*母の記録*
2016年2月13日
《術後4日目》
嫌がっていた尿のチューブと便のチューブを外してもらいました。
合併症の事を聞くとまずは1週間
2週間過ぎて熱もでなければぐっと減ってくるでしょう。
今日はペプチーノを1本飲むことができました。
2016年2月14日
《術後5日目》
病室に着くと処置室でパウチの交換をしていました。どうやらパウチから便が漏れたようです。
夜中、咳が出て痛くて眠れなかったこと、朝嘔吐したこと、昨日の廃液の量が少なめだったこと、腸の動きが弱いことなどから腸閉塞を疑ってレントゲンを撮ることになりました。
先生たちは麻痺性イレウスを疑ったけれど、画像は2日前のものと変わらず胃も膨れていないので漢方薬の大建中湯を飲んで様子をみることになりました。
2016年2月15日
《術後6日目》
精神科の先生と眠剤の相談、痛みで眠れないため今飲んでるマイスリーをユーロジンへ変えることに。
起きてパソコンに触るも、痛くて横になります。
ロピオンを点滴してもらい痛みが引いたところで輸液を外し、杖で病棟を半周してから術後初めてのシャワー。
夕方先生たちが見え便も出ているし詰まっていないので食事を始めていきましょうと、栄養チームや味覚外来の手配をしてくれました。
2016年2月16日
《術後7日目》
術後の造影剤を使った透視検査
血液データと画像から通過障害もなし、ただ肝臓の数値が少し上がってきていることと、ちょっと血が濃いので脱水気味ということで
酢酸リンゲル液の・ソルアセトF輸液の点滴も始まりました。
午後栄養士さんがみえ今日の夜から重湯を開始していくことになりました。
2016年2月17日
《術後8日目》
昨日の重湯はやはり食べれず(食べたくなく)栄養士さんがステップアップしてくれ、昼食は三分粥、厚焼き玉子など配膳されましたが、お粥がどうしてもダメな息子はこれにも手をつけることはできませんでした。
今日は初めて処置室でパウチ交換を教わりました。
夕方は味覚外来のある耳鼻科を受診、今日は問診のみで次回検査。
夕食は五分粥とうどん、鶏肉のハンバーグ。うどんを3㎝、2本だけ食べて終了、しばらくして嘔吐しました。
*僕の記録*
ここでストーマについて一度説明しておかなければならないと思う。
このブログを読んでいる皆さんであれば知っての通り(かもしれないが)僕は大腸を切り、小腸でストーマを作った。
つまり僕の体の中では小腸がぶった切られ、その切れ目が体の外に出ているという事だ。
切れ目は大体、下腹部の左側にあり赤い突起物のような形をしている。僕はトムと呼んでいた。
トムは直腸につながっているわけではないので、所構わず便を垂れ流していく。そのままだとあまり社会性を欠くので、人は、そこにパウチという透明な袋をつけて、排便をコントロールする。
ただ僕の場合、トムは小腸に作られたストーマだったので、大腸で水分吸収がされる前の便だった。ゆえにめちゃめちゃシャビシャビだった。幸か不幸か、臭いは全然しなかった。
まぁこんな風にざっと説明してみたが、
正直に言って、自分の体が今までとは全然違う形になった気がして、怖いと言う気持ちはある。
でも、その怖いと言う気持ちをはるかに上回るほどの、食べれない状態に対する忌避があるので、
今の方がまだマシと言えるのだと思う。
僕はこの1年半、
ただ何かを食べられるようになりたいという未来だけを希望に生きてきた。
その未来まではまだ途方もなく遠いが、スタートラインに立ったと思う。
そう信じたい。