*母の記録*
2016年3月2日
《術後22日目》
昨日から高カロリー輸液のエルネオパが2号から1号へ、摂取カロリーが半分になりました。
今日は息子の誕生日、病院で迎えるのは三回目。姉と相談してまたドクターフー尽くしのプレゼント。
私からはポリスボックス、姉からはソニックスクリュードライバー。
喜んでいました。
夕方先生から環境を変えて外泊してみては? と提案され、胃に関してもうできることはないようなので、それなら退院したいとお願いしました。
2016年3月3日
《術後23日目》
4日後の日曜日に退院することになりました。
何かあればいつでも来てくれていいよとK先生が言います。
入院前にストーマの説明をしてくれた先生です。
入院中息子の話を一番よく聞いてくれました。
栄養士さんからの説明も息子と一緒に聞きました。
とにかくゆっくり回数を分けて食べること、噛むことで唾液が出るのでおにぎりが食べられるなら、お粥でなくても普通のごはんでよい、ごぼうは輪切り、レンコンはスライスして繊維を切ること、イカ、タコ、貝類はだめではないが噛みにくいので
避けた方がいいことなど細かく教えてくださいました。
*僕の記憶*
自宅に帰れることになった。
自宅に帰れることになるってことが、正直今までは全然嬉しくなかった。
だってそれは治療が前に進むわけでもないし、ただ逃げているだけのようにも思えたし。
でも今回は
今回ばかりは少しだけ何か嬉しいという気持ちがあった。
僕は昔からプレゼントと言うと、ゲームソフトが欲しいと言う子供だった。
ゲームソフトは他のどんなプレゼントよりも長く使えて、それに楽しい。1つの世界をプレゼントしてもらえるようなものだから。
だから僕は誕生日に何かのグッズが欲しいと思ったり、ぬいぐるみが欲しいと思ったり、なんというか物質的なおもちゃが欲しいと思ったりした事はあまりない。
迎えた21歳の誕生日。
今回、母や伯母が、僕のめちゃくちゃ好きなドクターフーのグッズを持ってきてくれた。
あの何に使うのかわからないわけのわからないでかい箱とかやっぱり何に使うのかわからないでかいペンライトみたいなやつとか(もちろん僕は使い方わかっている)をもらって、まじで嬉しかった。
誕生日プレゼントに素直に喜べたのは、闘病後で言ったら、これが初めてのことかもしれない。