*母の記録*

 

201510月16日

<day+492>

今日は三重大学医学部付属病院、消化管外科の外来受診日。   (※以降は三重大と略す) 

息子はまだ入院中のため紹介状と腸の画像データを持参し一人で行きました。

K教授の診察の予約でしたが学会のため代診の先生でした。

画像を見て「下行結腸はひどいが直腸はきれいなので、小腸検査をしないとわからない。ただ僕の意見では回腸に人工肛門を造り、口から何とか栄養を摂り状態をよくしていくだろう。若いからねばって」とおっしゃいました。

私はその先生にどうやってねばったらよいのか? と泣いて訴えたところ、

クローン病専門の先生に電話してあげるからとすぐに連絡してくださり、検査入院してはどうかと主治医宛てに手紙を書いてくれました。

病室に戻り息子には、この病院で検査入院できるかもとだけ伝えました。

 

 

*僕の記憶*

 

 

今僕が考えていることは、

とにかくもう一度ご飯が食べられるようになることだ。

確証はないけど、僕のQOLに著しい打撃を与えている

「味覚障害」も「溜まる唾液の問題」も、

どちらも食が再開されればなんとかなるかもしれない。

時折考える。

この世界にはものが食べられずに生きている人だって、いる。

そういう人全員が絶望しているかって言ったら、多分、全然そんなことはない。

僕はなぜこのぐらいのことが我慢ができないんだろう。

もちろん考える。

でも僕にとってはこれが、これこそが我慢ならないことだった。

 

れいによって僕は希望を持たないようにしていたので、

母が掴んで帰ってきたいちるの望みにも全然望みを抱いていなかった。

母が何をしていたのかも知らず、記憶にも残っていない。ただ、

 

 

今だから言えること。2015年10月16日、この日。

母がしたこの行動は、いずれ

僕の閉ざされた人生に風穴を開けることになる。