない極めて冷たい文章なども書いてみようとしています。
全てはトライアンドエラーですが、最初の軸になるものは
自分の中にあるいくつか自信のある領域と、客観的評価との重なりの中に生ずるものだと思います。