*母の記録*
2016年1月12日~1月19日
三重大学医学部付属病院・消化管外科検査入院
1月12日 造影剤を使ったCT検査
13日 大腸にバリウムを入れてX線撮影をする腸注検査
14日 血液内科の先生が、何かあれば声をかけてねと部屋に来てくださった。すごく嬉しい。
15日 大腸内視鏡検査。検査が終わりチームの先生が3人で説明に来てくれました。前と同じで細い箇所は細いまま。生検結果待ちで方針を決めて来週中には一時退院。
18日 生検結果を待っていると遅くなるので、明日一旦退院して手術の話はまた外来で。非常に例のないケースなので検討する時間をくださいとの説明でした。
19日 前日、鼻から管を入れて小腸の検査をし午後退院。検査の結果は以前と変わりなしで、次の入院の日程が決まりました。術式は入院日に説明するが、回腸に人工肛門を造る予定です、とN先生がさらりと言われる。
息子にとって人工肛門という言葉は初めて聞く言葉で、ショックでふさぎ込んでしまいました。最初は主人も反対していました。息子を交えて話しあったことはないのですが、やはり人工肛門は一生閉じれないだろうという医師の言葉があったからです。
私はそれでも生きていてほしいと思いました。
9階の休憩室からは海が見えます
20日 病院へ電話をしました。
昨日聞いた人工肛門について、入院当日の説明では不安だったのと、ちゃんと主人にも聞いてほしかったので、スピーカーにして2人で説明を聞きました。
対応してくれたのはチームの中で2番目に若いK先生
『狭い大腸と狭くない大腸をつなぐには炎症もあるし体の栄養も悪いため、食物をいきなり流すと危険で腸と腸がつながらない可能性がある。小腸に一時的に人工肛門を造ったほうが安全。3ケ月くらいで閉じる予定です』
私は閉じれないことが怖いと聞くと、ゼロではないですと言われました。
説明がものすごく丁寧でわかりやすく、この先生にこの病院にお願いしたいと強く思いましたし、主人も納得してくれました。
*僕の記憶*
もちろん、人工肛門を作ることに対して恐怖もあった。ネガティブな気持ちもなかったと言えば、嘘になる、けれど僕の場合は食べないことが何より辛かった。もしもう一度何かを食べられるようになるのなら、体の一部分を差し出すことくらい、なんてことない支出に思えた。
今は一刻も早く手術をしてもらいたかった。
もう手術をすること以外に、僕にできる事は残っていないと分かっていたから。
ずっと停滞してきた。
ずっと横ばいと言われ続けていた。だからどうしても前に進みたかった。
そのためだったら、人工肛門でも何でも受け入れることができると思っていた。
でも父はそうじゃなかったらしい。
まぁそうだよな。息子が人工肛門になる、状況だけ考えたら、そういう気持ちになるってのも頷ける。
でも、父は僕がものを食べられないことで、どれくらいの苦痛を味わったかってことを知らないから、まぁ仕方なかったんだと思う。
母親は僕が落ち込んでいると思っていたらしい。
もちろん、人工肛門を作ることに対して。