*母の記録*

 

2016年2月3日

手術のため入院しました。

今回は事前に個室希望を出しておきました。

人工肛門について電話で説明してくださったK先生が息子にもゆっくり丁寧に

話してくれました。

 

2016年2月8日(手術前日)

抗菌薬のフラジールとカナマイシンを1日3回服用

医師から術式についての説明

『腹腔鏡下結腸切除、上行結腸直腸吻合、回腸人工肛門造設』

麻酔は全身麻酔と硬膜外麻酔

 

 

つなぎ目から便がもれると腹膜炎をおこし命にかかわること。

そのために小腸で人工肛門を造ること。

状況によっては開腹するかもしれないこと。

小腸透視でおそらく大きな詰まりはないだろうが狭窄があった場合、狭窄形成術を行う場合があること。

心配なのは長期のプレドニン使用と低栄養。

感染に弱いこと、傷が治りにくいこと。

食事を少しずつ頑張って体力をつけ、プレドニンを減量できた頃にストーマを閉じることを考える。通常は3,4か月、息子の場合はもっとかかるだろう。

 

麻酔医も説明に来てくれました。

21時から絶飲食 

 

2016年2月9日(手術当日)

8時に病室に着くと、既に手術着に着替えて寝ていました。 

8時25分医師と担当看護師と一緒に手術室へ。

麻酔をかけるまで横にいてよいと言われマスクとキャップをかぶり息子に付き添っていました。全身麻酔をかけるとすぐに退室して9階の待合室で終わるのを待っていたら、ちょうど朝の教授回診。

テレビで見るのと同じ長い列の中に初めて1人で受診したときに「若いから粘って」と言って、今のチームの先生に電話してくれたT先生を見つけ、お礼を伝えることができました。

あの日の電話がなかったら、今日を迎えることはありませんでした。

 

15時

執刀医のO先生からの説明を面談室で聞きました。

ほぼ予定どおり

腹腔鏡で4か所、1センチくらいの穴をあけ機械を入れ、腸粘膜をはがしたところ、長期ステロイドの影響で非常に出血しやすく、血がにじんできたので安全のためお腹を7センチ、虫垂も一緒に切った。

小腸は狭いところはなくきれいだった。予定では人工肛門は右側に造るはずだったが、左側に造った。

食べられるようになりますよとおっしゃいました。

 

16時

入室の許可がおり、病室に入ると息子は酸素マスクを着けていたものの意識もあり喋れる状態で、尿道に入っているチューブの違和感がひどく痛み、尿が溜まっている感じでお腹がパンパンになっていて外してほしいと訴えるのですが、却下。

痛みがどんどん増してきて硬膜外麻酔をフラッシュしたり、別の痛み止めの点滴をしてもらったりするも痛がりモルヒネを始めることに。

 

 

20時

チームに先生が来てくれて息子も安心したようでした。

 

21時

眠剤の点滴を入れてもらい22時主人と帰りました。

 

 

*僕の記憶*

 

 

もちろん手術に臨む恐怖、はあった。

だけど、それ以上にこれをやらなければ、何も前に進めないと言う思いと、これをやるために、これまでずっと耐えてきたんだと言う思いがあって、その過去の自分に対する責任感とか、筋を通すみたいな感覚があって、それほど恐ろしくはなかった。

 

全身麻酔を使うのはこれが初めてだったので、少しずつ息ができなくなっていく中で、苦しさがやってくるよりも、先に意識が途絶えると言う瞬間を味わった。一瞬だけとても怖かった。もし意識が途絶えるのがもう少し遅ければ、僕は全く動くことのできない体で窒息するような思いをしなきゃいけなかったわけでまぁその辺のタイミングは全部麻酔がコントロールしてるって事はわかってるんだけど、やっぱり怖かった。

 

手術中にいろいろあったらしいけど、僕は眠っていたので全然わからないので、なので、手術後に起こったことを書くけど、

目覚めて見ると、とにかく膀胱が痛い。あと尿道も痛い。下半身が全部痛い。お腹も痛い。でもお腹の痛みはこの後来るからそんなにひどくはなかった。

もうねーほんとにこの時感じていたのは膀胱の中でバルーンが膨らんでいると言う感覚。マジできついマジできついよー。

もうできるだけ早く抜いてもらうと思いましたよね。